64 / 123

第64話 進む、道

 もう、練習のために体育館に行くことはないんだなぁ。  帰り道で、益田が、引退はしたけど、でも、また体育館行こうぜって言ってた。後輩の練習を見に行こうって。もう放課後に体育館に行くとしたら、練習している後輩の応援のためなんだ。これから放課後は――。 「みつ……」 「んー?」  ふたりっきりになった帰り道をゆっくりのんびり歩いていた。  カラオケが終わって、外に出たらもう夜になっていた。カラオケでちょっと軽食をつまんで食べたけど、お腹空いたなぁなんて考えて。青は文化部だけど、どうなるんだろ。文化部も「引退」みたいな感じなのかな。夏休みが終わったら? どっちにしても夏休み明けたら、進路のことで動き出さないといけないから。  進学か就職か。就職活動をする人たちは夏休みが明けたらすぐに活動しないと。九月から求人は出てるし。  俺は……進路のアンケート用紙、進学希望に丸をつけた。とりあえず、進学希望。でも、まだ、細かいところは決めかねてる。 「俺ね……」 「……」 「製菓の専門学校行こうと思うんだ」  青の声はいつもよりも静かで、低くて、澄んでいる気がした。 「え? あ、あの電車で三十分くらいのところにある、とこ?」  一見すると専門学校ってわからないビルなんだけど、ここから通えるところにひとつ製菓の学校がある。決まった曜日に生徒が作ったお菓子とかパンとかを売っていて、それがけっこう好評らしい。すぐに売り切れちゃうって、前に聞いたことがある。  そっか。青はFUKAMIを継ぐんだ。あそこならケーキとか洋菓子のことを学べるもんな。和菓子はないんだ。ここから片道二時間近くかかるところじゃないと和菓子も学べる製菓の専門学校がなくって。そこに通うってなるとしんどいかなぁとか、餡子好きじゃないのに続くのかなぁとか、結局、ちゃんと通えないと意味ないじゃん? 通うのが無理そうな学校を選ぶのなら、実家の店で働き出したほうがいいのかもしれない。でも、なんか、まだ宇野屋を継ぐ決心がつかなくて。だから「進学希望」にしていた。  そっか、青はあそこの専門に。 「違う。そこじゃないとこ」 「え?」  違うって、他に近くに製菓の専門なんてなかったけど。あと、あるのは二時間かかるあそこくらいしか。  いつもなら、もっとはしゃいだ声で楽しそうに話してる。柔らかくて甘い甘いカラフルなマカロンみたいに軽くてサクサクした声なのに。しっとりとした声は、この夏の暑さが残っているけれど、そこまで暑くない、涼しい風の吹く夜空にすごくよくなじんでいた。青がとても大人びて見えた。 「家、継ぐんならあそこで平気だと思ったけど。たしか、パティシエとかも」 「ううん」 「え?」  製菓の専門に行くのに? パティシエの勉強しないの? だって、継ぐんだろ? 「和菓子の勉強したいんだ」 「……」  青の手が俺の手を握って、指先同士が絡まり合う。 「え、和菓子って……」 「うん。このままじゃダメだって思ったんだ」  ダメって、そんなこと。青は料理上手じゃんか。 「あのね。俺、ちょっとうぬぼれてた。お菓子作るのめっちゃ上手じゃんって思ってたし、和菓子だって全然平気、作れるって思ってた。でも、違った」  そんなことない。クッキング部で作ったお菓子も、この前、俺の誕生日にって作ってくれたケーキだって、すごく、本当にすごく美味しかった。プロ顔負けっていうか、プロと変わらない味だって思った。うちの親、美味しいって言ってたよ。 「みつの作ったお饅頭、あれには勝てないよ。だから、ほんの少しだけ、悔しかったりもする」 「俺の、作った……って、あれはっ!」  ホワイトデーに作ったお饅頭。餡子があまり好きじゃないけれど、でも、家の手伝いで作り方なら一通り覚えていたから、何度か練習したら、ちゃんとお饅頭らしきものを作れたけれど。でも、絶対に青が作ったほうが。 「すごく美味しかった。優しい甘さで、ふっくらしてて、見よう見真似で、本で勉強した気になってた俺にはあんなお饅頭作れない。美味しかったし嬉しかったけど、ちょっとショックでもあったんだ」 「そんなことっ!」 「俺、宇野屋のお饅頭が作りたいんだ」  繋いだ手をぎゅっと握られた。心臓が驚いて飛び跳ねて、今は身体の内側でドクドク暴れてる。青がまっすぐに告げたことに驚いて、何も言葉が思いつかない。 「ちゃんと、しっかり、勉強したいって思ってる。知ってる? 少しだけ遠いんだけど、製菓の専門で和菓子の授業もしっかりあるとこ」  ここから片道二時間近くかかる、和菓子もしっかり学べて、もちろん洋菓子も。どちらも融合した、新しいお菓子を創造する発想力と技術を身につけられる学校。俺が調べて、でも、不安に思ったから、そこを希望するとは担任の先生に伝えられなかった学校。 「そこに行こうと思ってる」 「……」 「ねぇ、みつ」  青の指先は少しひんやりしていた。きっと緊張してる。 「みつは進路どうすんの?」 「……俺は」 「もし、できたら、一緒にっ」  そこで、青が言葉を飲み込んだ。俺の進路だから、青が決めることじゃないからって口をつぐんだ。  もしできたら一緒に、製菓の専門、いかない? そんな言葉がきっと続く。 「俺は……」  青はやっぱりすごいよ。おっとりしているように見えるけれど、ふわふわと柔らかい笑顔で優しいだけじゃないんだ。芯はすごく強くてしっかりとしていて、どんな邪魔が来ても揺らぐことのない真っ直ぐな自分を持っている。  俺は、見た目、クールとかしっかりしてるとこか言われてるけど、実はふにゃふにゃしているし、青みたいに強くない。  ちょっと、恥ずかしい。 「あんま、ちゃんと考えてない。宇野屋が潰すわけにもいかないって思うけど、正直、和菓子をお父さんたちみたいに作り続けていくって、イメージ沸かない。そこの学校のことも調べたけど、でも、通えるのかなって不安に思う自分がいて」 「……みつ」 「まだ、青みたいに、ちゃんと考えたこと、ない」  ちょっと、悔しいのは俺のほうだよ。青みたいな強さを持っていない俺には、その芯のある強さが、真っ直ぐさが、羨ましいよ。 「どうしたらいいのか、まだ、迷ってる」  迷わず、自分の進むべき道をまっすぐに進む青のことが少しだけ羨ましくて、少し、焦るんだ。

ともだちにシェアしよう!