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遠回り(番外編1)

あの日から数日、ぼくちは慌ただしい日々を過ごした。 悠真のご家族に挨拶をし、ついでに本多軒のご主人にも報告をした。 彼のご家族は快くぼくを迎え入れてくださり、また、ぼくの一件でお義兄さんご夫婦に大変お世話になったと悠真から聞いていたので丁重にお礼をすると、お義兄さんは「家族なんだから当然ですよ」と冷静に、でも暖かく対応してくださったのに対し、番の穂積さんは感極まって終いには泣いて喜んでくれて、初対面なのにぼくも思わず少しもらい泣きしてしまった。 こうして、悠真が育った環境を知る度、彼がこういう人間に育った理由がわかる気がした。 ちなみに報告をした中で一番驚かれたのが、全く赤の他人である本多軒の主人だったが、きっとそれが普通の反応なんだと思う。 そして、ぼくは勝手にこれからも今まで通り、来たいときに悠真がうちに来る感じになるのだろうと思い込んでいたのだが 「これからどこに住もうかね~?」 という悠真の言葉を聞いて、えっ、となってしまった。 「夫婦なんだから、普通一緒に暮らすでしょ!」 でも、よくよく考えてほしい。 ぼくが悠真の家に同居するのは…まず無理だ。 確かに彼のご家族はいい人だけど、これまで長年一人で暮らしていたぼくが突然あんな豪邸で大勢に囲まれて暮らすなど、ハードルが高すぎる。 きっと息が詰まってすぐ出て行きたくなる。 かと言って、ぼくの家で暮らすとしたら、とても悠真の部屋のグランドを置くことはできない。 悠真にとってそれは大きな問題だと思う。 じゃあ、どこか部屋を借りるかとなると、ぼくらの条件に合ったような部屋を借りるとすると相当かかるし、実質収入があるのはぼくだけでそんな部屋を借りるのは厳しいし、そもそも引っ越しにお金がかかりすぎる。そう言ったら悠真のことだから「バイトする!」と言うに違いないが、受験生がこれ以上バイトしてどうするのだ。ぼくは絶対反対なので、それは一番非現実的だった。 「そういうわけで、無理して今から同棲せずとも…」 と説得したのだが、悠真は頑として納得せず、結局本人の強い希望により“基本はうちのマンションで暮らし、グランドが必要なときは悠真が帰る”というちょっと面倒くさい半同棲ということになった。 悠真と暮らし始めてから大きく変わったことの一つは、間違いなく食生活だ。 自分1人ならレトルト&出前で問題なかったが、悠真と一緒となると、彼の健康も気になってそういうわけにもいかなくなった。 家事の中でも、掃除方面なら難なくこなせた。 というか、年季の入った引きこもりのぼくにとって、住居の快適さは欠かせず、清潔さに関しては自信があった。 しかし、料理をする、というのはなかなかの難題。 まずそもそもお互い料理の経験値が低い。 異常に低い。 ぼくは掃除と打って変わって、食生活に頓着がなかったため、料理はほとんどしなかった。そもそも家に調理器具すらほとんどない。 悠真は当然の如くあのお屋敷でシェフが作ってくれた美味しいご飯を毎日食べていたわけで、その実力たるや推して測るべし、といったところだ。 愛だけでは暮らしていけない、という言葉をよもやこんなところで嚙みしめるとは思いもしなかった。 そこで、どっちが作るかという話しになるのだが、なんとなくそれはぼくの担当かな、と思って数日作ってみる。 ネットでレシピを調べて作ってみると味はそこそこのものが出来上がる。 初心者としてはいいところだろう。 だが、やたらと時間がかかる。 大したものを作っていないのに、気がつくと8時だ9時だとなってしまう。 悠真がバイトの日は帰りが遅いからそれでもいいのだが、そうじゃない日は待たせてしまって申し訳なくなってしまう。 原因はわかっている。 要領をえないため、手際が悪く、更にとにかくレシピ通りにしないと不安なため、全部の材料をきっちり計ってしまう。 ちなみに「少々」という表記が嫌いだ。 少々、ってなんだ。どのくらいだ。はっきりしてほしい。 悠真は食事の時間が遅くなることを気に留めることもなく、美味しい美味しいと食べてくれるのがせめてもの救いだが、その件について相談すると 「静さんは真面目だから…」 と苦笑いされた。 「でも、目分量がわかるほど経験値がないし…」 「う~ん…あ、そうだ!明日はバイト休みだしオレが作るよ!」 「できるの?!」 「失礼な…できるって!」 家庭科の授業で習ったし! と自慢気に言っている辺り、不安だ。 確かに人には向き不向きがあるし、ああいうのは細かいことを気にしない人のほうが向いてるのかも、と任せてみたはいいが、翌日、台所から …ダンッ! (間) …ダンッ! とやたら遅く強い包丁の音が聞こえてくるではないか。 何の骨を切っているのだ、そもそも何の料理なんだ骨って、と思いながら不安で見てみると、大根をガッチリ手で押さえて、包丁を上から叩きつけるように切っている。 「ギャーー!だめ!やめて!すぐにどいて!」 「えっ?」 誰だよ、家庭科で習ったとか言ってた人は! 家庭科では猫の手って習ったでしょ! 「もう、絶対悠真は包丁握らないで!」 「えっ、ひど…」 「指切ったらどうするの!!」 「あ、そっか…」 ピアニストの命の次に大事な指を大根と共に切り落したなんてなったら笑えない… もう、絶対に料理はぼくが担当しよう… そう誓った。 そして次に、食材の買い出し。 ぼくは外出はあまりしたくないし、でもネットスーパーで頼むほど…って感じだし、なのに、料理初心者のぼくは「あるもので適当に」スキルがまだないから、毎度毎度アレがないコレがないとなる。 これを作る、と決めて、そのために必要な材料をきちんと揃えなければならないのだ。 そのせいもあって、我が家の調味料は料理研究家でも住んでいるのか、というくらい充実してしまった。 紹興酒、豆板醤、バルサミコ酢、ナツメグ、などなどなど。 溢れるだけで、きっと使い切れないだろうなぁ、と思うと何だか申し訳なくなる。 そんなわけで買い物は悠真の当番かな…と思いつつ、悠真は時折“お坊ちゃま買い”(と、ぼくが勝手に心の中で呼んでいる)をしてくるのだ。 迷ったときはとりあえず一番高いものを買う。 量がわからなければ多く買っておく。 この、大は小を兼ねる的発想。まさにお坊ちゃまならではだろう。 夕飯を食べながら、ぼくはそうそう、と話し始める。 「悠真…もう少し庶民的な金銭感覚を身につけようか…」 さもないと、おちおち買い物も頼めない。 「え、全然普通だと思うけど…そんな贅沢に育ったわけじゃないし…」 いやいや…、とぼくは首を横に振る。 「普通はね、100グラム1500円のお肉なんか選ばないよ…」 今日の野菜炒めに入っている肉はどこぞのブランド牛だ。 野菜炒めにするのはかなり躊躇われたのだが、焼き肉にするには少し量が少ない気がしたし、かと言って他の有効活用方法が思い浮かばず、こうして野菜炒めとなってしまった。 「そうなの?」 「…そうだよ」 「じゃあ100グラムいくらならいいの?」 悠真が珍しくムっとしている。 「それは…」 そう聞かれると自分も相場はよくわからず、言葉に詰まる。 「静さんだってお肉の値段なんか詳しくないくせに」 「でも100グラム1500円はない」 冷静にそう告げると、突然悠真がバンっと箸を置いて立ち上がった。 「わーかーりーまーしーたー!ロクに買い物もできなくてすみませんでした!」 「はっ?」 そのままバタバタとカバンに適当に荷物を詰め 「今日は実家で練習してくるから」 と言って出て行ってしまった。 あまりの展開の早さにぼくは唖然とするばかりで、引き止めることもできない。 高い野菜炒めが、ぼく一人じゃ食べきれないくらい残ったままで。 これまで、ケンカらしいケンカなんかしたことないのに、まさか、肉の値段でケンカになるとは…。 事の重大さに気付いても後の祭り。 一人の夕飯はこんなにも味気ないものだったんだな、とご飯を噛み締めた。 ドシドシドシ、と大股で歩きながら実家に向かう。 歩いて行ける距離じゃないから、当然電車かタクシーで行くことになる。 大通りに出ると、空車のタクシーが走り去る。 「あ」 タイミングが悪かった。 でも、すぐに次のタクシーを見つけて手を上げかけて…やめた。 オレ自身は、別に贅沢をして育ったという思いはないが、周りから見たらきっとそうじゃないんだろう。 今だって、つい何も考えないでタクろうとしたけど、家まで乗ったら結構する。 「はぁ〜」 凹むなぁ。 世間知らず、とは言われなかったけど、そういうことだろう。 静さんはこれまでレトルトや出前で済ませていた食事を極力避け、夕飯に至っては毎日作るようになった。これまでゼリーやらスポーツドリンクばかりで占められていた冷蔵庫が、野菜や魚や、そういう食材で埋まっていって、オレはそれが少し嬉しかった。 二人で暮らしている、そういう生活感を、冷蔵庫からも感じられたから。 静さんは慣れない様子で料理をしていて大変そうだが、作ってくれるものはどれも美味しくて毎晩夕飯を楽しみにしていた。 でも、そう思っていたのはオレだけだったのかもしれない。 よくよく考えてみれば、静さんはこれまで悠々自適な一人暮らし生活を送っていたのに、突然オレがやってきたせいでオレの世話までしなければならなくなったのだ。 生活費だって、入れようとしても「そのお金学費に回して」と言って受け取ってくれない。 オレだってそう簡単には引けない、と思っても最終的に「夫婦の財産はどっちがどっちというわけじゃないから」と言われて、結局オレが折れる形になった。 要するに、夫婦というより親子に近い。 仕方ないと言えばそれまでだが、オレにだってプライドがある。 仕方ないじゃ済ませられない。 駅で電車を待ちながら、今日のことを反芻する。 確かに、静さんの言うことは正しい。 ーーでも、悔しい。 正論すぎて認められないのは、きっと自分がまだまだ子供だから。 帰宅する人の群れと逆流するように、オレは電車に乗り込んだ。 家に帰ると、たまたま鉢合わせてしまった母さんが珍獣を見るような目で見てきた。 「まあ!なに!もう別れたの!」 その言葉に少し動揺してしまったが、別れたわけではない。 ちょっとケンカしただけだ。 「…ちげーよ、ピアノの練習しに来たんだよ。言っただろ、グランド使うときは帰ってくるって…」 「あら〜あらあら、こんな時間に?」 「……」 「ま、いいけど。愛してくれない男なんて3日で忘れられちゃうから気をつけなさいね〜!」 ほほほ、と高笑いをしながら去って行く。 息子にとんでもないことを言う母親だ。 久々の部屋に戻ると、乱暴に荷物を投げてピアノに向かう。 明後日のレッスン用の練習をするもうまくいかず、イライラしてしまう。 「〜〜〜〜!!!」 ドサっとベッドに横になって髪を搔き毟る。 ーーなんでこうなるかなぁ…。 何もかもがうまくい焦燥感にのたうちまわることしかできなかった。 翌日には帰ろう、と思っていたのになんだか気まずくて、気がつくと家出3日目に突入してしまった。ピアノの練習とバイト、要するに少し前の生活に戻っただけなのだが、全く違う生活になってしまったような気がする。 母親の言葉が思い出される。 ーー愛してくれない男なんて3日で忘れられちゃうから気をつけなさいね〜! そろそろ…そう、今日レッスン終わったら静さんちに帰ろう。 そう心に決めたときだった。 家の前に見覚えのある黒塗りの車が停まる。 ーーあれは、確か…。 ドアが開いて出てきたのは予想通り兄貴だった。 「社長、お迎えに上がりましたよ、っていうかさっさと準備してください」 玄関を開けるなり少々不機嫌そうな声で、ドカドカと入ってきた。 「兄貴」 「…悠真」 これまた物珍しげにオレを見て「ピアノの練習に来たのか?」と聞いてきた。 「…うん、そうだけど…」 「…ふぅん。静さんは元気か。穂積が会いたがってたぞ。今度遊びに来てくれ」 「あ、うん…でも静さん外出嫌いだからなぁ…」 オレの返事に兄貴が眉をひそめた。 「…なんだ。珍しくもやっとしてるな」 「えっ、別になにも…」 「思ったことをそのまま口に出すやつだと思ったが、口に出さなきゃ顔に出るんだな」 「えっ、何が?」 「静さんとケンカでもしたのか」 「えっ!」 「何だ、当たりか」 いくら実の兄とはいえ、この洞察力は怖い。 「…兄貴は穂積さんとケンカしたりしないの?」 「ケンカになることはほとんどないな。穂積に怒られることはあるけど」 「穂積さん怒るの?」 いつもぽや〜っとしてるから意外な気がした。 「怒るっていうか、昨日も仕事で取引先とそのまま食事をすることになって、連絡を忘れてな。散々言われた」 「仕事のせいでも?」 「普通に」 言われるぞ、と兄貴が頷く。 「そういうときどうすんの?」 「即謝る」 この兄が!? 何でもないことのように言うが、想像がつかない。 「まじで?納得いかなくても?」 「納得?」 おかしなことを聞くな、という顔をしている。 「そうするのが最善だと判断したら、そうするだけだ。そういう意味では納得してるな」 「なんか、兄貴が…意外」 「オレが仕事でどれだけ頭下げてると…。穂積に頭を下げるなんて全く何とも思わん」 なんとも、というと語弊があるが。と付け加えた。 さすが、仕事の鬼は精神力が違う。 「悠真もさっさと謝った方がいいぞ。自分の小さなプライドのために代償がデカすぎる」 そう言うと「社長!」と大声で父の部屋へ向かっていった。 代償、思ってもみながったが、その通りだ。 このまま静さんを失うことになったら、悔やんでも悔やみきれない。 本当はレッスンをさぼってでも駆けつけたいところだったが、そうしたらきっと静さんはすごく怒る。 仕方なくレッスンに向かうと、案の定質は最悪で、先生には怒られまくった。 静さんがいないと、人生の全てがうまくいかない。 改めて実感すると、オレは超特急で家に向かった。 静さんのいる、オレたちの家にーー。 「…ただいま…」 たった3日帰らなかっただけなのにひどく懐かしく落ち着く匂いがする。 が、しかし気配がない。 静さんに限って外出中、というのは考えられず、オレは慌ててリビングのドアを開ける。 「…ん…?」 「静さん…」 よかった、いた…。生きてた…。 生きてはいたが、なんというか、あまり生気がない。 仕事を終えた時間であるはずなのに、珍しく仕事用の服のままソファーに横たわってウトウトしていたようだった。 「悠真…」 起き上がるのもだるそうに、ソファーのクッションに顔を埋めた。 ごめん、そう謝ろうとしたときだった。 「…やっぱり窮屈でしょ…」 オレより先に静さんが朧げに喋り出す。 「え?」 「ぼくと暮らすの」 クッションを抱えながら、くるっとこちら側に体を向けてきた。 「ちがっ…」 「いいんだよ、無理しなくて。…やっぱり早すぎたのかもしれないね」 ぎゅ、っとクッションに力が籠っている。 「え…」 「きみの未来はまだこれからなんだし、離れたって、いいよ…?」 これのことは気にしなくていいから、と項を触った。 オレははっとする。 きっと、オレのいない間この人はずっとそういうことを考えていたに違いない。 もし引きこもりじゃなかったら、さっさと離婚届を取りに行ってサインしていたかもしれない。 「静さん、ごめん!」 「そんな…悪いのはぼくの方だよ」 頑なな静さんの様子を見て、ここまでこじらせてしまったことを心底後悔した。 「違うんだ。お願い、許してくれるならオレの話を聞いて…?」 ソファーのところにしゃがみ込んで、横たわる静さんと目線を合わせた。 「…なに?」 少し首を傾げる姿が超可愛い。 こんなにこんなに大好きなのに、離れるなんて考えられない。 「オレ、静さんに八つ当たりしちゃったんだよ…」 「え…?」 「一緒に暮らしたいってワガママ言ったのオレなのに、静さんの負担が増えてるだけで、悔しくて、情けなくて…最低だよね…」 「……」 ぼん、手にしていたクッションを軽く投げつけられた。 「…わ、静さん…?」 「悠真、もっとこっち来て…」 言われるがまま、ソファに横たわる静さんの顔に近づくと、突然首に腕をまわされ、ぐっと引き寄せられた。 「わっ」 「…ん…」 一瞬キスされるのかと思ったが、そうではなく項に顔を寄せ、くんくんと匂いを嗅いでいる。 「ちょ、静さん…?」 「…悠真の匂いがする…」 「…」 …そんなことを言われたら照れる。 「…落ち着く…」 「え…」 「眠い…」 ゆるゆると腕が落ちていく。本当にこのままここで寝る気らしい。 「えっ、こんなとこで寝たら風邪ひくよ…」 「んん…やだ…眠い…」 ポンポン、と肩を叩くと、珍しく顔をしかめて、まるで子供のように駄々をこねた。 「でも」 「ん!」 静さんが両手を伸ばしてくる。 「ベッド連れてって…」 「…はいはい」 よっこらしょっと、抱きかかえると心なし軽くなっている気がして心配になる。 もしかしたらこの間、ちゃんと食事をしていなかったのかもしれない。 静さんなら余裕でそういうことがあり得るから恐ろしい。 ゆっくりベッドにおろして離れようとすると、またぎゅっと抱きつかれて離れない。 「いっちゃヤだ…」 寝てるとばかり思っていたのに、ちゃっかり起きていて、とろんとした目でこちらを見てくる。 これはただ眠いだけなのか、それとも誘っているのか… と思いシャツの中から手を入れようとしたら 「…なんかしたら許さないから」 ぴしっと言われた。 前者だったようだ。 どうやらオレにただ添い寝をしてほしい、そういうことのようで、なんという生殺し、と思いながらもリクエスト通り隣に寝転ぶ。 静さんが満足したように、オレの胸に顔を埋めてきたので、条件反射的にオレはその頭を撫でた。 「悠真…」 「ん…?」 「悠真は何もできないって言うけど…」 「…」 「ぼくはもう、悠真がいないとゆっくり眠ることもできないんだよ…?」 こんな状況で、そんな殺し文句言われたら、ただでさえ3日間静さんロスだったオレの下半身に直撃だからやめて…。 とはいえ、本当に気持ち良さそうに眠る彼の姿を見ていると、確かに手出しはできないものだ。 「………」 色々悶々としているうちに、オレも一緒に眠っていたようで気がつくと夜中だった。 むくり、と静さんが起き上がった気配にオレも目を覚ました。 「…ん…」 「あ、ごめん、起こしちゃった?」 寝起きの少し掠れた声がする。 「いや…いいんだけど…どうしたの…?」 「……なんだか、お腹すいたなぁって…」 ちょっと照れながらお腹をさすっている。 「確かに…」 夕飯も食べずに寝てしまった。 そんなことを聞いたらオレの腹も鳴りそうだ。 「冷蔵庫にゼリーあるから食べてくる…」 「……ねぇ静さん」 「ん?」 「まさかずっとゼリーとかそういうもので過ごしてなかったよね…?」 「…あ、うん、そうだったかも…」 思わず顔を顰めてしまう。 ほんとにもー、この人は自分のことにはとんと無頓着なんだから…。 「死んじゃうから!ちゃんと食べて!」 「う、う、う、うん…!」 オレに気圧されたように静さんがコクコクと頷く。 「明日、一緒にスーパー行こ!」 流れでぶっ込むと、同じように「うんうん」と頷いて、すぐに「あ!」と言った。 「約束だからね」 「…うーん…」 不承不承といった様子の静さんに、オレはちゅっと口づける。 「初デートだね」 「スーパーが?」 斯くして翌日、オレたちは近所のスーパーに足を運ぶ。 静さんはまるで研究するようにスーパーのチラシを見て、買うものをメモしていた。 「見せて」 道すがらメモを見せてもらう。 「サバが安いみたいだから、今日はサバ味噌に挑戦する」 「美味しそうだね〜」 静さんの初サバ味噌を想像する。楽しみで仕方がなくて、繋いでいた手をぎゅ、とすると、静さんも同じようにぎゅっと握り返してくれた。 「あ、あっちから行こ!」 「近道?」 「ううん、遠回り」 案の定、ええ〜っという顔をする。 でもすぐに 「ま、いっか」 とオレの顔を覗き込んだ。 それだけで、静さんは何も言わないけど、きっとオレと同じことを考えてるんだと思う。 ーー二人なら、遠回りも楽しい。 静さんが握った手をぶんぶんと揺らした。

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