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第93話 溢れて止まらない

 数日、本当に微々たるものしか口にしない俺にお母さんたちはサボらないで学校へ行きなさいとは言えなかった。俺もそんなふたりに甘えて、学校を休んで、でもさすがにそろそろ行かないとヤバいと思って重い身体を引きずるようにして家を出た。 「大丈夫? インフル?」 「風邪?」  そんなことを皆に言われて、その度に笑って「大丈夫」って答えたけど、島さんにだけは笑えなかった。 「痩せたね。ちゃんと、食べてる?」  そう覗き込まれて、目を逸らすことも、ごまかすことも、愛想笑いでかわすこともできなかった。  すごく言いたかったよ。島さんに相談したかった。でも、相談したって仕方ない。もう、青の中でも終わってしまったのかもしれないんだから。  今朝、学校に来て一番の声をかけてくれたのは、青だった。普通ににこっと笑って、いつもと変わらない、俺が「バイバイ」って言ってしまう前と何一つ違わない朝の挨拶だった。俺はびっくりして、戸惑って、声も出なかったけど、青はそんな俺にかまうことなく、休んでいた間にあった面白いことを話してくれる。益田が心配してたとか、小坂さんが就職決まったことも教えてくれた。ちょっと、時間かかっちゃって、かなり焦ったらしいけど、希望の職種につけるんだってこと。  そんな話を笑顔で俺にしてくれる青を、俺はまるで風船の中から眺めているような変な浮遊感と、何かに邪魔されて聞き取りにくい不快感の中で聞いていた。 「青」  この名前を学校休んでいる間、ずっと、何度も何度も胸の中で叫んでいた。呼んでいた。だから、少し震えてしまったかもしれない。 「んー?」  青が俺の部屋の前に置いていった指輪は俺が持ってる。次の春から行きたい専門学校のパンフレットが入った封筒の中にしまってある。青の夢が消えてしまいませんようにって。 「あの、お父さんたち、変わりない?」 「ないよ? なんで?」  青がいつもと同じ。 「そう。何もないなら、いいんだ」 「うん」  でも、やっぱりいつもの青じゃない。青はこんなじゃない。これは普通の友だちの距離だ。いつもだったら、もっと、「え? なんで? うちのお父さんとかなんか変だった? なんかあった?」そう訊いてくる。  この青は、俺の彼氏の青じゃない。 「あ、そうだ。みつ。今日さ、ちょっとみつんち、寄っていい?」 「え?」  幼馴染の青でもない。 「ちょっと、忘れ物したんだ」 「……」  この青はトモダチみたい。俺がそれを望んだのに。そうなりたくて「バイバイ」って言ったのに、とても変だった。違和感がすごかった。 「そんで、小坂さんが面接受かったー! って、島さんとこに言いに来て。みつにも自慢したかったぁって残念がってたよ」 「……うん」 「すごいよね。その業種って一途に決めて。難しいんだって」 「……うん」 「あ、みつのおばさん。お邪魔します。……そんでさ、島さんはメイクの学校じゃん?」  うちの家の玄関は店の脇にある小道を通っていく。庭木でわかりにくくなってるし、ポストは店の脇にあるせいで、その奥に玄関口があると知っている人はあまりいない。覗き込まないと見えないようになっているし。  ここで、あの子に写真を撮られたんだ。  青はその脇道のところへ入る直前、宇野屋のほうへ顔を出し、軽く会釈をした。ガラス扉の向こうにはうちの親がいて、青と一緒に普通に帰って来た俺にホッとしている。 「おじゃましまーす」  忘れ物じゃないのはわかってる。学校じゃ話せない内容だからああ言っただけだ。男同士だから、周りには知られないようにって気を付けて。あんなに急に言われた別れ話なんて納得できないけど、学校でじゃ話せない。だから、ふたりっきりになれる部屋で、話の続きをって、青はそう思ったんだ。 「どうぞ」  ずっと泣き続けていた部屋に青を招いたら、変に緊張してしまう。俺も、この部屋も、青の存在に困ってる。 「もう、いい?」 「え?」  笑顔が、青から、消えた。 「もう、トモダチのフリしなくていい?」 「え? うわっ!」  ベッドが大きな音を立てて軋む。俺は強引に押し倒されて、あまりの衝撃に目をぎゅっと瞑った。 「誰?」 「……え?」  次に目を開けて飛び込んできたのは、青の、俺の知っている青の悲しくて、苦しくて、痛くて歪んだ表情。 「誰になんて言って脅されたの?」 「青?」 「俺たちのこと学校中にバラすって言われた? 誰? さっき、おばさんに挨拶したら普通だった。だから、おばさんたちに注意されたわけじゃないよね。おばさんたちに俺たちのこと反対されて、閉じ込められてたとか、そういうんじゃないよね? そしたら、学校? 学校の、誰?」 「ちょ、青」 「ね、みつ。俺、嘘つくの上手いよ? ずっと、何年もずっと、みつのことが好きなのを島さん以外の誰にもバレずにいたくらいには、上手に嘘つけるよ? 嘘が下手だと思った? みつのほうがよっぽど下手くそだよ。嘘、つくの。なんで、あんな顔してバイバイなんて言うの? あんな下手な嘘で俺が諦めると思った?」  青の声はいつだって甘くてふわふわした綿飴みたいに優しかったのに。 「誰?」  青の声が怒ってる。 「もしかして……俺に告白してきた、あの一年の子?」 「!」 「……そうなんだ」 「ちょ、青!」 「本当に、みつは嘘が下手だね」  押し倒して、俺の手首をベッドに押しつけていた手がどいた。そして、青が立ち上がって歩き出そうとするから、慌てて、その手を掴む。今、青が行こうとしているところに行かせるわけにはいかないから。 「みつ、邪魔しないで」 「青! 何するつもりだよっ!」 「何って決まってる。みつのこと泣かしたんだから。同じように泣かすよ」 「青っ! そんなことっ!」 「知らないよっ! 俺にとっての全部はみつだ!」  青の大きな声にビクンと跳ねた身体。こんな大きな声、普段の青は決して出さない。保育園に行ってた頃だって、子ども同士で喧嘩になっても、どんなに青は悪いことなんてしてなくても、争うことを避けたいからと我慢していた。声を荒げることなんて、一切なかったのに。 「俺にとって、みつ、だけが大事なんだ。ずっと、今までもこれからも、それは変わらない」 「俺だってそうだ! だから! だから、別れないと……」 「みつ?」  別れないと、青の夢が消えてしまう。俺はそんなのイヤだから。青のためだったら、俺はなんだってするから、だから、我慢しようって。 「みつのバカ」  そうだ。青のことが好きで隠しきれなかった大バカだ。 「ひとつ、大事なこと、忘れてる」 「……」 「俺が製菓の学校に行きたいのも、毎日の四時起きができたのも、全部」  どうしよう。青。 「全部、みつと一緒にいる将来に繋がるからじゃん」 「……」 「それなのに、一番大事なみつがいなくて、どーすんの?」  君に大きな声を出させて、声を荒げて人を驚かしたり、傷つけることをとても嫌がるはずの君にこんなことをさせて、すごくごめんって思うのに。どうしよう。 「ごめっ、ごめんっ、青、好きだよ」 「……」 「青のこと、大好きだ」  嬉しくてたまらない。甘くて優しい青を凶悪に変えてしまえることがたまらなく嬉しい。 「みつ」 「ごめん。青」 「本当に?」  行かせないようにと抱きついて阻止していた俺を包み込むように青の腕に抱き締められた。ぎゅって、息が苦しくなるくらい力強く抱き締める腕に、自分からもすり寄って、身体を丸ごと預ける。 「うん。好きだ」 「もう、お願いだから、みつ」  この腕をもう離さないってふたりで抱き合って。 「もう、バイバイなんて言わないでよ」 「……青」 「お願いだから、じゃないと、俺、本当にどうかしちゃうから」  青の声がたまらなく切なくて、愛しさが溢れて、零れて、昨日まで流し続けた涙みたいに止まらなかった。

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