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第84話 じゃけんに負けてしまったんだ。

 紅葉も終わってしまった。日が暮れるのがグンと早くなって、学校にいる時間があっという間にすぎていく気がする。受験組はけっこう切羽詰ってたり、就職組は焦ったり、のんびりしたり。ひとつの教室にそれぞれの進路と現状と悩み事がギュッと詰まっているような感じがした。息苦しいってわけじゃないけれど、こう、少しガス抜きをしないと、教室に色々なものが入りきらなくなってしまうんじゃないかって。  そう思った。 「私って……もしかして……天才? っていうか、神? ねぇ! これ、神だよね!」  神じゃなくてよかったし、天才かもしれないけれど、天才じゃなくてよかったのに。 「はい! 宇野ちゃん、完成っ!」  信じられない。本当に信じられない。こういうことって青がしたほう絶対に面白いと思う。キャラ的にも女子的にもそのほうが絶対に盛り上がるし、受験生の気分転換には最適だと思うのに。 「す、すごいよ! めっちゃ、女子だよ!」 「えぇー……せめて、笑いを取りたい」 「無理! 全然可愛い!」  だから、可愛くなくていいのに――。  事の始まりは、ずいぶん前に終わってしまったような気もするし、つい最近のような気もする文化祭。メインのスイーツが決まらなかったら、最悪、俺と青が女装してお客さんを集めるしかないかもしれない、って島さんが思ったこと。  で、放課後に残っていた数人で男子を女装させよう! みたいな話になって、その場にいた男子全員でじゃんけんをやることになり、最後は青と俺の一騎打ち。ここで青が負けると思ったのに。青ってじゃんけんがものすごく弱いのに、どうして今回だけ勝つかな。  ガッツポーズまでしてたし。  そして、敗北した俺は変身するために、島さんとふたりっきりでクッキング部のある調理室へ。料理をする場でメイクっていうのはいかがなものでしょうか、なんて抗議が彼女に通用するわけもない。というより、クッキング部の後輩にメイクレッスンみたいなの始まったし。もちろん、素材は俺の顔面だ。  肌が綺麗なのも、色が白いのも俺にとっては褒め言葉になんてならない。そんな肌だから、メイクがよく似合うって言われてもさ。 「ジャジャーン!」  島さんの声の直後に上がる歓声とかも、どうなんだ、俺。男子なんですけど。綺麗って可愛いって言われても。 「はい。鏡」  スッと差し出された手鏡を、見るのが怖いような、怖くないような。恐る恐る手に取った――。  し、し、視線が怖いんですけど! 調理室からうちのクラスまでってこんなに距離あったっけ? ずっと俯いてて、視界の端にいる島さんだけを頼りに歩いている感じ。だって、教室っていうゴールに辿り着く前に知っている人とかに顔見られたら最悪だ。女子、に見えなくもないけれど、俺は俺だ。特殊メイクで顔自体を変えてるっていうわけじゃないから、土台はいつもの自分だから、身元はきっとすぐにバレる。カツラはさすがにないから、髪はいじれず、少しアレンジっていうか印象が柔らかくなるようにって、ワックスで、ふんわりウエーブとかにされたけど、ただそれだけ。ショートカットは変わらず、顔面も俺で、男子で、だから本当に無理です。  必死に顔を隠して歩いていた。 「あ、島ぁ、今日、夜にラインするね。つか、なんで、ジャージ?」  なぜなら、今、島さんの制服は俺が着てるからです。 「あー、あははは、ジュースこぼしちゃって」  島さんはやっぱりモテ女子なだけあって、顔が広い。歩いているとあっちこっちから声をかけられてる。だから余計に俺は顔を上げられない。 「あ、益田君!」  げ。 「あ、島さん!」 「元気? って、益田君の声隣の教室にまで聞こえてくるから元気なのわかるけどさ」 「元気元気」  あの、島さん。先を急がないといけないんですが。 「就職だっけ?」  大丈夫。おめでたいことに、益田はもう内定もらってるから。不器用だし、ゴリラだし、少しバカだけど、益田って人には好かれるタイプで、頑張り屋だからさ。 「ばっちり! がっつり内定いただきました!」  ほらね。益田は心配しなくても頑丈だから就職先も決まったし、風邪もインフルも近寄らないから。 「よかったねぇ」 「うん! …………隣の女子、具合わりいの? 保健室行くのか? おんぶしてやろうか?」  内心絶叫した。女子にすぐ良い顔をしたがるゴリラ益田は俺を女子と思ったみたいで、一生懸命顔色を伺おうとしてくる。声も出せないから、それ、失礼だぞ、とも言えず。顔は死んでも上げられない。さすがに声上げたら男だってバレるし、最悪、俺だってわかるかもしれない。  黙って、フルフルと首を横に振ってるのに。遠慮することないって食い下がる。いらないから、その気使いは今とてもいらないですからって、もう一回ブンブンと首を振ってるのに「いいからいいから」って。 「ごめん。もうこの子帰るから平気だよ。ありがとね」 「そ、そうか? でもさ」 「ほら、早く帰ろう。うっちぃ」 「ん」  うっちぃってなんですか! っていう胸の内で疑問を叫んだせいで、少し声が漏れて慌てて顔を背けた。そして、走り去る。逃げるが勝ちだ。ゴリラ相手に戦っても勝てないんだから、隙をついて逃げるのが一番。 (島さん! 益田にバレるとこだったから!) 「えー? バレないよ。すっごい可愛い女子だもん」 (いや、無理でしょ。俺でしょ) 「まぁまぁ」  背後にまだいるかもしれない益田ゴリラに聞こえないよう、できるだけひっそりと話をしては、またどこかの教室から誰が飛び出してくるかわからないから、俯いてた。首が痛くなりそうだ。ずっと下、足元ばかりを眺めてるから肩が凝る。 「ただいまー!」  そんな苦難を乗り越えてようやく到着したC組。 「どうですか? 美容専門に進学しようとしている、この島の力作!」  さっきのクッキング部の子たちと同じ「おおおお」って歓声と拍手。 「……みつ?」  髪の毛を長くするとかしたら、まだ見れたかもしれないけど、でも、さすがにいつもの髪を少しアレンジしたくらいで、あとはメイクで女子っていうのは無理があるでしょ。  足、スースーするし。 「可愛いでしょ! まぁ、女子の私のスカートを履かれてしまうっていうことに、若干、自分のウエスト大丈夫? って思わなくもないけど。肌つるんつるんなんだもん! 足なんて、ハイソックス履いたら余裕で美脚だし! ね! 深見!」  そこで、同意を青に求めないでください。美脚なんて思ったことないし、俺、元バスケ部だから。太腿とかけっこうしっかりしてるんだから。 「…………みつ?」 「…………は、い」  ほら、声だっていつもの自分の声だし。男子声だし。  でも、青はびっくりした顔で、真っ直ぐ、俺だけを見つめていた。その視界には俺しかきっと写っていなかった。

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