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第13話

「こら斎。ここに来てはダメだって」 オレが離れに行くと、静はよく苦笑いしながらそう言った。 その割に、離れの鍵はいつも開いていたし、本当はオレの来訪を待っていたのではないか、と勝手に想像する。 中学に上がり、静の部屋が母屋から離れへ移って、同じ家に暮らしているというのに、静の姿をとんと見なくなった。 メシの時間になってもダイニングに現れることが減り、大抵使用人のタキが静の分だけを離れに持って行っていくようになっていた。 「どうしたの?」 「別に。用がなきゃ来ちゃいけないわけ?」 「いや、用があっても来ちゃダメ…」 呼んでくれれば行くから、と電話を指す。 母屋と離れは内線が繋がっている。それを指しているのだろう。 「最近はメシにも来ねえし」 「こらこら、言葉遣いが流されてる」 流されてる、というのは、周りの友達に、ということだろう。周りが乱暴な言葉遣いだからと言ってオレがそうする必要はないーー将来、父の後を継ぐならーーということを暗に言っている。 不機嫌そうな顔をしていると、困ったように 「…高校はどう?」 と聞いてきた。 同じ高校に入学したばかり、県立の、地域で一番偏差値の高い高校だ。 その中で常にトップの成績を取る静は校内でちょっとした有名人で、時折、静の弟だと気付いた人に「似てる」と言われることがあり、言われることが嫌ではなかった。 静はオレのたった一人の兄で、オレは静のたった一人の弟。 「別に」 「もうすぐ中間だね」 「……そうだな」 嫌な話題を振られた。 「ちゃんと勉強してるの?」 「してるし」 「高校は授業進むのも早いし、最初は大変でしょ」 そう言いながら静が立ち上がり、本棚の一番上に背伸びをしながら手を伸ばす。 「なに、これ?」 ひょい、と手を伸ばし、静の取ろうとしていたノートを取ってやる。 「…あ、ああ、ありがとう」 中学の頃、すでにオレは静の背を抜いていた。 気付いた時には嬉しくて何度も揶揄ったものだ。 「これ、一年のノート。試験も纏めてあるから。斎が入ったらあげようと思って取っておいたんだ。去年のも、あ、2年のね、も、あるけど要る?失くしちゃうかな?」 「…ありがと…」 オレが同じ高校に入ると伝えたことはなかった。 なのに、一年の頃からこうしてオレのことを考えていてくれてたかと思うとーー柄にもなく少し浮かれてしまう。 ノートをくるくるさせながら見ていると 「お友達に売ったりしたらダメだよ~」 と声をかけてきた。 「しねぇよ…そんなに金に困ってねぇし…」 「だね」 ふっと笑ってオレの後ろに回ると背中を押してくる。 「はい、じゃあ、出た出た!」 母さんに怒られるよ、と追い出される。 静に押されたところでどうということもないが、言われた通り退出する。 母さんに見つかって怒られるのはオレじゃない。 静の方だ。 母は、静に対して並々ならぬ敵愾心を抱いているのを家族は皆薄々気付いている。 Ωの本能なのか、自分より優れている静に何かを奪われないよう、必死だった。 一方父は、静がαだったら、心の底でそう思っているに違いないなかった。そうすれば、優秀な静に自分の後を継がせることができた。 「人生とは上手くいかないものだ」 オレが何か失敗する度そう励ますのだが、それは自分自身に言い聞かせいるようでもあった。 「…本当だな」 「え?」 人生とは上手くいかないものだ。 中学に入って、身長が近づいて、追い越して。 静の手に届くものは何でも、オレだって触れることができた。 同じ高校に入って。 静の話を耳にすることが増えた。 なのに。 なぜだろう。 近づくほど遠ざかる。 それからしばらくして。 あれは、ある暑い日の朝。 夏休みの一日。 あまりの暑さにオレは早々に目を覚ました。 朝方にもエアコンのタイマーをセットして寝ていればよかったのだが、それを忘れたのだ。 もう一度エアコンを入れて寝直してもよかったのだが、しばし考えた後静のところで宿題でもやろうと思い立った。 適当に身支度を整え離れに向かい、いつものようにドアノブを回す。 ガチャ。 「ん?」 珍しい、鍵がかかっているようだ。 滅多にそんなことはないのに。 寝てるのか?そう思い戻ろうとしたとき、ふっと鼻孔を甘い香りがくすぐる。 これまで嗅いだことのない、甘く濃密で、脳が蕩けていくような匂いが、すきま風の吹き込む、古い日本家屋から漂っている。 ハアハア…呼吸が荒くなる。 夏のせいだけじゃない汗が流れる。 ーー欲しい。 本能が叫ぶ。 ーー静が、欲しい。 オレはすぐに父親の書斎に向かう。 ここに全ての部屋の合鍵があることは知っていた。 ガチャガチャ、と鍵を漁って「離れ」と書いてあるものを抜き出すと、再び離れへと向かった。 鍵を開けて中に入ると、外気と打って変わって異常に冷えている。 それでもオレの熱は治まらなかった。 静の匂いだ。 部屋を閉め切っていたせいで、濃密な静の匂いがこの空間を支配していた。 普段被っている理性という仮面をこともなく剥がし、本能をむき出しにさせる匂い。 「…静」 ベッドの上で布団を被っていた静が、オレの声を聞いて頭だけ出す。 「斎?!」 なぜここにいるんだ、と言わんばかりに驚いている。 そしていつもと違う潤んだ眼差し、少し掠れた声。 オレは本能のままに静を抱いた。 最初は抵抗をみせたが、次第に自分の欲望に素直に快楽を受け入れるようになっていった。 オレの愛撫に可愛らしく反応を見せ、善がる。 ーー静を支配している そのことが、オレを更に昂らせた。 あんなに遠かった静が、オレの腕の中でオレを求めているという快感。 そして。 ーーそうだ、(ここ)… ここを噛めば、静は永遠にオレのもの… ツーっとそこを撫でる。 するとどうだろう。 先ほどまで、あれほどオレにしがみついて、欲しいと強請っていた静が。 パシッ オレの腕を払いのけ 「やめて!噛まないで!」 そう叫んだ。 「父さんは犯罪者を家に置いてはくれないよ…」 Ωを保護するためにできた法律。 確かに、オレと静では婚姻関係を結ぶことはどうしたってできない。 それは、どうしたって静をオレの(もの)にはできないということを意味していた。 噛んで捨てるつもりはない。 でも、世間は、法は、そうは捉えない。 これまで、罪を犯す人間の気持ちなんぞ考えたこともなかった。 理解しようともしたいとも思ったことがなかった。 当然、オレはそんなこととは無縁の人生を送るものだと信じて疑わなかった。 だが、罪を犯すも犯さぬもほんの紙一重。 一瞬、自分の欲望に負けてしまえば、オレはもう犯罪者だ。 静がオレを憐れむような顔で見ている。 ーーそんな目で…オレを… そう思ったら咄嗟に手元にあるシャツで静の視線を塞いでいた。 犯罪者?オレが? どうして どうして どうすれば 気がつくと、オレは静の白く細い首に手をかけていた。 力を込めれば息を止めるまえに折れてしまいそうなくらい細い首だった。 「死にたくないならそう言え」 苦しそうに静が喘いでいる。 「番なんか関係ない、そんなもの…静が死ぬも生きるもオレ次第だ…」 もしあのときタキが来なければ、オレは本当に静を殺していたかもしれない。 そんな時も、母親に叱られ、叩かれたのは静の方だった。 ーーごめん。ぼくが、こんな体じゃなきゃ… 誰に言うでもなく、静が呟いた。 それから少し経って、離れからも静は姿を消した。 静に似ていると言われ喜んでいたオレがバカだった。 静はオレのたった一人の兄で オレは静のたった一人の弟で 絶対に結ばれることのない人ーー。

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