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柏餅入あおみつ編 5 未来プラン

 撮影はたったの二日間。  もっとかかるんだと思ってた。一ヶ月とか二ヶ月とか。  ちょっと拍子抜けしてしまった。青は二日でよかったと心底胸を撫で下ろしていたけれど。  失礼な話だ。二日だろうが一ヶ月二ヶ月だろうが、俺はどんな世界一の抱かれたい男相手だって、好きになったりしないのに。 「……え?」  俺が好きなのは。 「そんなわけで、お父さんとお母さんとおばあちゃんは新しいおうちの見学に行ってきます」 「えぇ!」 「だって、撮影もあって、お店やれないでしょ?」 「えっ、でもっ!」  良さそうな物件があったんだって。田舎で大きな庭付き、もちろん大型犬だって飼えちゃうような。家庭栽培もできるし、おうちの方も大きいから、小さなレストランくらい開けそうだって。パン屋もいいね、なんてお父さんと話してたんだって。高原のパン屋さん、みたいな感じ。でも、やっぱり住むとなるとじっくり見学をしてしっかり吟味したいから、いつか内覧もしなくっちゃねって話してた……んだって。 「もう実質、二人で切り盛りしてるんだし。大丈夫よ」 「でも」  いいの? だってさ、そしたら。 「大丈夫。二人ならしっかりやっていけるでしょ?」 「……」 「和菓子も作らなくちゃいけなんでしょ? 短時間の営業と、だから、ちょうどいいじゃない。丸二日、二人でお店をしっかりやってみなさいな」  いつか、そうなる予定だった。  うちのお父さんとお母さん、それからおばあちゃんはここを引っ越して、のどかな場所で今までできなかったことを満喫するんだって。楽しそうに話してた。青のおじさん、おばさんは今のお店を畳んで、一軒家に作り替えて、そこでのんびり暮らすんだって、楽しそうに話してた。リフォームも中々できなくて、そろそろって考えてた頃だからちょうどいいタイミングだったわって。  どっちも楽しそうに話してた。  でも、その未来プランはまだ少し先、そう思ってたんだ。  まだ、もう少し先のことで、今すぐじゃないからって。  それが急に今すぐ、目の前に持ってこられても戸惑ってしまう。 「撮影は明後日からでしょ? 私たちもスタッフさんにご挨拶したら、そのまま出ちゃうからね」  お店はやりたいって決めてる。宇野屋を青とやっていきたいって、思ってる。青のことも大好きで、これからもずっと好き。ずっとずっと。  でも、まだ少しだけ、心の準備ができてないんだ。  そんな未来プランはすごく大きな決断でさ。まだちょっと足踏みしてしまうんだ。 「それって、マリッジブルーね」 「ぇ?」  島さんがお店に来てくれた。鋭いよね、彼女。  青なら厨房で和菓子作ってるよって言っただけなのに、「どうしたの?」なんて言うんだ。俺の顔を見て、普通にしていると思ったのに、青だって気が付かなかったのに。 「まぁ、私はなったことないけど」  島さんがカウンターのガラス越しににっこり笑った。 「いいのかな? っていう、漠然とした不安、って感じでしょ?」 「……」 「そりゃそうじゃない?」  彼女はいっつもあっけらかんとしていて、強くて、見惚れてしまう。今日だってびっくりしたんだ。ものすごいベリーショートになってて。高校の時はとても綺麗なロングヘアーだった。毎日綺麗に、そして俺には全然どうしたらそうできるのだろうって器用にまとめ髪をしていた。卒業式くらいかな、真っ直ぐに髪を下ろしていたのは。  自慢の髪、なんだろうって思ってた、その髪をバッサリと見事に切っていた。 「新しいことをする時は誰だって、ドキドキしたりするでしょ。知らない場所を進むのってさ、すごいドキドキして、帰りは、あれ? こんなに近い場所だったっけ? って、なんだか帰り道の体感時間の違いに驚いたりしない?」  する、かもしれない。行きはすごい長い距離を歩いた気がするのに、長いこと電車に乗っていた気がするのに、帰りは、こんなにすぐに帰ってきちゃった、って驚くんだ。 「島さんもそういうことあるの?」 「そりゃあるでしょー。人間だもの」 「島さんって」 「人間です! 宇宙人じゃありませんっ!」  違ってたんだ。美少女なのに中身があまりに悪戯好きの変な人だから、中にこの美少女を操っている小さなおじさんでも入ってるのかと。 「あるわよ。このベリーショートだって、長い髪の方がよかったのに、なんて言われたら、やだなぁって」 「……」 「ずっと髪、切りたかったの。だからずっとまとめ髪してたんだけど。バレエやってたから髪切れなくて」 「バレエやってたの?」 「そう、親がやれって。親がバレエ教室の先生なのよ」  バレエやってて、あんなに料理が上手で、こんなに可愛いなんて。 「でも私本当は料理人になりたかったの」 「え? そうなの?」 「そ、だから邪魔になる髪はバッサリ切った。惰性でバレエを続けてた自分との決別ってやつ」 「……」 「ずっと辞められなかったの。親はさ、バレエを一生懸命教えてくれてて、バレエも好きよ? 楽しいよ? でも、やっぱり私は料理で食べてきたい、そうずっと思ってて。でも親に申し訳ないないなぁって」  それ、なんだ。申し訳ない。俺もそうなんだ。 「でも、その申し訳ないって思う分、もっと頑張らないとって思う」 「……」 「あ、ちょっと話ずれちゃったけどさ。そのマリッジブルーを少し軽くする実験、してみない?」 「え?」  うふふ、そう島さんは笑って、ベリーショートにしたらとても映える耳からぶら下がる淡いピンク色の石のついたピアスがきらりと光った。 「みつー、よもぎ団子追加作ったよー……みつ?」 「……」  ――ただ黙って手を差し出してみて? 「みつ?」 「……手? 何?」  ――その手をスッと握ってくれたら、疑わず、思考せず、みっちゃんの隣にずっといる。 「ありがと……青」 「?」  ――それに手を繋いでくれる人がいたら、どこに行くのだって怖くないでしょ? 二人なんだもん。 「どういたしまして、みつ」  二人なんだもん。

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