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第36話 お茶会
服を元のように整えて、アシュレイに手を差し伸べて貰って立ち上がった冬夜だったが、流石に白昼に身体を重ねた余韻は顔から引くことがなかった。
東屋に行くと、湯気立つ温かいお茶とお菓子が用意してあって、紅茶を一気に飲み干したことで、喉が渇いていたことを自覚した。
「美味い」
「慣れた物を口にした方が安心するかと思って、人間界で買った茶葉を使ったんだ」
「これもそうなんだな。ありがとう」
さく、と目の前でクッキーを食べるアシュレイを見ていると、ハロウィンの夜過ごしたひと時を思い出す。
「このクッキーも?」
「それは、ジュリオが作ったんだ」
「魔界って言うからには何もかも人間の世界と違うと思ったけど、食べ物はあんまり大差ないんだな」
「大公爵が定期的に視察に行っては文化を持ち帰ってくるからな。それに、魔界より、人間の世界の食べ物のほうが美味いんだ」
「こっちの食べ物って、どんなのがあるんだ?」
「……あんまり聞かないほうがいい」
冬夜は何げなく魔界の食べ物について尋ねてみるも、アシュレイは気まずそうな表情をして言葉を濁した。冬夜は、アシュレイ自身があまり口にしたくなさそうだと感じたので追及をしなかったのだが、思わぬ横槍が二人の会話に入り込んできた。
「人の血や精、それに魂は、古くから魔界の住人の主要な食物ですよ。ヴァンパイア族である旦那様も例外ではありません」
「ジュリオ! 主人と客人の間の会話に許可なく入ってくるな!」
「お言葉ですが、暫くこの世界に滞在する以上、魔界の住人の性質については避けては通れぬ問題です。知らぬことは、時に命取りとなりますよ」
「……ッ!」
突如発せられたジュリオの言葉と、狼狽するアシュレイの様子を目の前で眺めて、冬夜は努めて冷静になろうとした。しかし、やはり血や魂を食物とすると言われて、本能的な怯えを抱くのは止められない。若干蒼くなった冬夜に、アシュレイは弁明するように言葉を続ける。
「た、確かに、そのような側面もある。魔王ルチフェロの眷属である我々は、人の、血や魂からエネルギーを摂取する。俺も……魔界の住人の例にもれず、そう、だ。だが、生命を維持するだけなら、魔界人は別に食べなくても生きていける」
「ということは、人から摂取したエネルギーは、何に使われるんだ?」
「魔法の力になる。姿を変えたり、空を飛んだり……そういった力を行使するためのエネルギーになるんだ」
「魔法……」
冬夜はここにきてから見た不思議な現象の数々を思い出して、あれが魔法であったのだろうと考えた。
「とはいえ、魔界人の多くは直接生きた人間からエネルギーを摂取するということはない。大抵は境界に来た死した魂から獲る」
「俺と一誠が最初に迷い込んだところだな」
「ああ、だから……あんまり、怖がらないでくれるか」
冬夜は自分の顔がずっと無意識に強張っていたことにこの時気付いた。
縋るような目を向けてくるアシュレイに、冬夜は深呼吸して緊張を解く。
「はは、情けない顔してる」
「むっ」
「うん、うん……そりゃ、やっぱりびっくりしたし、本能的に怖いって思ったけど……大丈夫だな。アシュレイさえ、傍にいてくれたら」
「……!」
冬夜も普通の人間だ。この世界には人間を食い物として認識する生き物が暮らしていると分かれば、恐怖に身も竦む。だが、絶対に自分をそんな目には合わせないと分かる、アシュレイがいるなら、そんな恐ろしい世界に居ても怖くないと思った。それは、紛れもない冬夜の本心だった。
「とはいっても、やっぱアシュレイがいないと不安かもしれない……情けないことに。だからさ、アシュレイ、こんなことを頼むのは、凄く頭が高いというか、烏滸がましいことかもしれないけど」
冬夜は口を噤みそうになるのを、勇気を出して、素直な願いを口にする。
「いつか帰る日まで、ずっと俺の側にいて、くれないか」
「……冬夜、お前は本当に……」
人の魂を糧とする種族のアシュレイだからこそわかる、冬夜のその魂の類稀なる美しさ、普遍性が。
絶対に離さない、この弱く美しい魂の持ち主を。
アシュレイはその誓いを胸に、冬夜の願いを強く肯定するのだった。
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