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第35話 いつもの帰り道
「うわぁ、すげぇ」
中原さんがボールを持つ度にそんな声があちこちから上がる。ドルブル数歩目にして、もうその上手さは充分伝わった。今は普通の部活レベルになっちゃったけど、中原さんがここでプレーしてた時はすごかったんだって。中原さんだけじゃなくて、他のポジションにも良い選手が揃っていて、うちのバスケ部史上最高の成績を残したって。
一番驚いたのはその背丈。あれでも大学のチームでは小さいほうらしい。ボジションは俺と同じガード。
「ほら、俺、怪我人だよ? 五割の力しか出してないんだから、ガンバレー、ディフェンダー」
ボールが手に吸い付いているように見える。自ら望んで、中原さんの手の中に飛び込んでいくみたいに、どれだけディフェンダーが彼を囲ってもボールが取れない。あれで、今五割くらいの力しか出してないなんて。
膝を痛めて、しばらく大学の方のバスケは休み。そのタイミングで中原さんのいる世代の同窓会が開かれた。それが先週の話。で、その席で、怪我してて、大学リーグの練習に出られないのなら、うちに来てコーチしてくれよって、冗談半分で頼んだら、本当に来てくれた。中原さんの所属するチームで練習の見学なんてしてるとプレーしたくなるから、暇潰しにここに来てくれたんだって。膝は日常生活ならもう問題がない。でも、激しい大学バスケをするのはまだ無理。中原さんにしても、ちょうどいいウオーミングアップになるからと。
「充! 俺たちラッキーじゃね? すごくね?」
益田が大興奮だった。それでなくてももうあと一カ月で引退、っていう、シチュがスポーツ漫画大好きな益田のテンションを煽るだけ煽っている。
そりゃ、そうだよ。ハーフコートのスリーオンスリー、そのど真ん中で、ほぼ動かずにいるのに、ずっとボールを、そして、そのコートの端から端まで全て支配してしまうような人に今日からしばらく教えてもらえるんだから。
練習というよりも、中原さんに歓声を上げて、そのボールさばきに見惚れるばかりの数時間だった。
そして、練習が終わった今も、皆、中原さんに夢中で、今度は隣のコートからずっとこの瞬間を待っていた女子も混ざって、サインをください攻撃を全員で繰り出している。若干、女子は華麗なプレーじゃなくて、中原さんの華麗な容姿にうっとりしている、そんな気がしないでもないけれど。
俺は中原さんを囲む、おしくらまんじゅうみたいな一団を少し遠いところから見学して、体育館の舞台脇にある時計を見た。
そろそろ、青の部活も終わる頃だ。帰ろう。
今日のクッキング部はピロシキを作るって言ってた。ひとりひとつしか作らないらしいから、きっと体育館には顔を出さない。益田や小坂さんの分まで作れなさすぎる日はいつも部室から少し離れたところにあるベンチに座っている。
そっと体育館を離れて、急いで着替えを済ませ、青が待っているだろうベンチに小走りで向かった。
「あっ……お……」
やっぱりそこのベンチに座って待っていてくれた。
足を放り出すように浅く腰掛けて、背もたれに思い切り体を預け、空を見上げている。青の横顔は穏やかで、幸せそうで、ここからずっと見つめていられるほど、温かい。綺麗で、カッコよくて、繊細で、ふわふわとしたシフォンケーキみたいに柔らかな横顔。その視線が見つめる先には何があるんだろうって追いかけると、明かりの乏しいここだから見られる満天の星空が広がっていた。
「みつ? なんだ、声かけてよ」
かけらなかったんだよ。あまりに綺麗な笑顔だったから。
「青、ごめん、結構、待った?」
練習終わってすぐに上がったけれど、でも、その練習自体が中原さんっていうスーパースターの登場のおかげでいつもより延長していた。
「星、見てたのか?」
「うん」
「……笑ってた」
そして、今も笑っている。
「あはは、笑ってた? 思い出し笑い」
星を見て思い出し笑い? 昨日のバラエティ番組でも、昼休みに見た動画でもなく?
「明後日七夕でしょ?」
「あ、そうだっけ」
全然気にしてなかった。
「みつと付き合える前は、一年に一度会える、とかでもいいから、話ができたらなぁって思ったから」
俺たち二人の間にあった距離。もう疎遠になりすぎて見失ってしまった、話しかけるタイミングとか、迷いとか、そんな「川」を一気に飛び越えて、隣り合わせになって、子どもの頃みたいに、当たり前に話しができたらいいのに、そう思いながら見上げてた夜空。
「でも、今年はそれを願わないでもいいんだなぁって、嬉しかったんだ」
さっき見惚れた、シフォンケーキみたいな笑顔を思い出す。
「そ、そうなんだ」
優しく甘い笑顔だった。俺のことを思いながら空を見上げた青の笑顔。
「た、七夕って、さ、青はっ、夜っ」
「みつのとこは大忙しだよね」
「……え?」
「ほら、毎年、七夕の時にだけ出す和風のゼリー、あれを朝早くから作るんでしょ? 夏はやっぱりゼリーとか喜ばれるじゃん。うちも店もジュレすごい人気だよ」
そうなんだ。いつも七夕の日にしか出さない、すごくレアなゼリーがあって、それがけっこう綺麗で美味しいって評判で、朝から家族総出で作ってる。俺もその時だけは特別手当があるから、めちゃくちゃ早起きして手伝ってた。
だって、別に七夕だからって予定があるわけじゃなかったから。
でも、今年は週末だし、青がいるし、どっかでかけたりしないかなぁって。
「でも、作るのは前日だから」
「うん。だから夜疲れちゃうでしょ? だから、土曜の昼間、どっか行こうよ。映画とかは?」
夜、会えたらいいかなぁって思ったんだ。七夕の夜に会えたら、古風で乙女な青は喜ぶかなって。それに――。
「うん。映画、行こう」
それに、夜、ふたりでデートとかしたら、なんか、あるかなと思ってみたりなんかして。でも、青は優しくて、俺にめちゃくちゃ甘いから、いつだって俺を最優先に考えてくれるから、デートは翌日。しっかり休んで寝不足になんてならないようにって、思ってくれている。
優しくて柔らかいシフォンケーキみたいな、青。
「何にしようか、映画。青は?」
俺はそんな青がすごく好きだ。とても、好き。
「おーい! 充、くん、だっけ?」
声をかけられて振り返ると、体育館の中から漏れる明かりだけでもそれが誰なのかわかる長身のシルエット。隣にいる青はびっくりしていた。明らかに高校生じゃない感じの人が親しげに話しかけてきたら、びっくり、するよな。
「……帰るの早いね。って、友だちと帰るのか」
「あ、はい」
「そっか。ならいいんだ。いないから、どうしたのかと思った。それじゃあ、また練習でね」
「はい。あ、練習、ありがとうございました」
ヒラヒラを手を振って帰る中原さんにお辞儀をして、チラッと青のほうを見た。ただ、体育館に戻っていく中原さんを「眺めてる」感じだった。
「あ、今の人、大学生なんだって。OBで、すごい強豪のところで今はプレーしてたらしくて」
ちょっとだけ、ヤキモチとかするかなぁって。ほら、前に、益田のこととか、小坂さんのこととか、ちょっとだけ妬いてくれたりしてたから。だから、少し説明っぽいけど、そんなんじゃないっていう意味を込めて青に中原さんのことを教えた。
「怪我してるらしくて。で、先生がもし平気そうなら来て教えてやってくれって頼んだらしいんだ」
「……そうなんだ」
「うん。そう、なんだって」
でも、青はとくにヤキモチを妬くことなく、普通だった。青の作ってくれたピロシキを食べてながら、そのレシピについて話す時も、デートで見る映画を何にしようか話してる時、そのデートでうちの七夕限定ゼリーを持っていってあげるって言った時も――。
「ン」
「みつ……」
もう家に着く、その直前に、物陰に隠れてキスした時も、いつもの青だった。
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