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第102話 この好きは限りなく透明で、けれど、たしかにこの手の中に

 キンと冷えた体育館。朝、ここに入場した時には白い吐息があっちこっちで見られたけど、もう今は底まで冷え切ってはいないらしい。  それでも、寒いけど。  卒業式――今、ひとりひとりが卒業証書を受け取っているところだ。俺は宇野だから、青よりも先に呼ばれる。おばあちゃんも来るって言ってたっけ。わざわざお店閉めてまでいいよって言ったけど、でも、ちょっと、やっぱり嬉しいかな。  高校を卒業して、四月から俺と青は無事、製菓の専門学校へ通う。ちょっとだけ遠いけれど、青と一緒に通学だから、別に苦にならないし、逆に楽しいだろうから、長くてもかまわない。学校で二年間みっちり勉強して、卒業したら、宇野屋で働く。そしたら、お母さんはのんびり庭でガーデニングができるって嬉しそうだった。しまいには、俺たちがもうふたりで店やっていけそうなら、お父さんも引退して、おばあちゃんも連れて、田舎に引っ越すのもいいなぁなんて言ってた。ずっと不可能だった大きな犬を飼って、庭で野菜作って、のんびりしたいなぁって。まだ専門に入ってもいないのに気が早くて苦笑いだよ。  でも……うん。すごく嬉しい。なんか、青と一緒にお店をやってくことを歓迎してもらえてる感じがして、嬉しいんだ。 『三年、C組』  担任の声が体育館に響き渡った。うちのクラスの番だ。俺は宇野だから。 『宇野充』  立ち上がってから「はい」って返事。そして、井上の後ろに並ぶ。  バスケ部だから、ここでたくさん練習したんだなぁって思った。この舞台のところに荷物放ってバスケしてた。最初から最後まで騒がしいゴリラ益田のせいで、いつも部活は楽しくて、練習しんどい時のほうがたくさんあったはずなのに、早く練習終われって思ったことが山ほどあったはずなのに、なんでだろう。今、思い出すのは楽しいことばっかりだ。あとバカなこと。中原さんにも教えてもらえたっけ。あれ、すごい貴重な体験だった。 「卒業、おめでとう」 「あ、りがとうございます」  予行練習でやったとおりに卒業証書を受け取る。  中原さんは俺と青のこと、普通に受け入れてくれた初めての人だった。すごく嬉しかった。また、会えるかな。あ、でも、七夕になったらゼリー買いにうちの店来てくれるでしょ。うちの、店に。そんで、その時、青を見つけてきっとパッと笑って、青は嫌そうにしながら突付かれてムキになって、そんな青に中原さんがきっと笑う。楽しいだろうな。 『島、香澄(かすみ)』 「はい」  島さんの番だった。今日が一番気合入れて髪の毛アレンジしてくると思ったのに、今日は何もしてなかった。ただ、ストンと真っ直ぐおろして、壇上に上がる度のその髪がサラサラ揺れてる。  島さんってさ……変わってるよね。  すごく可愛いんだ。今日だって卒業式終わったらあっちこっちから声がかかって大人気になる。クッキング部の後輩がきっとたくさんお菓子を持ってくるだろうし、花束てんこ盛りになるだろうし、モテるのに。この式の後にクラス全員で行くことになってるカラオケではめちゃくちゃ渋い選曲するんだろう。そんで、島さんコンサートがめっちゃくちゃ盛り上がる。可愛いのに、残念っていうか、逆に残念じゃないっていうか。あと、彼氏はいまだに謎のまま。結婚式とか、呼んでもらいたい。どんな人なのか、とりあえず興味本位で申し訳ないけど、この島さんとずっと付き合う人だから、すごい人なんだと思う。  クラスメイトがひとりひとり呼ばれていく。すごく楽しかった。毎日忙しくて楽しくて、笑ってばっかりだった。 『深見、青葉』  きっと、その全部は青が隣にいてくれたからだ。  青のことを好きになった人ってどれだけいるんだろう。告白、たくさん、されたんだろうな。最近は、黒髪ショートの彼女の存在が浮き彫りになったおかげで、告白されることがなくなったけど。あ、その企みも島さん発信だ。やっぱり、あの人は変な人だよ。あの一年生女子のこともそう、色々、影で暗躍してる。島さん恐るべし。でも、青と俺のことを守ってくれた、俺たちの「好き」をずっと守ってくれた、親友だ。 「……」  青がちらりとこっちを見て、俺はその視線にまるで頬を指先で撫でられたみたいにくすぐったくなって、心臓が飛び跳ねる。顔、熱い。もぉ、青のせいで、真っ赤になった。卒業式に顔真っ赤にしてたら、なんか感動して泣きそうになってる人と思われそうだ。  でも、本当に感動してるんだけど。  青のことを好きにならなかったら、きっと、卒業式も淡々としてた。でも、青と手を繋いで一緒に歩くようになったら、あっちもこっちも楽しいことばかりになって、キラキラ輝くものだらけになった。眩しくてしかたない。  青と同じ高校でよかった。 『以上で卒業式を終了します』  青を好きになって、俺は幸せだ。 「うわあああああん! 絶対に、和菓子買いにいくからね!」 「ありがと、小坂さん」 「俺も! 買いにいく!」 「益田はいいよ。来なくて」 「なんでだよ!」 「うるさいからだよ」  卒業証書と花束と、あと笑い声がまだ春って呼ぶには少し寒い空に広がっていく。 「小坂さん、次、同窓会とかで会う時は、青と一緒に作ったスイーツお土産に持ってくから、楽しみにしてて」 「俺も!」 「益田は同窓会呼ばないってば」 「んなっ! なんか! 冷たくないか?」 「いいんだよ」  そんな非道なことを言って笑ってるのに、益田も楽しそうに笑ってるんだから。 「あ、なぁ、充。あの子、来るのかなぁ」 「あの子?」 「ほら」  黒髪でシュートの、ごにょごにょごにょ。そこで照れられても。益田が言っている「あの子」は今、目の前にいるんだけど。 「来てるよ」 「あ、モテ男子、深見。見事にボタン取られまくってるなぁ」  あっちこっちに捕まりまくってたのは、島さんだけじゃない。青も同じように捕まっていた。手には抱えきれないほどの花と、ちょっとプレゼントまで。彼女いるって言っててもこれなんだ。いないと思われてたら、それこそ身包み剥がされていたかもしれない。 「俺の彼女? 来てるよ」 「ええええ? マジで? 紹介しろよ!」 「そのうちね」  にこっと笑って何を言ってるんだよ、青は。そのうちねって、俺、もう女装は絶対にしないから。恥ずかしいし、十九、二十歳になってもあの格好してたら、危ないだろ。捕まる。 「今はダメ。俺だけが独り占めしたいから。大事な人なんだ」  ちょ、青ってば、何を間接的に。 「すごく大事な人だから、まだ、内緒。俺の宝物なんだ」 「……ふ、ふか、深見」 「みつ、行こう」 「へ?」  青のキャラメル色の髪が少しだけひんやりとした三月の風に揺れる。その風をとても冷たいと感じるのは、俺の頬が熱いからかもしれない。 「行こう」  青とこれからも、ずっと、一緒に歩いていける。そんな未来がここから続いてるんだって思ったら、感動してしまったんだ。 「みつ」  この手を取って、繋いで、並んで歩いてくふたりの時間。春も、夏も秋も、冬も、全部、何度も何度も巡る季節を青の隣で眺めて笑って、たまに泣いたりとかもするのかな。でも泣いたらこの手で拭ってもらおう。怒ってしまうようなことが会ったら、その手でぎゅっと抱き締めてもらおう。  笑えることがあったら、半分にして、ふたりで分かち合って、もっともっと楽しくなろう。 「青」  青と一緒ならどの季節もきっとキラキラ輝いてる。 「手、繋ごう」  好きの気持ちは目に見えないけれど、ほら、たしかにここにある。フワリと優しく、この繋ぎあった手の中で、ゆっくりのんびり育っていく。 「うん」 「すみませーん、あおみつ、くださーい」 「はーい!」 「白玉みっつ、よもぎ、みっつ」  小さな、女の子。うちの常連さんだ。餡子が少し好きじゃないけど、ここのは好きって笑ってくれた歯に粒餡がひとつくっついてて可愛かった。 「ママは、お魚屋さん?」 「んーん。八百屋さん。長ねぎ買うから待っててーだって」 「そっか」 「あれ? もうひとりのカッコいい人は?」 「今、ご近所のケーキ屋さんに行ってるよ」  店の前にある竹のベンチ座って、楽しそうに脚をブラブラさせながら、あおみつを食べてる。ママが買い物をしてる間、見てるだけしかできないですけどいいですよ、って俺が言ったんだ。  彼女は、和菓子屋さんなのに、ケーキ屋さんにおつかいなの? と、不思議そうな顔をしながら、よもぎ団子と餡子をスプーンで上手にすくってぱくりと食べた。 「あおみつ、おいしーっ!」 「ありがと」 「どういたしまして。いっちばん、好きなの! あおみつ。おいしい! ねぇねぇ、おにいさん! これ、どうして美味しいの? 餡子、嫌いなのに」  俺も餡子好きじゃないんだ。面白いよね。和菓子屋の息子なのに、餡子が苦手って。でも、青が作る餡子は好きなんだ。すっごく甘くて、甘くて、昔ながらの宇野屋の餡子なのに、何が違うんだろう。でも、青が作るお饅頭は毎日だって食べられるんだよ。それはやっぱり――。 「それはね……」  彼女が美味しさの秘密を知りたくて、目をキラキラ輝かせる。 「ただいまぁ。みつー、みつの好きなチョコ! 実家からもらってきたよー」  大好きな人と笑顔で作る「愛の結晶」だから、なのかもしれない。 「おかえり、青」

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