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第14話

「…父さん」 斎は何かを確認するように父を呼んだ。 すると問答無用とばかりに 「斎、静をどこへやった」 と返ってきた。 「話が見えないんだけど」 「話などお前に説明する筋合いはない。とにかく静を連れてこい!」 「…なに、どうしたのバイトくん…」 どういう裏技を使ったらこの男をこんな風にできるのか聞いてみたかった。 「…!失礼なことを言うんじゃない!」 「はっ?」 「この人は静の旦那さんだ」 「え…全然話が見えないんだけど」 静には番の印ーー歯形ーーなんかなかったし、静が結婚しているなんて聞いたこともなかったし、そもそも結婚していようがしていまいが、この父の慌てようは尋常じゃない。 今更静がどこの誰と結婚していようとも、そんなところに人情を見せるような親でないことは斎が一番よく知っている。 だから、そこが一番気になった。 「…納得して頂かないと、またこういうことがあっても困りますし」 丁寧な言葉とは裏腹に、斎を強く睨みつけるように悠真が言う。 もう二度とこういうことをさせるな(・・・・)と、そういうつもりで言ったのだ。 「本当に物わかりの悪い息子でお恥ずかしい」 「いいえ」 「斎、こちらの方は宮嶋総理の甥御さんだ。お前も総理にはお世話になってるだろう」 「は?」 ーー何で総理の甥がそば屋で岡持のバイトなんかしてんだよ… 俄には信じ難い話であるが、父の様子からして嘘とは思えない。 宮嶋総理の義弟は大企業の社長で、党としても政治献金を受けている。 このまましらばっくれればどうなるか、わからない斎ではなかった。 ーー権力の狗め。 父を蔑んだ目で見るとチッ、と小さく舌打ちをする。 「ゲームオーバーか」 「えっ」 「いや、いいよ。連れてけよ。静は離れにいるから」 「…」 あっさりと解放してもらえるのはありがたいが、こいつの言い方が気に食わない…いや、そもそも全て気に食わないのだが、と悠真は思う。 「総理の甥っ子を誑かすとはね。アイツもうまいことやったな」 「…そんなこと…関係ありません。それにそのこと、静さんはまだ知りません…」 「…」 「オレのこと、学費稼ぐためにバイトしてる貧乏浪人生だと思ってますよ」 「ふぅん」 こんなヤツと話してる時間なんか、1秒だって無駄だった。すぐにでもその離れ、とやらに静を迎えに行きたかった。 「…よかったな…」 「はっ?」 そんなこと、お前に言われる筋合いねぇよ、と喉まで出掛かったが口には出さなかった。 「人生とは上手くいかないもんだ」 何だそれは。オレに対する当てつけか。 「…オレは何が何でも上手くいかせますよ…」 「はっ、ガキだな…」 「だって、静さんの人生背負ってくんですからね!」 斎が、背後で鼻で笑った気配がする。 だが悠真は本気だ。 そして、静の人生を背負えるなら…それは自分にとって他にはない幸せだと思う。 静は小さく鼻歌を歌いながら窓からぼーっと空を眺めていた。 発情期も過ぎて、体調もそこそこだし、最近は斎の夜の来訪もない。 ありがたいが、一人でいる時間は暇で暇でしょうがない。 テレビをみるか、斎に頼んで持ってこさせている経済新聞を読むか。 せめて本でも残っていれば。 昔の自分の部屋を思い出す。 あの辺に机、あの辺に本棚があって、あの辺に簡易的なキーボードがあって… そうだ、ずっとここに居させるつもりなら、今度キーボードを持ってこさせよう。 そんなことを考えながら、鼻歌に合わせて出鱈目に鍵盤を叩くように指を動かしているときだった。 バタバタバタバタ。 大きな足音が聞こえる。 …斎…のとは少し違うよな気がする。 ガチャガチャと大雑把にドアノブを回す音がして、バン!と大きな音がした。 そんなに力いっぱい開けたら、こんなボロ家のドアなんかすぐに壊れるぞ、そんなことを思ったときだった。 「静さん…!」 幻か、とすら思った。 ずっとここにいたせいで、妄想と現実がごっちゃになったのかと。 「え…み、三角…くん…?」 事態の把握ができていない静はものすごく狼狽えた。 「本物…?」 「偽物のオレがいたの?」 悠真がふっと表情を崩した。 「な、何で…」 「迎えに来たに決まってるじゃん!ごめんね、遅くなって…」 「え…でも…」 あんな光景を目の当たりにして、軽蔑したに決まっている。 もう二度と会えないと思っていた。 「行こう、静さん」 悠真が、おいで、と手を差し出す。 大きくて、暖かい、静の大好きな手。 その手のぬくもりはよく知っている。 その手を掴みたい。 掴みたいけれどーーこの忌まわしい体の自分がーーこの人の人生を狂わせていいはずがない。 自然と涙が零れてくる。 「も、もうわかったでしょ…三角くん…」 「何が?」 「ぼくは…きみみたいな人にふさわしくないよ…」 「…?」 相変わらず、以前と変わらないあの大型犬のような目がきょとんとしている。 じりじりと近づいてきて、静の前にしゃがみこむと見上げてこう言った。 「…静さん、もう、オレのこと、三角くんていうのやめよ」 「え…」 目尻の涙を、悠真の手が優しく拭ってくれた。 「もう、静さんも三角くん、なんだよ」 「え、なに、どういうこと…?」 困惑の眼差しをむけると、悠真がしわくちゃになった書類を掲げた。 「じゃーん」 「え、なにこれ…」 ーー戸籍謄本…?え?ぼくの籍が… はっ、と静はあのときのことを思い出す。 まさか、まさか… 「ごめん、勝手に入籍しちゃった」 「ば、ば、ばかじゃないの?!」 それ以外の言葉が出て来ない。 驚きで涙も止まった。 「こうする他に、静さんを助ける方法が思いつかなくて…」 「だからって…」 だからって、入籍するバカがどこに、あ、ここに…そう静は自分の中で思わずノリツッコミをしてしまう。 「あ、でもね、勿論、オレが静さんと結婚したかったから入籍したんだよ。それが一番。こっちはその口実かな…」 それくらい、本気で静さんのこと愛してるんだよ。 そう言って手を握る。 「勝手にしないでって言ったじゃん!」 「ごめんてば!…イヤだったらすぐ離婚届書くからさ」 「ばか…」 「静さん、さっきからそればっか…」 「悠真といると、『ばか』が口癖になるよ…」 「え」 今、悠真って言ったよね?名前呼んでくれたよね?思わず目がキラキラしてしまう。 「そういうのは、一緒に出したかった…のに…」 「…!そっち…!?」 ぎゅ、静が不意に悠真を抱きしめる。 「ずっと、ずっとずっと待ってた…」 また会えることを。 こうして抱きしめることを。 悠真の体温を。 「…オレもだよ」 よいしょ、と静を横抱きにしてひょいと持ち上げる。 「ぎゃあ!」 「暴れないで…!」 静がぐっと首もとにしがみつくと、お互いの顔が目の前だった。 どちらともなく唇を寄せ 「…んっ…」 啄むようにキスをした。 「さ、帰ろう」

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