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第10話 境界越え
「…の…め…、し…のめ…」
遠くから声が聞こえてくるような感覚を、沈んだ意識の中で徐々に覚え始める。その声はよく聞くと、知っている声であり友人の甘崎一誠のものであると気づきつつあった。
「東雲!大丈夫か、返事をしろ!」
(甘崎…)
その声がはっきり聞こえてくる頃、横に倒れていた身体が仰向けにされたのを感じて、首筋、胸の中心の辺りを触って何やら確認しているようだった。
「心拍は通常通り。呼吸もある…後は意識だけ…」
「う…うう…」
「東雲!」
どうやら倒れているのを見て呼吸や脈拍を確認されていたらしいことに気付き、冬夜は頑張って意識を表層へと引っ張り上げて薄く目を開けた。
「気がついたか。東雲!」
ぼんやりとした視界の中で、一誠の美貌が徐々に明瞭になっていく。腕を軽く持ち上げると、一誠が冬夜の身体を引っ張り上げ起こすのを手伝った。
「俺、突然倒れて…」
「それなんだが東雲、お前が倒れている間に大変なことが起こった」
「な、に」
「見てみろ、周りを!」
一誠にそう興奮気味に促されて、冬夜は周囲を見渡して見た。すると、靄がかかったような思考が一瞬にして明確なものとなり、周囲の景色の異常さを目の当たりにした。
「な、な…何処だよ!ここ!」
二人は大学の森林にいたはずだった。それなのに今二人を取り囲んでいる景色は、全く二人の知らない光景だった。冬夜が横たわっていたのは、寂れた聖堂のような建物の前。凶器のような尖塔の建物で、人の気配はなく、その周りには西洋の墓石のように見えるものが建物を取り囲むように放射線状に並べられていた。その光景は遥か地平線の先までも続いているような途方も無い規模だった。
「き、気味が悪すぎる…」
それに空気もどこか淀んでいて、死臭の漂うそこから一秒でも早く離れたいと思った。
「儀式が…あの実験が、成功したんだ」
「儀式ってあの魔界の扉を開くとかいう…」
冬夜が恐る恐ると言った様子で言葉を紡ぐのに対し、一誠の目には新大陸を見つけた船乗りのような輝きが満ちていた。
「ど、どうすんだよこれ!俺巻き込まれてんじゃん!」
「そういえば、そうだ!………………あの…誠に申し訳ない」
「ガチで申し訳なさそうな顔するなよ…」
いつまでも土の上で座っているわけにもいかず、冬夜は立ち上がる。立ち上がっても、墓石の並びの向こう側が見えず、冬夜は気が狂いそうになる。なので、反対に聖堂のような建物を見遣った。
すると、ぴら、と一誠が何やら一枚の紙を冬夜に差し出してきた。
「それを、念のために持っているといい。魔界でも正気を保つためのおまじないが書かれた私特製魔術刻印」
「甘崎は?」
「私は…まあ内容全部覚えてるし」
冬夜はあっけらかんと笑う一誠を見て、ようやく自分はもしかしたら余計なことをしてしまったのではないかと気がついた。しかし、実際に悪い予感通り一誠は異次元に飛ばされた。
冬夜はオカルトの分野に関してはまるで知識がない。頼れる者は最早一誠しかいなかった。
しかしその時、突然二人の足元の方から嗄れた老婆のような声が聞こえてきた。
「まさか本当にただの人間が境界越えを成功させるとは、本当に恐れ入ったよ」
二人は咄嗟のことに驚きながらそれぞれ足元から後ずさり、声の下地面をみやった。
それは、一誠が初めての実験の際に得た蝙蝠のミイラ。ガラスケースに入っているはずのそれが、ガラスケースの縁に止まり大きく黒い羽を広げていた。
「あれ、ヴァンプちゃんケースから出てる!?」
「その辺な名前で呼ぶのはやめい!!人間の魔術師!!」
「甘崎、ミイラに名前つけてたのか…しかもヴァンプちゃん…って」
冬夜は目の前に現れた光景に対して周回遅れで驚きの声をあげた。
「喋った!!?」
「うるさいぞ小姓!!」
「ガラスケースの中が空だな。見た感じ骨格も羽根についた傷も私が標本にしたのと一致しているし、間違いなく同一人物、いや同一蝙蝠か。それにしても…」
気が立っている様子の喋る蝙蝠に冬夜が後ずさりしていると、目を輝かせた一誠がその蝙蝠を掴み、興奮したようにまくし立てた。
「人間並の発声ができるだけでなく、言語まで行使するなんて!人類に比較的近い種と言われている類人猿ですら言葉を使わないというのに!これはとんでもないサンプルだ!」
「ぎゃああああーーー!?」
一誠のギラギラとした探究心の塊たる視線を向けられて、流石の不思議面妖生物も本能的な恐怖を感じたのか、断末魔の叫びのような声をあげた。
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