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第58話 青空からトンカチは降ってこなくて、これも粉々にはならなかった。

 いつも買い物をする時は改札から直結している駅ビルの三階、メンズも入ってるフロアに向かう。 「あ、青? 買い物すんじゃなかったっけ?」 「……するよ」  でも、だって、改札から直結しているあっちの所から入れるだろ? いつもそこを通るのに。青? もう、そこ通り過ぎたよ? 「青?」  電車の中でも口数は少なかった、いつもはけっこう青のほうがおしゃべりなのに、今日は会話が途切れがちで、どうしたんだろうって。どこに行きたいんだろうって。今もほとんど話をせずに、まっすぐどこかへ向かっている。行きたかったはずの駅ビルをすぎて、どこかへ、真っ直ぐに――。  ここって、たしか。 「……みつ」  来たことが何度かある。子どもだった俺たちとうちのお母さんたちがちょっとおめかしして買い物に行く時は大概、ここの、さっき通り過ぎた駅ビルでしてた。で、夏のこの時期、俺たちはこの買い物が楽しみで仕方がなかったんだ。お母さんたちがひととおり、ショッピングを楽しんだ後、ちゃんと迷子にならず、ふたりで親の後をついて歩けたご褒美にびしょ濡れオッケー、おおはしゃぎオッケーの噴水広場へ連れて来てもらえる。 「ここ、噴水……」  青がそこで歩くのをやめた。  モールの脇、子どもの頃は名前を読まなかったけれど、「憩いの場」って看板のあるこの場所にあるちょっとした公園。石畳の階段、手入れされた草木、それに大きな噴水がひとつあって、そのまわりの石畳からは水がそのまま直に吹き上げてる場所が点々とある。ここで青とふたりびしょ濡れになって水遊びをしていた。この後、電車に乗って帰るんだけれど、着替えもあるし、どうせアイスを食べてる間に髪も服も乾いてしまうから、いくら濡れても怒られなかった。  今も、小さな子どもがそこの水が吹き出る場所に集まっていて、断続的に地面から飛び出てくる水にはしゃいでた。水の「プシューッ」っていう音とほぼ同時にあっちこっちから聞こえる子どもの可愛い叫び声。もう皆、水浸しになって水遊びに夢中だ。  子どもの無邪気な笑い声、そして、それを眺めるお母さんたちの笑顔。噴水の水飛沫が太陽の陽に当たって、とてものどかで綺麗な光景。 「みつ」  その大きな、一番大きな噴水の前でぴたりと止まって、振り返った青はすごく緊張した顔をしている。  なんだろうって思う反面、胸がすでに高鳴ってる。早とちりかもしれないのに。もうドキドキしてる。 「青?」  違うかもしれないじゃん。悲しいことを言われるのかもしれないし、普通にここで日向ぼっこしようってだけかもしれない。よく青は少しだけ微笑みながら、空をじっと眺めてることがあるから。 「すごく色々考えたんだ」 「う、ん」  あまり、期待しすぎないようにって、一生懸命自分に言い聞かせるんだけれど、心臓がトクトクトクって小躍りを始めてしまう。 「もっと、カッコよく、ドラマみたいにできたらいいんだけど……」  青はいつだってカッコいいよ。今だって、噴水を背にして、青空をバックにキリッとした表情で、真正面にいる俺はドキドキしっぱなしなんだ。 「お、お誕生日おめでとう」 「ありがと」  八月八日、俺の誕生日にデートしようって、行きたいところがあるって、あと、買い物したいって言ってた。 「あの、今、返事とかじゃなくていいから、その、ずっと、一生大事にするから」  期待しすぎないようにって、自分の胸に言い聞かせるんだけど。 「これからも、ずっと、一緒にいてください」 「……」 「もう十五年、みつのことしか好きじゃない。きっとこのあとの十五年もそうだと思うし、あ、でもそれ以上先も絶対にそうだし、その、つまりは」  もう心臓が俺の言うことを聞いてくれそうにない。 「青、なんか、プロポーズみたいだね」  その時、青の瞳から光が溢れた。世界が拍手でもするように、いっせいにあちこちから水が吹き上がる。子どもたちの明るくて爽やかで楽しそうな声が青空に広がって、水飛沫は陽に照らされて、宝石が青空にばら撒かれるみたいに輝いてる。 「う、ん」  でも、一番輝いているのは青の瞳だ。甘くて綺麗なチョコレート色の瞳。 「ぷっ、うん、だか、ううん、だかわかりにくいよ」  あの時は俺が青にそう言われたんだ。びっくりして、ドキドキして、胸のところで答えが詰まってしまった。今、その胸にはこんなに甘くて美味しい気持ちが詰まってる。 「うん。プロポーズ、だよ。ごめん。あの、もっとカッコよく決めたかったんだ。ずっと、今日、みつの誕生日に言おうと思ってたんだけど」 「え?」  ずっとって? そんな疑問に青が微笑んだ。  叶うはずがない片想いを、今日、この日、終わらせるつもりだった。保育園の時、冗談半分で「十八歳になったら結婚できる」そう言った言葉をここでもう一度告げて、そして――。 「断られるだろうから、それで粉々に砕いてもらおうと思ってた」 「青」 「俺の片想いを。だから、なんだろう。どう言っても、どう告白しても断られるだろうから、あまり考えてなかったんだよ。カッコよくプロポーズする方法とかさ」  眉をあげて、呆れるように、クスッと笑ってから、キャラメル色の前髪を手でくしゃくしゃにかき乱した。せっかくセットしたはずなのに。全てが緻密に計算されたようなモテ男子、青は髪型からしてバッチリ決まってて、今日の服だってすごくカッコいい。 「だから、その色々手順が微妙なんだけど」  青は前髪をくしゃくしゃにしたって、タイミングとか、決め台詞とかなくたって、すごくカッコいいよ。 「本気でプロポーズしてます」  柔らかいシフォンケーキみたいな笑顔を引っ込めて、すごくすごくカッコいい引き締まった表情。揺るがない言葉。  俺はどんな青でもカッコいいと思うし、素敵だと思う。だって、噴水、すごく綺麗だ。十八になったばかりの俺たちは拙いかもしれないけれど、そのプロポーズの言葉はすごく強くて、ひとつもグラつかない。 「……はい」 「!」 「こちらこそ、宜しくお願いします」  子どもの俺らがおおはしゃぎして遊んでた場所で、十三年後の俺たちが未来の話をするなんて、すごく素敵だ。 「い、いいの?」 「うん。いいよ」  すごく、すっごく、嬉しそうだった。 「ずっと、一緒にいようよ、青」  粉々になるはずだった片想いは粉々どころか、二人分がくっついてちゃんとハート型になった。 「み、みつ!」 「は、はい!」 「指輪、買いに行こう!」 「え?」  突然の提案に驚く俺の手を引いて、青が来た道を引き返して、今度は駅ビルへ。 「それを買いたかったんだ」  買いたかったものって、それ? 「でも、サイズとかわからないし、それに、まずはプロポーズしないとだし、断れたらどうしようっていうのもあったんだけど、それと、あとさ、駅下りて、噴水広場でプロポーズしてから、戻って買い物とか、カッコ悪いかなとか、色々」  ドラマみたいに、小さな箱をパカっと開けたら、そこに光り輝く指輪、なんていうのはできなかったけどさって、青がクシャッと笑った。 「ううん、カッコいいよ、すごく」  そう言ったら、青が繋いだ手に力を込めて、俺はその力強さにドキドキながら、眩しい背中を見つめていた。

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