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第6話

オレの横で静さんがスヤスヤと寝息を立てている。 夢みたいな光景に、そっと彼の頬を撫でる。 ーーいる… 本当に。夢じゃない。 それを確かめたくて、時間を忘れて何度も彼を昂らせた。 口では拒んでも、素直な体はオレの愛撫を敏感に受け入れては絶頂を迎えていた。 セックスは初めてじゃない。 でも考えてみれば、これまでは自分の欲を充たすことが目的だったような気がする。 他人を悦ばせることが、こんなに幸せだということを初めて知った。 そしてそれが少し度を超してしまったか、最後には意識を手放すかのようにぐったりとして、そのままオレの横で眠りについた。 これまで、「運命」なんて信じていなかったオレに、あの日が訪れる。 オレはこの3月に音楽科の高校を卒業した。 学校の皆は、オレがそのまま大学に進学すると思っていたから、1年学費を貯めるために浪人すると知ると一様に驚いた。 「何で?わざわざそんな?」 と言われたが、 ーー私たちは子供の人生に口は出さない。もちろん、見放すわけではないけどね。息子達なら自分の道は自分で切り拓けると思っているよ。 という親の教育方針だ。 我が道を行く父親で、そんな父の性格を一番よく表しているのが母のことだと思う。 父はαΩのαだが、母はβαのβだ。 大恋愛の末に結婚したらしい。故に父は母と今でもラブラブで目のやり場に困ることがある。 αとβの結婚。母がβαのβということは後でわかったらしい。そのためオレのようなαが産まれたわけだが、もし母がββのβであれば、αの子供が産まれることはない。 それにたとえβΩのβであっても、Ωを選ぶよりαが産まれる確率は低くなる。 もし父がαの子供に強い拘りがあるのなら、母という人間を選ばなかっただろう。 子供はαでもβでもΩでも何でもいいという、そういうことに拘らない父らしいエピソードだ。 しかしただの大らかな人間かと問われればそれは違う。 腹の中で何を考えているか、何をやっているのかわからない人間だ。 オレは父のそういうところがちょっと苦手で、その反発からか、嘘が嫌いで、確かに、思ったことを何でも口に出してしまう。 そういうわけで、オレとしても親のスネばかり齧る人生は送りたくないので(とはいえまだまだ完全に独り立ちできるわけではないけど)否はない。 卒業してから、日中は主にピアノの練習をし、日によっては先生のところへレッスンに行き、空いた夜の時間を使ってバイトをすることにした。 音楽系のところを選んでもよかったけど…どうせなら全く別の仕事にしようかな、そんな風に探していたときに立ち寄った本多軒 。 「おいし〜!」 カツ丼を頬張りながら、思わず声を上げた。 その声が店長に届いたようで、気を良くした店長が気さくに話しかけてきた。 「お〜、イケメンの兄ちゃん、わかるねぇ!」 「初めてきたんですけど、おいしいですね!」 「おお、また来いよ!」 「うんうん。出前はしてないの?」 「あ〜…」 少し困ったように店長が頭を掻く。 「今はやってるんだけど」 実は、と照れ笑いを浮かべながら 「母ちゃんが、コレでよ」 そう言ってお腹が大きい手振りをした。 「わぁ!おめでとうございます!」 「ありがとな。んで、まあ出前と店だと難しいから、出前はしばらく休もうかって」 「そうなんですかぁ…」 残念、出前してたら頼みたかったな、と思って「あ」と思う。 「ねえ、店長、オレ、バイトで雇ってくれない?」 「え、兄ちゃん、とは言ってもよ」 どうやら奥さんの妊娠出産の間程度の短期間を考えているらしく、なかなかバイトの募集に踏み切れないということだったが、期間限定の方がオレの方としてもありがたかった。 トントン拍子で話が進み、即採用。明日から来てよ、ということになった。 初採用初出前。高校のとき隠れて取った原付の免許がこんな風に役立つ日がくるとは。 何軒か配達をし、要領を得て来たときだった。 「あ、今日も中丸さんとこ」 店長と奥さんがそんな話をしている。 「配達行きますか」 「よろしく。毎日のように夕飯頼んでくれる常連さんなんだ」 一人前の親子丼セット。 親子丼には漬け物とみそ汁。 汁物は零れないように注意しなきゃな、とセッティングしていると、店長が 「中丸さんとこ、かわいい兄ちゃんが出てくるよ」 とにやにやしながら言ってきた。 ーーかわいい兄ちゃん… かわいい兄ちゃん、かわいい兄ちゃん…どんな人かと想像を巡らせながら原付を走らせる。 兄ちゃん、と言われてふと想像したのは自分の兄、遼一のことだった。 とはいえ、兄はスーツを着こなし、バリバリ働く。キリッという擬態語が似合う、まあ、かわいいとは真逆の無愛想な男だ。 そして流れで兄の番の穂積さんのことを思い浮かべる。 ーーあんな感じかな…? 穂積さんは、ちょっと天然ぽい男の人で、仕事人間のあの兄とどこで気が合うのかわからないほわっとした感じの人だ。 ただΩだが、言われなければβっぽい。身長もオレたちほどではないが、170センチはあると言っていたし、かわいいとイケメンの間くらいの人。 性格を知っていればかわいいと言うかもしれないけど、見た感じだったらイケメンっていうかな。そんなことを考えながら、中丸さんちのインターフォンを押す。 「毎度本多軒です」 「どうぞ」 と通された先で、しゃがんで親子丼を出しているオレを見下ろす目と目が合った瞬間ーー。 電撃をうけたかのように、全身がビリビリ、となる。 小柄な男性、ーーうん、たぶん男性ーーがドアを開けていた。 背も小柄だが、顔も小さい。ドアノブを持つ手も小さい。 ラフな黒髪が風に揺れて、少し長めの前髪から覗く奥二重の目元が、退廃的な色気を醸し出している。 あんな色気を纏うなんて自分よりだいぶ年上だと思うのだが、白い肌が何も知らない少年のようで、全く年齢不詳だ。 「あっ」 ーーかっ、かわ、かわいいっていうか… かわいい、うん、かわいいんだけど………エロい。 ドアをあけてオレを見下ろす角度、襟ぐりの広いカットソーから鎖骨が見える。 噎せ返りそうな甘い香りが漂っている。 一目惚れとはこういうことをいうのか。 一瞬にして、彼に触れたい、他人に渡したくない、触れさせたくない、そういう感情が起こる。 どうしよう、コレを渡して、「ハイ、さよなら」それでいいのか。 わからなくて咄嗟に出たのが 「お味噌汁忘れてきちゃいました」 …我ながら、なんと格好のつかない… その後も、踏んだり蹴ったり。 これまで、どんなに可愛い人を見ても、セクシーに誘惑されても、こんな動揺したことなかった。付き合いたければ付き合えたし、セックスしたければ難なくできた。 それが、ただ一目会っただけで、難攻不落の城の前に佇んでいるような気分。 常連さんだと店長が言っていた。 彼の注文を待つ、その時のオレができたのはそれだけだった。 ーーそんな人が、今こうやって自分の横で、生まれたままの姿で眠っているのだ。 何という幸せ。 本当はもう、静さんの了解も得ずに、項に噛み付きたくて仕方がなかった。 自分だけのものにして、誰にも見つからないところに閉じ込めて、毎晩毎晩、こうして愛してあげたい。あの甘い香りも、自分以外に嗅がせたくない。 こんな恐ろしい独占欲が自分にあったなんてぞっとするが、静さんには男をそういう気にさせる魅力がある。 でもまだ、自分には生活力がない。 大学受験を控えたバイトが、安易にそんなことしてはいけないと、なけなしの理性で耐えたのだ。 でも、静さんが誰かに取られたらどうしよう。 不安が鎌首をもたげる。 ふと、自分の荷物に視線を移す。 いや、残念ながら、どんなに見てもこれ以上コンドームが入っていないことはわかっている。 そうじゃない。それじゃない。 「ん…」 静さんが寝返りをうとうとして、オレという障害物にぶつかりうっすら目を開ける。 「ん…?」 一瞬、あれ?という表情を見せて、すぐに事態を把握したようだった。 「みすみくん…今、なんじ…?」 「え?さあ…5時とか6時とか…?」 「んー…」 夢と現実の間を行ったり来たりしている無防備な静さんも可愛らしくてセクシーだ。 「ね、そういえばね、オレピアノ以外にも特技があるんだ」 「なぁに…?」 ぼんやりとした答えが返ってくる。 「筆跡占い!名前書いてくれれば占ってあげるよ」 「えぇ…占いとか興味ないし…」 寝たいし、そう言いながらも話しかけていると少しずつだが口調がはっきりとしてくる。 バッグから紙とペンを出して静さんに差し出すと、渋々と言った様子で名前を書いてくれた。 「ふふふ」 「んー、なに?」 「静さん、結構大人の字だね」 「なんだそれ…大人に向かって…」 「なんかもっと、神経質な字を書きそうなイメージだった」 「んー…そう?で?」 「そうだなぁ、静さんは」 オレはもったぶって言う 「将来、オレと結婚するね!」 「……ああ、そう…」 「あ!くだらないって思ってるでしょ!」 「おかしいな…ぼくは三角くんと違って心の声は漏らさない方なんだけど…」 「もー、見てよほら!」 その紙をぴらぴらと静さんの前に出す。 「なに…」 目を擦りながらそれを見て、理解したであろう瞬間に「えっ」と急に目が覚めたようなはっきりとした声を挙げた。 「バッカ、何やってんだよ!」 早朝、近所に迷惑がかからないようにあまり大きな声ではないが強い語気だ。 まあ、そうなるのも頷ける。 「婚姻届」 「ちょっと、返せって!」 奪い取ろうとするが、昨日オレがあまりに可愛がりすぎたせいか腰がうまく立たないようでくたっとベッドに倒れ込む。 「あー…」 「大丈夫?」 「だめ、色んなことが、色々だめ…」 「オレは本気だよ」 「三角くん…」 やれやれ、といった様子で静さんがため息をつく。 「ほんとは噛み付きたかった」 そういうと、静さんがばっと自分の項を押さえた。 「噛んでないよ」 「…だよね」 ほっとしたような表情をされると、オレとしてはちょっと傷つく。 「イヤなの…?」 「イヤっていうか…」 「何?」 「…たぶん、三角くんの方が、ぼくのこと、イヤになると思う…」 「はぁ?じゃあ今すぐ痕つけようか?」 「やだよ!!やめろよ!!」 もう、そんなに嫌がらないでよ…と、オレは心底思うが、Ωにとって一生のことだ。そうなる気持ちもわからなくはない。 「だから、これは噛み付かないためのお守り」 納得できない、という顔をしているが、オレだって引けない。 「大丈夫だよ、オレ、静さんと一緒に出しに行きたいし。勝手に出さないから。ね?」 「当たり前だよ!!!!もーすっかり目が醒めた…」 「ごめんごめん」 えへ、っと笑うと冷たい視線を向けてきたが、観念したようにそれ以上責めてくることはなかった。オレがそれを大事にバッグにしまっていると、静さんが「テレビつけて」と言ってきた。 「日曜の朝ってなんかニュースやってなかったっけ?」 「どうかな…オレ日曜に早起きすることあんまないし」 「ぼくもないけど…」 仕事柄、ニュースが気になるらしくチャンネルを回して、ふとしたところで止めた。 スーツを着た国会議員が議事堂に入っていく、よくあるニュース映像。 「株ってやっぱ政治とかも関係するの?」 「うん。あ、あれ」 「え?」 静さんがテレビを指差す。 「父親」 「え?」 「ぼくの血の繋がってる父親」 「ええっ?!なに?どれ?」 「も、映ってない」 「なになに?どういうこと?この前家族はいないって…」 「…この前はね…」 こういう関係になると思わなかったし、それに… 「三角くんが、婚姻届とか書かせるから」 一応、お知らせしておくよ、と言っている。 「議員だよ」 議員、国会議員ということか。 言われてみれば確かに“中丸”という名前をテレビで聞いた事がある気がする。 政治経済に全く興味のないオレとしてはどんな顔がしているのかも思い出せないが。 「あと、母、母は女性のΩ、あと、弟が、一人。父と弟がαで弟は今父の秘書をしていると思うよ」 あ、もちろん父はαだよ、とどうでもいい情報のことのように付け足した。 「へえ。立派な家族なのに、なんで隠すの?やっぱり偉い人の子どもとかって面倒なの?」 「そんなんじゃないし、あの人は立派でもなんでもない」 随分険のある言い方をするな、と思ったがその理由はすぐにわかった。 「もう、ぼくは家族と縁を切っててさ」 「え…」 「この家はその際譲り受けたんだ。…だから家族はいないのも同然なんだ」 「何で…」 「そりゃ、Ωの息子なんて、一家のお荷物でしかないからね」 「そんな…」 αとかβとかΩとか、そんなことで差別みたいに、況してや自分の息子と縁を切るなんて、そんな前時代的な人間が国を動かしているなんて。 「今の総理βでしょ。あの人、内心腸煮えくり返ってるんじゃないかな」 ふふっと嘲笑うかのように笑う静さんを、オレは抱き締めずにはいられなかった。 「性で人を差別するなんて馬鹿げてる」 「三角くん…」 「オレは静さんがΩだから結婚したいんじゃないよ」 柔らかな口づけを落とすと、気持ち良さそうに身を任せてくる。 ああ、どうしたら、心までオレに縛り付けていられるのか。 未熟なオレには到底わからない。 「…わかったよ」 「え?」 「結婚はペンディングだけど。ちょっとあそこの引き出し開けて」 指示された通りの引き出しを開ける。 「なに?」 「そこに鍵入ってるでしょ?」 「え…」 それって 「ここの合鍵あげるから」 思わず歓喜に力が籠る。 「とりあえず今日のところはそれで」 「…うん!うんうん!!!」 静さんの部屋の合鍵。 なんてすてきなレアアイテムを…! 踊り出したい気分、そういうと「迷惑だから。絶対やめて」と釘をさされた。

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