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第85話 風邪ですか?

 高校三年の冬、ちょっとした気分転換。でも、まさか自分が女装をする日が来るとは。 「俯いてるほうがおかしいよ。みつ、後頭部丸見え。つむじ押していい?」 (だ、だめ)  への字の口をしながら顔を上げると、にこっと優しい笑顔を向けられた。声をあまり出せない。まさか、このまま学校をブラつくことになるとは思わなかった。 「可愛いって」 (バカなこと言うな。普通に、俺のまんまだし)  肝試しみたい。この格好でちょっと校内散歩とか。遭遇した生徒が俺たちにとってお化けなのか、俺がお化けなのか。どっちかよくわからないけれど、心臓がバク付くことだけはたしかだ。 「……可愛いよ?」  青がまた笑った。いつもみたいに、カラフルな風船がふわりと舞い上がるような柔らかいけれど楽しそうな笑顔じゃなくて、なんだろう、ちょっとおとなしい感じ。疲れてる? 元気がないような。元気だけど、テンションが低いだけのような。  あ、でも、そうだ。もう冬だっていうのに、暑がりの青は昼休みに皆でバスケをしたせいで暑くって、シフォンカラーの長袖ニット脱いでた。そんで、昼休み後の授業が青の一番苦手な数学だったっけ。寝てた。俺よりも少し前に席がある青は授業中、船を漕いでいた。もしかして、シャツ一枚で居眠りして風邪でも引いたんじゃ。 「わっ、な、何? みつ?」  掌で青の額に触れて、熱があるか確認した。 (風邪、引いたかと思って)  お化けは俺なのか、すれ違った生徒なのか、なんてどうでもいい。青が風邪引いてるのなら、校内散歩とかしてないで急いで帰らないと、そう思った。 (でも、大丈夫。熱はなさそう) 「ないよ。熱なんて。熱はないけど、なんか変」  それは大変だ。発熱前なのかもしれない。数時間前の居眠りが原因で風邪を引いたのなら、まだ発熱まではいかないのかも。 「あ、みつ、あそこで休憩」 「?」  青が指差した先にあったのは図書室だった。二年の時には委員も務めた場所。放課後、部活をしなくなった俺たちには懐かしくも感じられる時間帯じゃ、さすがに人はそんなにいない。 「ふぅ……」  図書室に入って、奥へと進む。あまり人気のなさそうな、この辺りの歴史的文献みたいなのが並ぶ棚。やっぱり人気がないのか、とても古臭い本のにおいがした。  その棚の突き当たり、窓ガラスに背をもたれて、ひとつ溜め息をつく青と、向かい合うように立っている女子の制服を着た俺。  ようやく顔をまともに上げたら、ずっと俯いていたせいで首が少し凝り固まってる感じがする。 「き、んちょうした? 青」  もしくは、あんま似合ってない女装姿の俺はイヤ、だった? 「ちょっとね」 「……」 「ようやくみつとちゃんと話せた」 「……や、だったよな」 「うん」  ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、悲しくなった。少し、本当に少しだけだけれど、青も皆みたいに喜ぶかなぁって思ってたから。自分としては、ただ自分の顔面に色が乗って、睫毛がバサバサくっついて、唇んところが赤くなっただけで、可愛いとか思わなかったけど。でも、青は文化祭の時も見たいって言ってたし、そのあともボソボソそんなことを呟いたりもしてたし。  だから、俺の女装を見て、率先して散歩に行きたがるかなぁって思ってた。っていうより、期待してた。青が喜ぶことは、俺も喜ぶことに繋がるから。 「だって、みつのこと、男子が好きになるかもしれない」 「……」 「だから、あんま、今のみつのこと見ないでーっ! って思ってた。でも、普段のみつは可愛くて綺麗でカッコいいから、それはそれで、女子見ないでーっ! って、なるし、難しいんだけどさ」 「……は? ぇ、な、何言って」  うろたえて、なんか急に、青から真っ直ぐに向けられる視線に気恥ずかしくなって、スカートの裾がやたらと気になり始める。スースーする脚をどうにかしたくなる。 「だから、一時避難って思って図書室に来たんだ」 「……」 「あとね」  スカート裾は頑張ったところで伸びないんだけれど、でも、自分でちょっと引っ張って、もう少しばかり太腿を隠してくれないかなって願ってた。その手を青の手が掴んで引き寄せる。ちょっとよろめいた拍子にスカートが揺れて、足がもっとスースーして、蒸発しそうに恥ずかしい。脚丸見えな気がして仕方がない。 「あと、みつ、すっごい女装可愛いんだけど」 「……だけど?」  やっぱり変? 青だけ、あんまり喜んでなかった。一番騒ぐと思ったのに、教室に戻った俺を見てポカンとしてただけだった。びっくりしすぎてそうなのかと思ったけど。もしかして、あんまり好みじゃなかったから、がっかりしてたとか、なのか? 「でも、いつものみつがいい」 「……」 「女装してるみつとだったら、手を繋いで歩いて、ラブラブできるかもって思ったけど、いつもの、普通のみつと手を繋ぎたい。俺、女子のみつが好きなわけじゃなくて、みつが好きだから。や、可愛いんだ。すっごい可愛いんだけど。みつのことを見る男子の視線も気になるし、えっと、それに」 「?」  やっぱり、熱があるんじゃ。そう思って心配になった俺はもう一度額に触れて、体温を確かめようと思った。でも、その手は、への字に口を曲げた青の手に捕まった。  なんで、そんなに不機嫌顔? 口、すごい曲がってるけど。 「口紅邪魔っけ」 「は?」 「キスしたくても、口紅があるせいでみつに直で触れないじゃん」 「……」  だから、いつもの男子の俺がいいって、怒りながら言われたってさ。 「青が一番見たいって騒いでたくせに」 「だってさ」  我儘言うなよ。でも、あまりにも可愛い顔で怒ったりするから、なんか嬉しくて、楽しくて、私語厳禁なはずの図書室で、元図書委員である俺はしばらく笑ったまま、おさまらなかった。  制服はしっかり帰して、ちょっとした息抜き企画は幕を閉じた。帰りの電車の中で「楽しかった?」って青に訊いたら、笑ってた。笑って、並んで歩いて話しをして、いつもみたいに帰ってきた。 「……みつ」 「……ん」  俺の部屋、ベッドの上にふたりで座って、キスをした。触れて、離れて、やっぱりもう一回したくて、触れる。  そういえば、青、あんなに女装した俺が見たかったのに、ちっとも触れてこなかったな。女子の格好してたんだから、島さんたちにだって、女子にしか見えないってお墨付きいただいてたんだし、触ったってかまわなかったのに。 「やっぱり、みつはそのままが一番だ」 「メイク、落とすのけっこう大変だったんだぞ」 「そうなの?」  そう。女子ってすごい。尊敬する。メイクだって、俺からしてみたら面倒なのに、落とすのだって手順があって、あれつけて、これつけて、洗って、またこれつけて。あれを毎日はできそうもないよ。 「ごめんね? でも、やっぱり、いつものみつが一番、好きだよ」  口紅なんていらない。直接、触れたい。そう言われてたら、やっぱり嬉しくて、自分から何度も何度もキスして笑って、額にこつんって額で触れる。熱はないみたいだけれど、わからないや。 「……みつ」  俺も今、火照っていて、とても暑かったから。

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