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第3話

土曜の午後2時。 とりあえず、人が来るということでそれなりに掃除をした。 更に久々に外出をしケーキを用意してみた。 飲み物は元々あるし、いいか。 プライベートで人と会うなんて本当に久しぶりすぎて、考えてみたら服もロクなのがなく、仕方がないのでいつもの仕事用のものを選んだ。 と、ここまでしてふと思う。 今時の若者である彼は本当に、出前客の、しかも彼からしたらだいぶおっさんなんじゃないかと思しきぼくの家なんかに本当に来るのだろうか。 冷静に考えてみると、大学受験を控えているということは18かそこらなわけで、下手すると彼が小学1年生のときぼくは中学生なのだ。 小学校すら被っていない。 ただの社交辞令だったかもしれない。 まあ、来なかったら来なかったでいつも通りのんびり過ごせばいいだけなんだけれども。 でもちょっと凹むかな… そんなことを考えていたときだった。 ピンポーン いつもみたくインターフォンが鳴る。 でも、いつもみたく「毎度」とは言わない。 「こんにちは」 カメラに映る様子もいつもと違う。 「どうぞ」 程なくして部屋にやってくる。 「わー!お邪魔します!」 ネイビーのジャケットにカーキのカーゴパンツ、品の良さそうなカットソーという普通なのだろうが、それが異常に爽やかな出で立ちに見え、若いってこういうことかと突きつけられる。 「ジャケット、預かるよ」 「ありがとうございます。あ、これツマラナイものですが」 「ぼくが招いたんだから、そんなのいいのに」 「いいんです。ちょっとやってみたかったんです、こういうの」 そう言って笑って頭を掻いた。 「それじゃ遠慮なく。どうぞ、奥がリビングだから」 そう言うと、きょろきょろと部屋中を見渡しながらずんずん奥へ進んでいく。 「ここは?」 「仕事部屋だよ」 「見ていい?」 「いいけど…別に何も面白くは…」 言い終わらぬうちに、彼はドアを開ける。 「わ、すご、なにこれ!てか、中丸さん、何してる人?」 PC2台とモニター6画面。確かに、見慣れない人にはちょっと不思議なのかも。 「個人投資家だよ」 「投資?株?すごっ!難しそう。だからずっと家にいるんだ〜」 「ニートだと思ってた?」 「えっ、いえっ、そういうわけじゃないですけど…」 この反応からするに、きっと半分くらいそう思っていたに違いない。 まあいいから、とリビングへ案内して用意していたケーキと持って来てくれた手土産の焼き菓子を適当な皿にいれて出す。 「おもたせですが」 「わ、ケーキまで用意してくれてたんですか!」 「甘いもの大丈夫?」 「はい!」 「コーヒー、紅茶、緑茶どれがいい?」 「ありがとうございます、そしたらコーヒーを。あ、ブラックで」 「ホットでいい?」 「ええ」 オーダーを聞いておいてはた、となる。 「あ」 「どうかしました?」 「人を招いたことなんかないから、そういえばちゃんとしたティーカップもないや。ぼくがいつも使ってるマグでいい?ごめんね」 「いや、そんなの、全然いいです」 むしろ、なんとかとボソボソ言っているようだが、はっきり聞こえなかった。 「はい」 手渡してテーブルにつく。 「ありがとうございます」 ついこの間まで、全くぼくの人生に関わるとも思えないような人物が、ぼくの部屋でぼくのマグカップでコーヒーを飲んでいる。 なんとも不思議な光景だ。 「そういえば今更なんだけど」 「はい?」 「きみ、名前なんていうの?まさか本多さんの息子さんじゃないよね?」 何度も店長は見たことがるが、彼とは全く雰囲気が違う。とても親子には見えないのだ。 「そういえば、自己紹介もロクにしてませんでしたね」 はっとした様子で姿勢を正した。 「三角悠真(みすみゆうま)です。三角形の三角(さんかく)でみすみ、です」 そう言いながら指で空に三角形を描く。 「それと悠久の悠に、真実の真で悠真」 「へぇ、三角くんていうんだ」 「中丸さん、下の名前は?」 「静だよ。冷静の静一文字だけの」 「静さんかぁ。なんか似合いますね」 静さん、と呼ばれて少しドキっとする。 「そう?」 「うん、なんか冷静な感じするんで」 「自分ではあんまりそうは思わないけど…年のせいかな」 「年って言ったって、そんな年でもないですよね?」 「25だよ」 「ほら、全然」 「えっ、三角くんはいくつなの」 「今は18ですけど…」 「いやもう、7つも違うじゃん。高校生?」 「や、今年卒業したんで、もうすぐ19ですし!」 「ぼくも今年26だよ…」 むむっとしばし考えた後にまだ三角くんは食らいついてきた。 「18と25っていうとなんか離れてるような気がしますけど、32と39ならそんなに変わらなくないですか?」 「えぇ、うーん…」 「あ、じゃあ、62と69なら」 「あー、まあ、なんとなくわかる気もする…」 「ほら!でしょー?」 力技で押し切られた印象が拭えないが、それ以上言わないことにした。 「ピアノはいつから?」 「うーん、1歳2歳3歳くらい?10離れた兄がいるんですけど、兄がやってて。いつの間にか兄はやめちゃったんですけど、オレはずーっと。で、気がついたらその道に進みたいなって」 簡単に言っているが、それが如何に狭き門なのか。 ぼくが言わずとも、彼はよくわかっている筈だ。 「でも、芸大とか金がかかるから、普通の大学以上にかかる分は自分で稼いでも行きたいんだったらいいよって。親が。で、今年一年はレッスンとバイトの年にしようかなって」 「偉いね、学費、自分で稼いでるんだ…」 「静さんは?大学とか」 「ぼく?大学?行ってないよ。行く必要も感じなかったし」 ーーどうせ静が大学に行ったところでまともな職に就くわけでもなし、そんな道楽に大枚を叩く価値があるかーーと言われてしまえば、その通りだし。 彼のように自分で稼いでまで行こうという情熱はなかった。 「カッコイイ・・・」 「え、何が?」 「早々に自立してるとことか」 「そう…?全然だけど…」 本当に何がかっこいいのかわからない。 「ぼくからしたら三角くんの方がよっぽどカッコイイと思うけど…」 夢があって、目標があって、そのために努力して。 ぼくが全部捨ててきたものを大事にしている。 「ご家族は?兄弟とか」 ああ、そう、きっと、そういうもの・・も。 「・・・いないよ」 「え」 ぼくはもう一度繰り返す。 「いないよ」 「あ、ごめんなさい」 彼の癖なのか、両手を前にしてぶんぶんと左右に振っている。 やっぱり、大きくてきれいな手をしている。 「手、大きいよね。いいなぁ。何度弾けるの?」 「12度弾けますよ」 「12!ラフマニノフ!」 ちょっと、手、貸してと言って本人の許可も取らずに手を取る。 「見てよこれ」 彼の手と合わせると自分の手の小ささが引き立ってイヤになる。 「8度」 「かわいいじゃないですか」 「そういうの一切求めてないのに」 ああ、神様ってなんて不公平。 不満が顔に出たのか、向かいで三角くんがくすくす、と笑っている 「お詫びにリクエストにお応えしますよ」 「何でも?」 「な、んー…まあ、できる限り」 「ええー」 「ほらほら、とりあえず、どうぞ」 「うーん」 どうしよう、色々聴いてみたいのはあるけど、ふと脳裏をよぎったのはアレだ。 第一印象通り 「『小犬のワルツ』かな」 小犬、ではなく、大型犬だけど。 「え」 「えって、なんで」 「いや、なんか、意外っていうか。好きなんですか?」 「うん、それなりに」 何となく腑に落ちない、といった様子だったが渋々ピアノに向かう。 「小学生以来かも…」 ギィっと椅子を引いて、鍵盤を前にするとふっと雰囲気が変わる。 指先が軽快に鍵盤の上を駆け回る。 ふわふわころころとした曲を、この長身の男が弾いているというミスマッチがなんとも可愛い。 音は小犬だけれども、視覚的には大型犬のワルツ。 なんとなく脳内で、フリスビーを取ってこーいと戯れているゴールデンレトリバーの様子が再生される。 一度取ってくると、また投げて、と言わんばかりに飛んで帰ってくる。 また投げる。 喜んで取ってくる。 の、繰り返し。 だめだ、全然飼ったこともないのに、あまりにぴったりすぎて声を殺して笑ってしまった。 ジャン、と最後弾ききると、即くるりとこちらを向く。 「ちょ、なんで笑ってるんですか」 「いや、全然、笑ってないよ、すごいよかった!」 震える肩でそう言っても全く説得力がないようだ。 「すんごい笑を押し殺してるじゃないですか!!」 「いや、もう、犬…犬がすごく飼いたくなったよ」 「えー、何だよもー。もっとかっこいい曲がいいー」 「魔王とか?」 そういうと、ふざけて前奏を弾き出して、怖い顔をして適当に歌い出すから相当笑った。 「や、やめて、もう、おっかしい…、それあってるの?」 「もちろん」 そうドヤ顔で言いながらピアノを弾いている。 「出鱈目に決まってるじゃないですか」 でも雰囲気出てたでしょ、となんちゃってドイツ語を続けた。 「シューベルトに怒られるよ」 「あーもう、絶対魔王で笑っちゃう、オレ」 そう言う三角くんと、2人で腹を抱えて笑った。 そんな風にしていると、あっという間に日が暮れた。 「よかったらまた来て」 そう告げると、きらきらとした表情をこちらに向けた。 「いいんですか」 もちろん。 こんな風に腹の底から笑ったのは何年ぶりだろう。 そして、一人の部屋がこんなにがらんと感じるのはなぜだろう。 ぼくの中のブレーキが緩んでいるようで、少し戸惑う。

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