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第68話 マイペースが一番です。

「だ、大丈夫?」  新学期が始まった。今日から二学期。その初日、島さんが俺たちを見て、一番にかけた言葉が、それだった。  大丈夫、じゃなかったです。ちっとも。 「ふわぁ……」  今日はこれでアクビ何回目だろう。止まらないし、眠いし、めちゃくちゃ眠いし……寝たの朝方だし。  今日は始業式だけ。授業なくてよかった。あったら、確実に睡魔との戦いをずっとしないといけなくなるところだった。  アクビをしながら、帰る前のホームルームで担任が来るのを待っていた。青も机に頬杖ついてうっつらうっつらしている。でも、課題終わったし。今日一日はのんびり――。 「島ぁ、ホームルーム終わったら、進路相談室、行こぉ?」  青のほうを見ていたら、そんな言葉が耳に飛び込んできた。 「島は美容の専門行きたいんだよね」 「うん。そう」 「あ、そしたら、今度文化祭とか行ってみる? AOのこともさぁ」  島さんと友だちがふたり並んで、進路の話をしている。  そうなんだ。島さん、美容の専門行くんだ。毎日、髪型とか変えてるから、そうか、そういうの好きなんだ。  俺は……進路、どうするんだろう。  青は製菓の専門。でも大半の製菓がメインは洋菓子であとはパンとか。和菓子の専門って少ないし、家で作っているからそのまま和菓子のことを学ぶのなら、実家でやれる。  でも、まだ、和菓子をやろうっていう決心がつかないから、だから、進学を希望してる。なんて、すごく中途半端な志望動機だけれど。そんな中途半端なせいで、行きたい大学もまだ探せてないんだけれど。  夏休みが明けて、学校に来てみたら、皆が進路っていう前方を見ながら歩いている気がした。島さんや、青だけじゃなくて、皆がそれぞれ少しずつだけれど「道」を進んでいる。そのことに少し焦るけれど。 「おーい、ホームルーム始めるぞぉ」  まだ、俺にとっての「前」へ進む決心がつかないんだ。  宇野屋を継ぐことがいやなんじゃなくて、和菓子が好きじゃない俺にそれができるのかなっていう不安があってさ。食べてもさして美味しいと思えないものを商品として売ってもさ、味は落ちると思うんだ。買ってくれるお客さんだって、できることならうちのお父さんみたいに、細かく味を吟味して作っている人の和菓子を買いたいに決まってる。ひとつ十円二十円の駄菓子じゃない。決して安くない和菓子を買うのなら、ちゃんとそれを精魂込めて作った人から買いたいに決まってる。  そしたら、俺は継がないほうがいいんじゃないかなぁって。  宇野屋を潰してしまうんじゃないかなぁって。 「ね、みつ、何がいいと思う?」 「……え?」  青がすごく楽しそうな顔をしている。青みたいに和菓子好きだったら、よかったのに。そう生まれて初めて思ったよ。 「さっき、先生が言ってたじゃん。文化祭!」 「あぁ」  言ってたっけ。あまりちゃんと聞いてなかった。文化祭で何をやるのか、そのうち決めないといけないから、各自なんとなくでいいから考えておけって。 「みつは何がいいと思う?」 「えぇ? わかんないよ、そんなの」  すごい楽しそうに笑いながら、青は一番大事にしていそうなお菓子の本を手に取った。大きな本は高校生が持つには少し専門的すぎるし、ちょっとお高い。俺にとってはただの写真集みたいにしか見えない、スイーツ写真集。  俺は青の部屋でベッドに腰を下ろしながら、青の枕を抱えている。 「んー、青がバリスタになって喫茶店とか?」  そしたらお客さんわんさか来ると思うんだけど。というか、俺もそのお店に行きたいんだけど。もうきっと驚くくらいによく似合うと思う。白いシャツに黒のズボンに長いエプロンを腰に巻きつけて、今の、この角度。振り返った、この姿勢とかでさ。 『いらっしゃいませ』  なんて言われたら、かなり、クルものがあると思うんだ。 「んんんーっ! 近い!」 「え? 近いって? 何がっ?」 「ふふふ、これです」 「……え?」  和菓子? 青が俺の目の前に広げた本。そこには綺麗で繊細な桜をかたどった和菓子があった。 「クレープ屋さん」 「は?」  何を言ってるんだ? 青、もしかしてページ間違えてる? これ、和菓子のページだけど? 「ちょ、ちょ、ちょ、ちょ」  戸惑っている俺にニコッと笑って、本は棚に戻すことなく机の上に置いて、そのまま枕を抱えていた俺を倒す、青。 「あ、お? あの」  青がベッドにゴロンと転がった俺に覆い被さった。 「青っ、ン……んふっ……ン」  そして、そのままキスで吐息を食べられてしまった。 「焦ることないよ、みつ」 「……え?」 「進路のこと」 「……」  青のおかげで天井、ちょうど真上にある照明が眩しくない。 「皆が違う進路を選ぶのは、方向だけじゃなくて、タイミングも、だと思うんだ」 「……」 「だから、皆が決め始めたからって焦らなくていいと思う」  青は、わかっててくれた。島さんも、クラスメイトたちも、それぞれ進路を決めて、就職の子はもう今日の帰りに求人を見に行ってみると担任の先生に話してたし。進学組も進路相談室へ行こうって話していた。でも、俺には明確はビジョンがちっとも浮かんでいなくてさ。 「大丈夫」 「……青」 「それに、みつは俺のプロポーズ受けたんだから、それこそばっちり大丈夫」  青の声は柔らかくて穏やかで、青の腕は温かくて優しくて。 「だから、焦らなくていいんだよ。みつ」  コツンって当たる額はちょっと痛くて、そして、近くて、ドキドキするけれど落ち着けた。 「だから、少し、休憩……一緒に昼寝……」  青の声が眠そうだった。 「青?」 「……んー……」  返事もふわふわしていた。そりゃそうだ。俺も眠い。 「み……つ……」  そっか。ゆっくりでも、いいのかな。なんでだろう。青の腕の中にいたら、自然と深く呼吸ができて、焦りそうな気持ちがほどけていく。ゆったり、ゆっくり、のんびりと、まるで日向ぼっこをしているみたいに暖かくて、心地良かった。

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