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第30話 会えなかった二十年

「そういえば、俺、なりゆきでこっちにきたけど、帰る手段はないんだったな……」  ハーブの湯に浸かって、気持ちの良い風呂上りの気分に浸っていたところ、ふと冬夜が直面している問題のことを思い出し、呟いた。  二人は丸テーブルを挟んで座り、朝食を摂っている。卵と照り焼きチキン、レタスなどが挟まれたサンドイッチだ。魔界といえども、食事は普通らしい。美味しいサンドイッチを一つ食べ終わった冬夜が、そんなことを口にしたのでアシュレイは寂しげな表情を浮かべた。 「冬夜にも、自分の生活があるものな……」 「後夜祭の時にこっちにきたから、まあ今日は向こうでは休日だ。だけど、平日になっても大学に顔を出さなかったら、誰かが俺の不在に気付くかもしれない」  地味で目立たない冬夜だが、別に突然消えていなくなって誰も歯牙にもかけないというような、極端に存在感の薄い人間ではない。友人の何人かは姿を見せない冬夜を心配し、自宅を訪ねてくるくらいはするはずだ。 「心配させるのも申し訳ない」 「そのことなんだが……実は、魔界の時間の流れは人間界より大分緩やかなんだ。こちらで一日を過ごそうとも、人間界ではまだそれほど時間は経っていないはずだ」 「そうなのか!?そんなありがちなことが……!」  冬夜はひとまず安心する。何より気がかりだったのは、自分がいなくなって心配するだろう家族と友人のことだったからだ。 「あの甘崎という男……無理やり人間界から魔界への扉をこじ開けたらしいが、そんな無茶が出来たのは偶然としか思えない。あの男がなんらかの帰る手段を考えついたとしても、頼るのはおすすめしない」 「だよなあ……あいつ、結構向こうみずで突拍子もないし……」  冬夜が呟くと、アシュレイはじとりとした目つきを向けてきた。 「次魔界と人間界の波長が合うのは城の占い師によると……三年後だ。それまで冬夜はここで暮らせば良い」 「三年!?え、それって人間界ではどれくらいの時間が経っている?」 「大体……六日くらいだろうか」 「それでも……六日……なあ、アシュレイにとっては俺と会った日からどれくらい経っているんだ?」  そう問いながら、冬夜は頭の中で計算した。人間界の六日で、魔界では三年の月日が経つ。人間界の一日で、魔界では182日半経過していることになる。  冬夜がアシュレイと会ったハロウィンの日から、すでに一ヶ月は経過している。 「もう、20年になるだろうか……人間界で出会い、別れて、それくらいの月日は経ったと思う。魔界人にとってそれくらい、なんてことない時間だが……随分長かったように思える」 「アシュレイ……」 「俺にとっては、望外の再会だった。後三年待てば、冬夜に会いに人間界へ行ける。そう思いながら過ごしてきた」  冬夜が忘れられずに過ごしてきた一ヶ月などとは、比べ物にならない時間だった。もしかしたら、それくらい時間が経ったなら自分のことなど忘れているだろうとすら考えた。  だけど、アシュレイは20年経っても忘れずにいてくれた。  その事実を知った冬夜の中に溢れ出た愛しさがどれほどのものか、例えようがない。 「アシュレイ……俺……」  机の上で手をぎゅうっと握りしめていると、アシュレイの大きな掌がその上に重ね合わされた。その時冬夜が見たアシュレイの微笑みは、何者にも勝るほどに美しかった。 「冬夜が問題なく人間界に帰れるように、予定を前倒し出来ないか方法を探してみよう。だから……それまで、俺と一緒に居てくれるか」 「……うん」  帰ったら、また長い時を離れ離れで過ごすのだろうか。そんな考えが頭をよぎった途端、人間界へ帰るという意志が揺らぎかけたのを、アシュレイによって繋ぎ止められた。  せめて、悔いのない時間を過ごそう。  もしかしたら、これで最後になるかもしれないと思ったからだ。

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