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第90話 たったの二文字
青に告白した子。背中がとても華奢だった。肩なんてすごく小さくて、おかっぱの髪がちょっとした風にも揺れて、きっとさ、普通に男はこういう子を抱き締めたくなると思う。
守ってあげたいって、この肩を見ながら思うと、思うんだ。
「あの、俺に、用?」
彼女が俺を案内したのは誰にも見つからないような場所なんかじゃなくて、図書室だった。
「えっと……何か、青に伝えたい」
「これ」
俺の言葉を遮るように、目の前にかざされたスマホ。
「……」
その画面に映っていたものに、絶句した。
「別れてください」
「……」
そして、心臓だけが重さと痛さに耐えかねて、奈落の底に転がり落ちていった感じ。胸のところに大きな穴が開いてる。息をしたくても、これじゃ、できない。心臓がなくなってしまって、息ができない。
「私、深見先輩のことが好きで、告白しました」
だって、彼女が俺の目の前に出した画面には。
「そしたら、付き合ってる人がいるからごめんなさいって言われました。私、てっきり、島先輩と付き合ってるんだと思った。けど、違った。島先輩が彼氏と歩いてるとこを偶然見ちゃったんです」
画面には青が映っている。
「じゃあ、誰って思って。だって、他に深見先輩と仲が良い女子いないし、いつも、貴方が隣にいるし」
そして、俺も。
「だから、もう一回、ウソなんじゃないですか? 本当は彼女なんていないんじゃないですか? って訊こうと思って、先輩のケーキ屋さんに行こうとして、それで」
俺と青が見つめ合って写っていた。正確にはキスし終えた直後の写真。スマホの画面の中で、暗いけれど、でも、しっかりと顔がわかる。
「これ、写ってないけど、でも、キスしてるの、私、見ました」
うん。言わなくてもこの距離は友だちのものじゃないってわかるよ。俺たちはどう見たって、誰が見たって、幼馴染以上に近い距離で見つめ合っている。
いつもしてる、バイバイのキス。うちのほうへ用があって、覗き込まない限り見えないだろう場所で、ほんの一秒にも満たないキスをして、笑って、見つめ合って。
――ほら、帰らないと。
そう言って離れるんだ。じゃないと、いつまででもそこで話し込んでしまいそうになるから。
「信じられない……」
彼女がとても、嫌そうに表情を歪める。
「あの深見先輩が付き合ってるのが、島先輩ならまだ納得できるけど、男で、しかも、この人って……」
彼女の声はとても冷たくて、震え上がるほど。
「無理」
全身を針で刺されたように痛くて、痛くて、冷たくて、指先から凍って、バラバラになってしまいそう。たった、二文字の言葉を投げつけられただけで、こんなに辛いなんて。
「別れてください」
「……や、だ」
「は?」
痛くて、冷たくて、とても苦しいけれど。でも――。
「別れない。そんなことを言われる覚えはない」
でも、俺も男で、青も男なのはわかってたことだ。それが周囲に歓迎されないかもしれないことだってちゃんとわかってた。だから、他の誰にも話さなかった。ずっと隠してた。
この子の言葉ひとつで別れるのなら、俺はあの日、青に好きだって告白してないよ。
――ずっと、あの……ずっと、前から、俺、みっちゃんのことが好き、です。
桜が舞ってとても綺麗だった新学期、青に告白された。俺も青のことがとても好きで、大好きで、すごく嬉しくて、世界中が桜色に染まったように見えるほど、胸が高鳴ったんだ。
あの日の青を俺は一生忘れない。あの日見た、景色を俺は絶対に忘れない。一瞬で世界がとても綺麗な花を咲かせた。
――みっちゃんのことが、俺は、好きです。
嬉しくて、嬉しくて、俺も告白した。そして、その言葉が、「好き」が青に届いた瞬間のあの表情を今だって、目の前にいくらでも再現できるほど覚えてる。
「別れない」
男同士だけれど、言いふらしたりはできないけれど、俺たちが一緒に持っている「好き」は誰かに否定されて消えるものじゃない。ここにちゃんとあって、それはとても綺麗な色をしてずっと生きてる。汚くないし、無理だと拒絶されるものでもない。
これは俺たちの宝物だ。
「は?」
「別れないよ。君にしてみたら、男同士なんて気持ち悪いかもしれないけど、でも、別れない」
拒否されるのは痛いけれど、でも、この「好き」は何があっても手放したりしない。
「ウソみたい……無理でしょ、こんなの」
「ごめん」
彼女の嫌悪の視線を向けられたのが俺でよかった。青じゃなくて、本当に――。
「言いふらすとか、君が悲しくなるだけだから、やめたほうがいい。虚しいし、それに」
「無理って言ってるのに」
「……ごめん」
「言いふらす? そんなことしたって、私の印象が最悪になるだけだし」
「だから」
俺の言葉をスマホの画面でも、言葉でもなく、視線で遮った。すごくきつくて、鋭い眼差し。
「でも、この写真、深見先輩のおうちに届けたら、大変なことになると思うんですけど」
「……え?」
「深見先輩とふたりで、製菓の専門行くんですよね? クッキング部の子が言ってました。ケーキ屋だから、特別推薦みたいなのがあるんだって」
この子、何を――。
「でも、この写真とか見たら、その推薦、取り消しになると思う」
「……」
「深見先輩、製菓の学校、すっごい行きたがってるって、その子が言ってた。でも、その推薦枠取り消されたら、もう、無理ですよね? 今から一般入試で? とか、無理でしょ?」
無理、その二文字が俺の身体を粉々にして、彼女の嫌悪を混ぜ込んだ溜め息がこの場から吹き飛ばしてしまう。
「深見先輩が男と付き合ってるとかありえない。せめて、島先輩レベルでしょ。それ以外とか考えられないから」
「……」
「釣りあうとか、似合ってるとか、そういうレベル以前の問題だから。マジ、無理だから」
青のやりたいこと、将来の夢も一緒に、今、ここから消し飛ばしてしまう。
「ホント、無理」
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