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第40話 浴衣の君
商店街も今日の花火大会に便乗する気満々だ。とくに飲食店はこぞってお店の前に屋台を開いてるし、文具店とか、飲食以外のお店も金魚すくいとか、色々出していた。
「お母さん、俺、行って来てもいい?」
もちろんうちの店も花火大会にお団子はいかかですか? って、手製のポスターをテーブルに貼って仮店舗を出している。青のうちのほうもたぶん、似たような感じで、洋菓子だから、ドーナッツとかかな。さすがにケーキは持ち運びできないから。
「いってらっしゃい。青君に宜しくね。あ! ちょっと待ってて」
「う、ん」
母さんは何か思いついたらしく、慌てて本物の店の中へと駆けて行った。母さんたちも花火大会の雰囲気に合わせて浴衣を来ているから、カランコロンって下駄の音が忙しそうだ。
少しだけ声がつっかえてしまった。緊張してる。浴衣なんて着て、変じゃなかったかな。今更だけど気合入りすぎかなとか考えてみたりして。
――明日の花火大会、めっちゃ楽しみだ。
昨日、青がそう言って、嬉しそうに笑っていた。肩をぎゅっと竦めて、くしゃっと笑うと、少し伸びた前髪が目元を隠してしまう。思わず、その前髪に手を伸ばして触れてみたくなって、慌ててそっぽを向いたんだ。
最近の青は、カッコよすぎて困る。変にぎこちなくなってしまう。
彼氏だけど、幼馴染で、風呂だって数え切れないくらい一緒に入って、夏にはプールでおおはしゃぎしていたのに、すごく緊張して、意識してしまう。
やっぱり、浴衣じゃないほうがよかったかも。
「え……み、つ?」
「!」
びっくりした。うちの店のガラス扉に写る自分を見て、着替えようかどうしようか迷ってたら、そこに急に青が並んで写ったから。
「あ、青!」
振り返ると本物の青がそこにいて、目を見開いて、俺を見てた。
もちろん、浴衣じゃなくて、Tシャツ、ハーフパンツにサンダルっていう、普通の軽装。
「浴衣……」
そう呟かれて飛び上がりそうになる。なんか、急に恥ずかしくなった。気合入れすぎの自分を思うと顔が真っ赤になって、熱い。
「お、俺、やっぱ、普通の服に着替えてくる」
「えっ? え、なんで?」
慌てて店の中へ着替えをしに戻ろうとターンをしたところで、青に手首を捕まえられてしまった。
「や、だって、なんか、青が普通なのに、俺だけ」
すごい気合入ってるみたいじゃん。彼氏と花火大会なんて普通は気合入るけどさ、周りから見たら幼馴染なんだから、ちょっと変だろ? 向こうに行く途中で、もしも益田たちに遭遇したら、なんで俺だけ浴衣? とか思うかもしれないじゃん。
「え、そのまんまでいてよ。すごい似合っててカッコいいのに。みつの浴衣見れるのめっちゃ嬉しいんだけど」
「……」
「ダメ? 歩きづらい?」
平気。浴衣はひとりで着られる程度には慣れてるから、別に歩くのも苦じゃない。フルフルと首を横に振る。
「へ、変じゃない?」
「全然! めっちゃ似合ってる」
なら、いいかな。
「あと、すげ、嬉しい」
「……え?」
「みつの浴衣姿とか見られるなんて、嬉しいに決まってるじゃん。来月終わりのお祭りン時は、俺も着ようかな」
あ、うそ、すっごい見たい。青の浴衣姿とか絶対に見たい。だって、絶対にカッコいい。
「ね?」
手首から青に、今思ったこと伝わってる? まるで、青の浴衣姿に内心大喜びではしゃぐ俺の気持ちが伝わってるみたいに、青が笑う。
うん。青が喜んでくれるかもって思ったから、浴衣にしたんだ。
俺の名前を呼んで、いつもと違う俺に、嬉しそうに微笑む青。もしかしたら、浴衣の俺に、キュンってしてくれて、俺のこと、もっと好きになってくれるかもしれない。そう思った。
「お待たせー! はい。お団子。できたてのを持ってきてあげたから、柔らかくて美味しいわよ」
「おわ! マジっすか! ありがとうございます! わーっ! やった! 餡子のもある」
だって、青は餡子が好きだから。
「いってらっしゃーい!」
「いってきまーす!」
元気に挨拶を交わしたのは俺のお母さんと青だった。俺はそんな青を横で覗き見るばかり。
「みつ、行こっか」
そしたら、ほんのり頬が赤いことに気がついた。商店街でももう夜じゃお日様の下ってほどよく見えるわけじゃない。そんなところでもわかるくらい、青の頬がピンク色をしていた。
「うわ、すごい人だね」
「うん」
けっこうのんびりしすぎてたかな。有料になっている花火会場ならきっとそう混んでないだろうって思ったけど、俺たちの考えは甘かったらしい。
駅から歩いて十五分、小さなスタジアムは有料観覧場。でも、駅前のロータリーとかは歩行者天国になっていて、無料で見られる。だから混雑しているのはそこだけかと思ったんだけど。こっちはこっちで大混雑だった。あんまりロータリーと変わらない混みっぷり。こっちは初めて来たから、こんなになってるって知らなかったんだ。駅前で無料で観られるのに、こっちで自分たちのお小遣いを観覧のために使う、贅沢高校生じゃないから。もちろん、益田たちもきっと駅前にいるはず。だからこそ、俺らはこっちに来たわけだし。
「みつ、迷子にならないようにしないと」
できるだけ皆には会わずにいたい。会ったら、きっと、そのまま合流する感じになっちゃうだろうし。
「あ、うん」
「下駄、大丈夫?」
「うん」
「とりあえず、どっか落ち着けるとこ探さないと」
初めてだから、何をどうしたらいいのかよくわからない。シートとか持参したほうがよかったのかな。ちらほら、お花見みたいにシートを広げている人たちもいる。
駅とかじゃなくて、大きな円の中に人がぎっしりいる感じ。だから、それぞれ行きたい方向が違っていて、数歩歩くのだって大変だ。もちろん真っ直ぐなんて歩けやしない。とくに俺は下駄だから。慣れてはいるけれど、こんなにあっちからもこっちからも人が通りすぎていくから、すごく歩きにくい。
「みつ! 迷子になりそうだから、手を」
こんなに人がいたら、手とか繋いでてもバレやしない。なんて、迷子になる心配よりも、青に触れられるかもって、邪な気持ちが勝ってた。だから、かもしれない。
「……青?」
今、青の声が聞こえたはずなのに。横から行く手を誰かに阻まれた、ほんの一瞬で見失ってしまった。
「青っ!」
手を繋ごうと思ったのに、その手はどこかに消えてしまった。
「あおっ! あお!」
青の手を掴めなかった。
「青っ!」
青の姿を見失ってしまった。
「あおっ!」
ぎゅうぎゅうにいる人と人の隙間に目を凝らして見ても、青の姿を見つけることはできない。
「あおっ」
名前を呼んだのと、花火の一発目が上がったのはほぼ同時。会場に来たのは初めてだったから、知らなかった。こんな大きな音がするなんて。駅前のロータリーから見上げていてもこんな音はしないから。
俺はその爆発音に驚いて、下駄なのに飛び上がってしまって、その拍子にバランスを崩した。
「おっと、大丈夫?」
転ぶ! そう思った時、グンっと強い力で腕を支えられた。
「え……」
「ギリギリセーフ」
よろけた俺を助けてくれたのは。
「中原さん」
名前を呼ぶと、くしゃっと笑って、カフェオレ色の髪をどこからともなく吹いてきた風に揺らしていた。
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