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第91話 「好き」よりも大きいもの
青が男で、俺も男で、これが同性愛だってわかってた。高校生だけど、男同士だってちゃんと自覚してたよ。それでも「好き」っていう気持ちのほうが大きかったんだ。性別よりも、きっとあるだろう障壁とかよりも、もっと大きいから、乗り越えていけるよって思ったんだ。
今もそう思ってる。
この「好き」を誰かに否定されたら、とても傷つくだろうけれど、でも、だからって手放したりは絶対にしない。
青も、絶対に俺のことを放したりしない。俺たちの持っている「好き」はそれじゃ消えないし、壊れない。
でも、将来は「好き」よりも弱くて、脆い。もっと簡単に吹き飛んでしまう。たとえば、青のお父さん、お母さんが推薦状の取り消しを願えば、途絶えてしまう道だ。
和菓子を作りたい。宇野屋で働きたい、その青の夢をお父さんたちは尊重してくれた。でもさ、それは純粋に和菓子を好きだからって思ってるはずだ。俺と青が好き同士で、付き合っているなんて思いもしないから、普通に接してくれてる。普通に部屋に上がらせてくれるし、ふたりっきりにもしてくれる。俺はあのふたりにしてみたら、仲が元にもどった幼馴染で大親友ってだけ。
付き合ってるってバレたら、引き離されるかもしれない。部屋になんて通してもらえないかもしれない。
「みつ?」
推薦を取り消されるかもしれない。和菓子屋で働くなんて、絶対に拒否されるかも。
「みーつっ!」
「!」
目前に飛び込んできたキャラメル、色――青の柔らかい髪だ。
「もう、どうかした? ずっと、さっきからボーっとしてる」
「ごめっ」
「……何か、あった?」
飛び上がって驚くな。普通にしてて。何もなかったフリをちゃんと、するんだ。
「何も?」
何もなくなってしまう。青の夢が消えてしまう。
――別れてくれます? ちゃんと別れてくれたら、この写真、ちゃーんと消去します。持ってたくないし。でも、ウソはつかないでくださいね? 深見先輩見てたら絶対にわかるから。
「みつ?」
――深見先輩が男と付き合ってるのも無理だし、私がそれで振られるのも無理。
知らない。あの子が無理とかそんなの知らない。勝手に無理になってればいい。でも、お父さんたちにバレたら。
「あの羊羹マジで美味しかったでしょ? うちの親に、みつのおばあちゃんが狭山さんの知り合いで、俺、狭山さんの作ったスイーツ食べちゃったって自慢しまくったんだぁ。ドライフルーツかぁって、なんか、お父さんが考えてた」
青の夢を、俺たちの「好き」が潰してしまう?
「でもさ、専門行ったら、パティシエとか和菓子職人目指してる人とかばっか、だから、なんかワクワクする」
そんなの、ダメだろ。青はクッキング部でも楽しそうにお菓子を作ってた。毎朝四時に起きるのなんて、面倒だし眠いのに文句ひとつも言わない。青が寝るの大好きなの、俺は知ってる。図書館に行ったら、数え切れないくらいあくびをするのに、毎朝四時起きで厨房に立っている間は一度もあくびをしなかったのを知っている。おばあちゃんにどんなにいじめられても、全部真正面から受け止めて頑張るから、あの頑固はおばあちゃんが諦めたんだ。青を追い出すことを、青の邪魔をすることを。そのくらい好きなのに。文化祭で一日中クレープ作るのはとても大変なのに、それを楽しそうにしてた。それだけ、青はお菓子作りが好きなんだ。青は――。
「……青」
「ライバルも多いけどさ、俺たちがきっと最強だよ」
「青」
あの真剣な横顔を、奪えないよ。
「みつ? どーしたの?」
「……」
奪えないってば。だから、ほら、言うんだ。
「みつ? 何?」
言えない。言いたくない言葉なんて、喉のところで詰まって出てこない。出てきて欲しくないって身体が拒否するんだ。
なら、少しずつ距離を取れば? 小学生に上がった時みたいに段々と距離を離していったら? そしたら……なんて、無理だ。できない。だって、青の一番近くに来てしまったから、もうここから少しずつでも離れられないよ。離れるのなら、強引に引き剥がさないと無理だ。絶対に途中で手を伸ばしてしまうに決まってる。
今でも、全身がたった一言を拒否しようと必死に抵抗してる。青の名前を連呼して、この手を放したくないって暴れてる。
「別れよう」
それを口にした瞬間、全身がすごく、ものすごく痛くなって、この場で倒れ込んでしまいたくなった。
「……え?」
「別れ、たい」
「……み」
違う。ウソ。嘘だよ。別れたくなんてない。一緒にいたい。青が。
「思ったんだよね」
違うことを言わなくちゃ。嘘をつかなくちゃ。別れなくちゃ。一番遠いところに離れなくちゃ。青を、好きじゃなくならなくちゃ。じゃないと、青の夢が消えてしまう。
「ほら、この前」
嘘を、ちゃんとつかないと。
「なんか、普通に友だちみたいにしてたじゃん? うちのおばあちゃんと一緒に、狭山さんの作ってくれたスイーツ食べた時。あれ、楽しかったなぁって。ああいう感じもいいなぁって」
「……」
「なんか、そっちのほうが自然だし。友だちのほうがさ。楽じゃん? こそこそしなくていいし。益田がさ、この前、俺のした女装見ちゃったらしいんだ」
「え?」
青の声がとても遠くに聞こえた。俺の言ったことを聞き返す声がとても遠くてあまりちゃんと聞こえなかった。
「可愛いとか思ったらしくて、さすがに自分でも引いたし。それって、男だけど青と付き合ってるから、とかだったりしてって、ちょっと悩んでてさ。で、友だちに戻ったほうがいいのかもって、そう、思ったんだ」
「……」
「この前、楽しかったし。それでいいかなぁって。だから」
イヤだ…………って、言ってはいけない。
「だから、別れよ?」
「うっ、くっ、ヒック、う……っ」
青の顔、見られなかった。最後、「バイバイ」って言った時、どんな顔してた? わからない。走って、自分んちに飛び込んで、そのまま部屋でこうしてうずくまって、青のことを追いかけたくなる脚を抱えて、動けないようにしておかないといけないから。
「うっ……ヒック……ぉ……あおっ」
青のこと傷つけた。あの時、もっとちゃんと隠しておけばよかった。どうしてもキスしたくて、青のことがとても好きで、もっともっと一緒にいたくて我慢できなかったから、こんなことになった。ちゃんと我慢できなかったから、別れないといけなくなった。だから、今度は我慢しないと、次は青の夢を奪ってしまう。
「青っ」
大好きな人の夢を奪えるわけがない。
「青…………っだよ」
好きだよ。その一言を言ってしまったら、青の進路は道が途中で切れてなくなってしまうから、だから必死に飲み干して、喉奥よりももっと下、ずっと下のところに押しこめるように、何度も何度も、涙と一緒に流してしまった。
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