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第6話

バンッ! 昼過ぎになり、部屋のドアが急に開いたかと思うと浅間が何か大きな白い布を抱えて部屋に入ってきた。 「え?どうされたんですか?」 「君は近づかない方がいいですよ」 浅間のすぐ後から橋羽が入ってきて戸惑っている俺に釘をさす。 浅間の抱えている布からは小さな頭が覗いている。 「んー!んんんんん!」 「はいはい。お姫様。暴れない暴れない」 浅間の腕の中から声が聞こえるが浅間はまったく気にせずその塊をバスルームに放り込んで鍵をかける。 「ふぅ…毎回凄いな」 「今回は特に不測の事態でしたからね」 浅間が大きくため息を吐くと、橋羽もずれた黒渕の眼鏡をぐいっと人差し指で押し上げている。 俺は急な出来事に何がなんだか分からないまま立ち尽くしていた。 「あ、あの…一体どうしたんですか?」 話し合っている橋羽と浅間に近付き、俺はおずおずと話しかけてみる。 すると二人はこちらに向き直ってなんとも言いがたい表情をした。 「命さんが帰ってきました…」 「え!」 橋羽がふぅと大きくため息をついたかと思うと、苦虫を噛み潰した顔をする。 無表情そうな橋羽はよく見ていると表情は豊かな方ではあるが、隣に居る浅間程ではない。 それでも今の橋羽の顔を見る限り状況が良くないことは分かった。 「あいつはしばらくここから出てこれないだろうから、絶対に何があっても開けない方が少年のためだぞ」 浅間さんは手にした鍵を弄びながらバスルームの扉を指差す。 俺は意味が分からなくて首を傾げる。 扉の中からは苦しそうな呻き声が聞こえ心配になってくる。 「でも…命くん…凄く苦しそうですよ」 「彼は仕事が終わるといつもこうです。心配なのは分かりますが、変に情をかけるのも彼の為にはなりません」 橋羽がきっぱりと言い放つのを浅間はやれやれといった顔で見ていた。 「しばらくこのバスルームは使えませんので、向こうのバスルームを使ってくださいね」 橋羽は浅間の視線など気にせず、反対側を指差すと乱れた髪をさっと整えている。 命くんは相当暴れたのだろう。 浅間の服も所々がのびていたり、ボタンが飛んだりしているのが見える。 未だにバスルームの扉の隙間からは命くんの小さな呻き声と、時おり混じる嗚咽が聞こえている。 「さぁ…犬達の散歩の時間ではないですか?仕事をしてください」 「でも…」 「いい加減なところで部屋に戻しますから大丈夫です」 後ろ髪をひかれつつも、橋羽にぐいぐいと肩を押され部屋から出されてしまう。 しかたがないので、俺は動物たちの居る部屋に向かい午後の仕事をすることにした。 ワン! 「こら!早いって!」 犬にグイグイと引っ張られながら、店を出る。 犬達は昼に店の周辺を散歩させるのがお決まりだ。 「あれ?」 何回かに分けて犬達の散歩をするが、最後のグループの散歩を終えて店に帰ってくると店の前に見慣れない車が停まっていた。 店にはバイヤーだけでなく、業者さんも直接商品を買いに来るお客様も居るから店の前に車がある時は俺は人に会わないよう裏口から入るようにしている。 誰から言われたわけではないが、まだ商品でも従業員でもない俺が店の人間以外に見られるのは良くないと思ったからだ。 犬達を部屋に戻すと俺は命くんが心配になって部屋に帰る事にした。 「いやだぁ!そのくすりいや!」 「だめよぉ?これは精神を落ち着けるお薬なんだから」 部屋の中から大きな声が聞こえて俺はそぉと部屋を覗いた。 命くんが居るバスルームの扉が開いており声はそこから聞こえてきていた。 バスルームを恐々と覗いてみると、つりあがった目に派手な髪の色をした中華服の様な服を着た人が命くんの手を掴んでいた。 「お仕事大変だったんでしょ?身体中ボロボロじゃない。フラッシュバックもあるんでしょ」 「うぅ~」 「これ打ったら少しは落ち着くから言うこと聞きなさい」 「おちゅうしゃいやぁ」 命くんは首を振るがその人は手際よく細いチューブを取り出して命くんの手に巻いている。 傍らに置いていた鞄から注射器と薬の瓶を取り出すと命くんは恐怖からか動きが止まってしまう。 「いやぁ…パパァ…れいちゃ…ぐす」 命くんは大きく暴れないもののしくしくと泣き出してしまう。 命くんは“パパ”と“れいちゃん”という言葉をずっと繰り返して泣いている。 「はいはい。お注射こわいわね」 中華服の人は馴れたもので淡々と注射器で薬を吸い上げ、中の空気を指で弾いている。 空気を注射器から押し出すと命くんの手を取って薬を注入していく。 「はい。終わったわよ。次は身体の治療をするわよ」 「ひっく、ぐすっ」 命くんはまだ泣いているが、中華服の人はそんな事を気にせず命くんの服を脱がしていく。 「えっ…」 「あら?あなた新しい子?」 俺は命くんの身体を見て驚きのあまり声が出てしまった。 その声で気がついた中華服の人が俺の方を見て微笑んだ。 「手伝ってくれないかしら?私はダイヤ…お医者さんよ♪」 中華服の人はダイヤと名乗った。 ダイヤは俺に手招きをする。 2人に近付くと命くんの身体の状況が良く見えて目を反らしたくなった。 命くんの小さな肩には古い小さな火傷の痕が点々とあり、背中にはみみず腫の様な赤い肌が少し盛り上がった痕があったり、明らかにタバコを押し付けられたであろう痕もある。 首、手首、足首には小さな擦り傷と共に帯状の紫色になった鬱血痕がある。 胸と内腿には小さな鬱血した痕があって、そこだけが生々しい情事の痕跡に胸がぎゅうっと押し潰される思いだった。 「ううう」 命くんから唸るような声が上がる。 項垂れている命くんの背中が震えていて悲壮感が漂っていた。 「包帯取ってくれるかしら?」 「え…あ、はい!」 急にダイヤから声をかけられ反応すると、鞄を指差し指示される。 俺は慌てて鞄から包帯を取り出すとダイヤに渡した。 ダイヤはさっと命くんの手当てをしていき、命くんはすっかり全身包帯だらけになってしまいその姿も痛々しかった。 「はい…おしま…あら」 全身に包帯を巻き終えた頃、命くんの身体がぐらっと傾いてそのままダイヤの方に倒れていった。 「やっと鎮静剤が効いてきたわね」 「命くん大丈夫ですか?」 ダイヤが命を抱き上げると、俺は心配になって命くんの顔をのぞきこむ。 命くんは小さな寝息をたてて眠っていた。 ダイヤの言うとおり、鎮静剤が効いてきたのかもしれない。 「少し疲れただけよ。私はこれで帰るけど、何かあったら巽ちゃんに言ってくれたらまた来るわ」 「はい」 「さぁ、ベットで寝かせてあげてちょうだい」 ダイヤに命くんを渡されると、身体のあまりの軽さに衝撃を受けた。 俺はこくりと頷くと、ダイヤはにっこり微笑んで俺の頭をくしゃりと撫でる。 「素材でこんなに素直な子久し振りにあったわ。お金に困ったら私のお店に来てもいいのよ?巽ちゃんにも言っておくわね~」 ダイヤは鞄を掴むと、部屋からさっと出ていき最後に振り返ったかと思うと投げキッスを寄越して帰っていった。 俺はそれをポカンと見ていたが、命くんが腕の中で動いたのを感じて急いでバスルームから命くんをベットルームに運んだ。 その身体は燃えるように熱かった。 ベットルームへ命くんを運んで額に冷感シートを貼ってやり暫く様子を見ていたが、ふと俺が気が付くと部屋が真っ暗になっていた。 ベットサイドでそのまま寝てしまったのだろう。 「あ、俺寝ちゃったのか…」 命くんはいつの間にかぬいぐるみを抱いてすぅすぅと寝息をたてていた。 額に触れると、当然だがまだ熱がある様で熱い。 しかし息の乱れもなく、俺はほっと胸を撫で下ろした。 命くんを置いてベットルームを後にすると部屋の机の上に手紙と食事が置いてあった。 “命くんに鎮静剤を投与した様ですが、まだ色々不安定なので気を付けてください。 お休みのようだったので、食事はここに置いておきます。 部屋の鍵はかけ忘れないようにしてください。 藍沢(あいざわ)” 「藍沢さんが来たのか…」 藍沢はこの店の事務を担当してる人で、橋羽が他の仕事で来れない時に俺に仕事の指示を出してくれる人だ。 藍沢さんの手紙の上にはアンティーク風の鍵が置かれていた。 この置かれている鍵は多分この部屋の鍵だろうと言うことは手紙の内容から推測ができる。 この部屋は個室が何部屋もあり、一応施錠ができるようになっていた。 まだ使った事は無かったが一応鍵をポケットに入れる。 時計を見るとまだ7時にもなっていなかった。 部屋にある小さなキッチンで食事を温めようと食事の乗ったトレーを持ち上げようと屈んだところで、後ろにドンッという軽い衝撃を感じる。 「れいちゃん…」 「え?」 ちいさな声が聞こえて振り返ると、やはり腰の所に命くんが張り付いていた。 俺はトレーを持ち上げるのを諦めて命くんの方へ向き直ると、一瞬ためらったがぎゅっと抱き締めてやる。 一瞬命くんの身体がびくっと震えたが、おずおずと抱き締め返してくる。 「れいちゃん…パパァ…会いたいよぉ。みこともおうち帰りたいよ」 俺には誰の事を言っているのか分からなかったけど、命くんの弱音に胸が締め付けられる思いで背中を撫でてやることしかできなかった。 熱に浮かされているせいかぽろぽろと涙を流す命くんの熱い身体が更に熱くなった気がした。

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