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第97話 夜のピクニック

 トイレに行こうと、夜、そっと下へ降りた青におばあちゃんから声をかけた。ふたりでゆっくり話がしたいと、おばあちゃんが青を部屋に招いた。  ずっと長年疎遠だった幼馴染、家は斜め前だったにもかかわらず、小学校からずっとつい最近まで知らん振りだったのが、どうしてここで急に近くなったのか。そして、急に働かせてくださいと申し出た青の行動はとても不自然に思えた。  部屋に招かれて、ふたりっきりになってすぐ、何を考えているのかと尋ねられ、睨まれた。でも、青はおばあちゃんの険しい表情も気にせず、ただ、答えた。 ――お孫さんをください。  そう言ったんだ。臆することなく、ただ真っ直ぐに。きっとその時の青は世界一カッコよかったと思う。  ねぇ、青、カッコよすぎて、君は俺にはもったいないくらいだ。もったいないから、だから、手を離さないように、誰かに持っていかれてしまわないように、この手をしっかり繋いでいたいって、思った。 「泣かないで、みつ」 「バカ」 「勝手におばあちゃんに言ったりしてごめん」 「バカバカ」  青の声がまた変わった。今度はふわふわしてて、優しすぎて涙が出てくるくらい、甘い声。 「ごめん」 「謝るな、バカ」 「だって、みつが泣くから」  そんなこと言うから止まらないんだ。青はいつだって俺に甘い。今だって、うちのお母さんが作っておいてくれたご飯、チンして温めて、全部運んだりして。俺のこと、甘やかしすぎだ。 「みつのこと泣かせない。だから、ごめん。俺が泣かせてる。ご飯、食べよ? せっかく、お母さん作ってくれたんだ」 「……」 「みつのお母さんが作る生姜焼きってめっちゃ好き」  にこっと笑って、お肉をぱくりと食べる青を見つめて、涙がひとつ、「はい、これでおしまい」とでも言うように水音がしそうなくらいに大きな雫になって落っこちた。そして、ぴたりと止まった。  青があまりにも楽しそうに食べてて、もう夜中の十二時なのに、それ見たら急にお腹が空いたんだ。 「俺も、食べる」 「うん。食べよ食べよ」  うん、って、返事をしながら、ズビッて鼻を鳴らす。そんな俺を見て青が笑って、指先で頬に残った涙の粒を拭ってくれた。 「俺、ずっと、お腹空かなかったんだ」 「……」 「青にバイバイ、って、言ってから、ずっと何も食べたくなくて、喉も渇かなくて。こんなに泣きっぱなしなのに、ずっと涙が溢れてくるのに、水も飲まなくて。そのうち干からびるかもって、でも、青が食べてるの見たら、急に空いてきた」  だってさ、こんな美味しそうに横で食べられたら、食べたいって思うよ。夜中で、ベッドの上で、生姜焼きと、キャベツの千切りと、それにご飯。大盛りにして、納豆まで持ってきて。がっつり普通の夕飯なのに、青と向かい合わせに座って、テーブルなしで食べてたら、思いっきり部屋なのに、深夜なのに、ピクニックに来たみたいに楽しく感じる。 「……美味しい」 「……みつ」  青の隣でご飯食べたら、いつだってピクニックみたいに楽しいんだろうな。毎日、こんなふうに感じながらご飯を食べられたらとても幸せだ。 「毎朝四時起きも、おばあちゃんに嫁イジメされても、楽しいって思ったよ。みつが隣にいてくれたら、俺、きっとなんでもできると思う」 「……」 「ホントだよ?」  青はカッコいい。女子にすごくモテてて、優しくて、料理も美味くて、クッキング部で作ったお菓子を差し入れする時なんて、ちゃんとラッピングまでしてくれる女子力レベルの高い、イケメン男子で。でも、こんなふうに笑ったっけ? 「みつんちの生姜焼きって甘口だよね! 俺んち、砂糖入れないから、もっと醤油―って感じなんだ。それも好きだけど、でも、みつの甘い」  こんなふうにドキドキして、なんか、重力なくなっちゃったみたいにふわふわしたっけ? 「甘い……」  気が付いたら、キスしてた。 「俺も生姜焼き得意だけど、しょっぱいの作ったことない」 「……」 「だから、いつか、おばさんとこに習いにいかなくちゃ、だ。一生、青に作ってあげるから、教えてくださいって」  そしたら、青は二種類の生姜焼きを食べられるだろ? 甘いのも、しょっぱいのも、全部。そう言って笑ったら、急にタコみたいに頬を真っ赤にして、もうあまりセットされてない、キャラメル色の髪をくしゃくしゃにしてしまった。 「もう、みつ、ズルだよ」 「?」 「また、したくなっちゃったじゃんか! みつのこと抱き締めたいじゃんか! でも、全然ご飯食べてないっていうし、それに、わかってた!」 「え?」  俺がこの数日で痩せてしまっていたことを青はわかってた。抱き締めて、腰の細さに切なくなったんだって、口をへの字に曲げている。 「青」 「ごめん。俺がもっと」 「ううん」  しっかりなんてしなくていい。大人になんてならなくていい。そのうち嫌でも大人になるよ、きっと。一緒に並んで歩けばいいよ。隣で青がご飯を食べてくれるのなら、俺はいつも楽しく美味しくご飯を食べられるし、笑っていられる。ただ、この前は、それに気が付かなかったんだ。とても身近にあったのに、日常にたくさん置いてあったのに、俺はその宝物に気がつかず、青をこの宝物から遠ざけてしまうところだった。好きっていう宝物が、たくさん、今、このベッドの上にも、廊下にも学校の教室にも、図書館で告白を綴ったシャーペンにも、たくさんくっついてた。それを一番大事な青から取り上げてしまうとこだった。 「ずっと、一緒にいよう」  ずっと、一緒にピクニックみたいなご飯を食べよう。 「おかあさーん! いってきます!」 「いってらっしゃい! 今日は元気ね。ふたりとも、お弁当、仲良く食べるのよ」 「うん。ありがとう」 「いってきます」  寒いのに、温かかった。 「おばあちゃん寝坊してたね」 「そりゃ、そうだよ。いつもはあんな時間に起きてないもん」  青が頷いて、クスッと笑ったら、ふわりと白い吐息が辺りに広がった。昨日、遅くまで青と話していたおばあちゃんは今朝珍しく起きてこなくて、お母さんが心配してた。そしておばあちゃんは心配されてるところを俺たちに見られて、ばつが悪そうにムスッとしてた。  俺が思うに、おばあちゃんは青といるとペースが乱されるんじゃないのかなぁ。最近のおばあちゃんは少し可愛いって思うから。 「お弁当なにかなぁ」  寒そう。青の鼻が赤くなってる。でも、朝日が降り注ぐ青の横顔はカッコよくて綺麗で、見惚れてしまう。キャラメル色の髪が冷たく澄んだ空気の中、日に照らされてキラキラしてた。 「……あんま見ないでください」 「え?」 「照れます」  モテ男子のくせに見つめられるくらいのことで照れて真っ赤になって、顔をマフラーで隠してしまおうとするから、慌ててそれを阻止して困らせてみた。 「俺も! 見るからね! そんなに意地悪するんなら! ガン見するからね!」  青が怒りながら照れて意味のわからない対抗心を燃やした時だった。 「……あ」  彼女がいた。一年生の、青に告白をした可愛い女子。その子がどう見たって、別れたようには見えないほど、楽しそうに笑う俺たちのを見て、目を見開いた。 「あっ! ちょっ!」  そして、信じられないって顔をしながら、その場を走って行ってしまった。 「俺は、気にしない」  きっと彼女はあのまま走って学校に行って、友だちに話す。そして、青の家にだって。 「みつは?」  きっと、知られてしまう。それがとても怖かった。進路のことも、周囲の反応も、とても恐れていたはずなのに。 「……いいよ」  でも、今も少し怖いけれど、怖いよりも「好き」な人が隣で笑っていることの嬉しさのほうが大きくて、俺にとっては大事なことだった。

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