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第73話 甘さ控えめ?
甘い甘い豆の香り。どこまでも甘いその香りは嗅ぎ慣れすぎて、あのチョコレートの香りがとても特別なものに思えたんだ。小さな頃からずっと身近にありすぎた餡子を煮詰める時の香り。
「うん。甘さ控えめな餡子が上品でいいんじゃないか?」
うちのお父さんが小さじですくった餡子を食べて、小さく頷いてから、そう教えてくれた。
「うわ! ホントですかっ?」
作ったのは青だ。毎日四時に起きて頑張っていた青にお父さんが餡子作ってみるか? って、下準備を青自身がした豆を使わせてもらえた。
「あぁ、とっても上手に煮詰めたね」
青がうちで修行をして二週間が経っていた。
「みつ! これ!」
「うん。良い香りがする」
「そんなのは餡子じゃないね」
厨房に広がる和やかで楽しい空気をぶち壊す一言。おばあちゃんが、仏頂面で、暖簾をくぐったところに立っていた。
「おばあちゃん!」
「今、流行の甘さ控えめっていうやつが私はどうも好きになれない。菓子は甘いもんだろう? 和菓子が甘くなくて、どうやってお抹茶を美味しくいただくんだ。抹茶の渋さ、清々しい香りを楽しむために和菓子は甘いし、抹茶の、あの渋さが和菓子の上品な甘さを引き立たせる。それなのに、あっちもこっちも、甘さ控えめって書けば喜ばれると思って」
「母さん、青葉君は」
せっかく青が作ったのにそれはない、ってお父さんもおばあちゃんを止めようとした時だった。
「いえ! 勉強になります!」
ムスッとした顔を向けてもめげない青に、おばあちゃんがフンと鼻を鳴らして暖簾の向こうに行ってしまった。
「そっか、甘さ控えめにしたら、引き立たないのかぁ。豆の風味が出ていいかなぁって思ったんだけど……なるほど」
青は自分で作った餡子を食べながら、一度大きく頷いて、何か考えている。そんな青におとうさんが「頑張って」って声をかけると、ものすごい笑顔で返事をしている。
すごいなぁって思ったんだ。めげない青がすごいなぁって。カッコいいなぁって。だから、俺も頑張ろうって、そう思えたんだ。
「よし!」
毎日四時起きは眠いよ。だから、学校終わって家に帰ると眠たくて眠たくて仕方がないけど。でも、今日は違う。
青よりも和菓子のことに詳しいのは俺だ。小豆を煮詰めるあの香りが身近すぎて、慣れすぎていて当たり前みたいに思っていたけれど、それってつまりは知識もあるってことになる。
和菓子のことをちゃんと考えたことなんてない。抹茶が引き立つような味だなんて気にしたこともない。でも、青が作った餡子の香りが宇野屋でずっと嗅ぎ続けていた餡子の香りと違うのはわかったよ。
「頑張ろう!」
本格的なレシピ本は持っていないけれど。調べるのはスマホで、だけれど。きっと、クレープに合う和菓子を思いつけると思うんだ。
抹茶のケーキに、餡子とクリームをサンドしたスポンジケーキ、あとは小豆をスポンジに直に練り込んだケーキ。うぐいす餡に白餡、色の違う餡子を綺麗に重ねたら、きっと見た目にも美味しいケーキがたくさんできると思う。それを四角く切って、お客さんに選んでもらって、その場でクレープ生地で包んで出来上がり。
でも、まだ足りないんだ。どれもきっと美味しくできると思うけれど、インパクトが足りない。
あとは、なんだろう。
和菓子ってさ、あんまり若い人には人気ないだろ? クレープで包むのだって、チョコとかカラフルなジャムとか、アイスとか、果物とか、そういうほうが人気で、和菓子って少しおばあちゃんっぽいっていうか。
きっと餡子のは美味しいと思うよ。クレープ生地に合うと思う。でも、俺みたいに「餡子はちょって……」っていう人も食べたくなる和菓子とクレープのコラボって、何があるだろう。
俺でも食べたいって思うもの。俺でも――
何か、あるかな。青も俺も好きな和菓子をクレープで包む。柔らかくてなめらかなクレープ生地はほんのり甘くて、青が作ったらきっとそれだけでも美味しいって思える。
『うわぁ、これ、美味しい』
青が目を輝かせて食べる和菓子クレープ。
『やったね! これ、絶対にいいよ! みつもそう思うでしょ?』
青がニコッて笑って、頬をピンクに染めて。
青って笑うとほっぺたが綺麗に丸くなるんだ。可愛い笑顔。それなのに、ふたりっきりになるとドキドキするほど男っぽくなるから、その意外な感じがまたグッとクルっていうかさ。
意外でギャップが合って、ドキっとする。
――みつだって和菓子の中で白玉は好きだもんね!
白玉って、俺も女子も好きで、ちょっと食べるとテンションがあがるっていうか。バイキングとかで見つけると絶対に食べたくなるっていうか。そんなに劇的に美味しい味がするわけじゃないと思う。甘い? 無味? よくわからないけれど、重要なのはきっと食感だ。もっちりとしていて、丸い姿がなんとも可愛いと思う。
白玉、なら俺も好き。うちの、宇野屋のはもっと好き。和菓子は好きじゃないけれど、これだけは別格だったから。
「見、つけたっ!」
「うわぁぁぁ! み、見つかった!」
いつの間にか、スマホ片手に眠っていたらしい。夢の中に現れた青とは違う、本物の青の慌しくて賑やかな声が聞こえて、ハッと現実世界に戻ってこれた気分。
「え? へ? あ、青? え、大丈夫? また、俺、頭突きして」
「ううん! 全然! ちゃんと避けた! もうこの激突三回目だから、ちゃんと心の準備はしてました! はい! あ、えっと、ほら、メニューとりあえずひとつ思いついたから、みつのおばさんに頼んで部屋にあげてもらったんだけど。餡子をさ、白餡、うぐいす餡って作ってそれを重ねて塗ったら、クレープの断面が綺麗かなぁって」
あ、それと同じものを俺も思いついたよ。でも違うんだ。それって餡子が大好きな人にはたまらない感じだけど、俺とかにはちょっと甘すぎて、敬遠したくなるっていうかさ。
「それもいいんだけど! 青は好きそうだけど! でも、俺は……って、青、大丈夫? 本当はまた鼻打った?」
たしかに俺は頭に激突の衝撃をくらってはないけど。でもさ、青? なんで、口元を押さえてるの? それにほっぺたが真っ赤――。
「あー、あはははは、みつの寝顔、可愛かったなぁ、なんて」
「青っ!」
「はっ、はいっ!」
いきなり大きな声で名前を呼ばれて、青が背筋をピンと伸ばして返事をする。その頬が、ほら、そっくりだ。
「見つけた!」
「へ? な、何を?」
「メニュー! 見つけた!」
文化祭でカフェ・Cのイチオシメニュー。和洋折衷、和菓子とクレープのコラボで、教室にホットプレートがあればきっとできる。そんなコラボクレープを。
「思いついたんだ!」
文化祭まであと十日、ようやく、思いついたんだ。
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