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第10話
中学に上がり、ぼくの部屋は離れへ移された。勿論、発情期対策のためだが、思いの外発情期が来ることはなく、心のどこかで一生来ないのではないかとすら思ったくらいだった。
しかし、現実は訪れる。
忘れもしない、高校3年の夏休みだった。
今日もまた、朝から夏の太陽が容赦ない。体が火照ってだるいのも、夏バテのせいか、と考えていた。
だが、それまで碌に自慰行為もしたことがなかったぼくのそれが、目覚めると大きく張りつめていて、本能的にそれをどうすればいいのか、何を求めているのか、夢中で快感を追い求めたときに悟った。
ーーこれが、
発情期だった。
部屋中の鍵を閉め、随分昔に、念のためと処方してもらっていた抑制剤を飲む。
家にいるときに来てくれたのがせめてもの救いだった。
こんな状態で外にいたらどうなることかと恐ろしくなり、外出することが怖くなった。
ヒリヒリと痛くなるくらい自分の性器を弄っても鎮まらない熱は、更なる恐怖だった。
クーラーをガンガンにつけても熱い。
それでも眠気が襲ってくれれば、と祈りながら頭から布団を被って耐えていたときだった。
「…静」
弟の…斎の声がする。
「斎?!」
斎には前々からここへ来てはいけないと言い続けているのに、度々やってきてはどうでもいい話をして帰っていった。
口ではダメと言いながら、正直ーーやっぱりここに一人でいるのは寂しくてーー彼が来てくれるのを待っている自分がいた。
でも、今日は違う。
しっかり鍵をかけ、誰も立ち入らせないようにしていたはずなのに。
「斎、ここへ来てはダメだと何度も言っただろ!早く出てって!」
「静、気付いてないの?」
「え?」
布団から頭だけ出して斎を見る。
「静が呼んだんだろ…」
「何…?」
いつもの斎とは違う、ギラギラした野生的な目付きにぼくは本能的に怯えた。
近づいて、耳の後ろに鼻を寄せている。
オオカミのが獲物の匂いを確認しているような、そんな様子に、ぼくは体を硬直させた。
ーーヒートだ…
直感で悟る。
ただでさえ体格差も腕力の差も著しい。
そんな斎に、どう対抗すればいいのか。
そんなこと、できるはずがない。それがぼくの…Ωの宿命。
「この匂いだ…」
「い、つき…?」
「この部屋中、いや、外にまで漏れてる。静の匂い」
ドサッ
押し倒され、仰向けになると、目の前に斎がいた。
「ば…ばかなこと、斎、落ち着いて…」
「静だって、本当は欲しいんだろ」
じゃなきゃ、こんなに甘い、罠のようなフェロモン出さねぇよ、
そう人形のように呟いて、既にいきり立っている自身を晒した。
「ほら、オレ、もう、我慢できない」
乱暴に下を脱がされる。
「斎、やめてお願い、斎…!」
斎の指がぼくの孔を弄る。
性急な愛撫に無理矢理高められる。
「っ…あああ…あっ、ダメ、いつきっ…」
「こんだけぐちょぐちょなら大丈夫だな」
「えっ」
まだ解れきっていない後ろに、強引に斎が己の欲を捩じ込む。
「やあああっ、ダメ、痛っ、痛い、いつ…っ、ああ」
稲妻に打たれたように強烈な痛みが走る。
だがそれも最初のうちだった。
中を斎が掻き回すうちに、腰が蕩けだす。
「…ああっ、ん、ぁぁ…」
「静、すごい、締め付けてる…」
初めて経験する快感。
斎の腰が余裕なさそうに速くなるたび、全身の力がその孔に集中しているかの如く、そこだけはぎゅっと、他は弛緩したように力なく揺れる。
「あ…」
いつの間にか硬くなった自身の前を、欲望のままに扱き上げる。
「っは…あっ…ぅぁあ…」
そこはすぐにビクビク、とだらしなく白濁した液を零した。
すると不意に、後ろの方でも脈を打つような感覚がする。
「っく、イく…」
寸前に自身を外に出して、熱を放出する。
お互いの絶頂を迎えた荒い息が響く。
異様な空間だった。
「発情期って、中に出すと、性欲が治まるらしいな」
「……」
そういう話を聞いた事がある。
体が受精という目的を達成すれば、あとは欲情する必要はない。
生物としての理にかなった構造だ。
しかしーー人としてはーー体だけじゃない、こうして何かを想い、感じる心がある人間にとっては、残酷な体だ。
「そんなつまんねーことしないから安心しな」
「や…」
それから斎は何度となくぼくの体を、まるで玩具のように弄んだ。
時に激しく、時に優しく。
これまで、快楽を受け入れることを知らなかったところが、斎の手によって敏感に悦ぶ。
意識が、なにか半透明の膜に包まれたような感覚。
思考力は著しく低下した。
その分、若い体は限りがないかのように、いつしか抵抗を忘れ、まるでケモノのようにぼくの体は彼を求めるようになった。
何度目かの絶頂の後。
ふいに狙いを定めるように斎がぼくの首を撫でた。
ぞくっと悪寒が背筋を駆け、意識を包んでいたものがパンッと弾け、ぼくははっと正気に戻る。
ばっと、その手を払いのけた。
「やめて!噛まないで!」
「…」
だが、獲物を逃さんとばかりに目の奥が暗く妖しく光る。
逃げたくても、先ほどまで欲に溺れていた体は鉛のようで、全く自分の思い通りには動かない。
「父さんは犯罪者を家に置いてはくれないよ…」
「…犯罪者、だって?」
Ωの項を噛み、番にした場合は結婚しなければならない。
そう、法律で決まっている。
だが、ぼくと斎では、それは絶対にできないことだ。
斎は、手元にあったシャツを掴むと、それでぼくの視界を覆い隠した。
「斎、何す…!」
「…犯罪者、そんなの、怖くねぇよ…」
「なっ、やめっ」
目隠し越しでも、ヒート状態の斎の狂気が伝わって、恐怖で身が竦んだ。
瞬間、ぐっ、と首を圧迫される。
「…っ…くっ…」
「死にたくないならそう言え」
ーー殺される
本気でそう思った。
言葉なんか発せられる状態じゃない。
「番なんか関係ない、そんなもの…静が死ぬも生きるもオレ次第だ…」
たまたま、運がよかったのだろう。
いつものように夕飯を持ってきた使用人のタキが、チラっと部屋の様子を覗いたのは。
普段彼女がここを勝手に覗くことなど絶対にない。
だが、何やら聞こえてくる大声に、異様な雰囲気を感じたのか、そっと部屋の扉を開けるとガタ、っと手にしていた食事を落とし、その音に気がついて斎がはっと手を離す。
「…かっ、かはっ…!」
呼吸をしたいのに、ごほごほ、と咳き込むのが止まらず苦しさが続く。
「奥様…!奥様…!」
タキの慌てた声が聞こえる。
この状態を見れば、何が行われていたのか一目瞭然だ。
「斎、早く、解いて…!」
チッ、と斎は舌打ちをする。
暫くして母が駆けつけーー
「静!何してんのッ!」
バシッ、とぼくの頬が真っ赤になるくらい引っぱたいた。
何度となく我が身を呪った。
自分の運命。
自分の弱さ。
自分の行い。
ただ、普通に人間らしく生きていきたい。
それだけのことが、こんなにも難しいなんて。
それから程なくして父に「家を出て行ってくれないか」と告げられたのは、むしろありがたかった。
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