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第7話

「ぐすっ、理くんごめんね…」 しばらく泣いていた命くんの背中を撫でてやっていると、少し落ち着いて来たのか、まだしゃくりあげながらだったが少し恥ずかしそうに顔をあげた。 袖で涙を拭うが、袖口から見えた包帯に顔をしかめない様にする。 「ううん…お茶でも持ってくるからちょっと待っててね」 「だめ!」 身体の水分が全て抜けるのではないかと思うほど泣いた命くんに何か飲物を持ってこようと思って、座っていたソファから立ち上がろうと腰を浮かせたところで服の裾をぎゅっと握られてしまった。 「行かないで…ぼくを一人にしないで…」 命くんはまだ錯乱しているのか目の焦点が若干合っていないように見えた。 「うん…分かったよ。どこにも行かないよ?」 服の裾を握っている手に手を重てやり落ち着かせる様に握ってあげる。 そうすると、また瞳からはボロボロと大粒の涙が溢れてくる。 藍沢さんが不安定と書いてあったのはこの事なのかとぼんやり思った。 「ぼ、ぼく…かえるおうちが無いんだ」 命くんは泣きながらぽつぽつと話し出した。 しかし、やはり焦点は合っておらずどこか宙を見ているようで俺に話していると言うよりは吐き出せなかった思いをただ吐露しているものに近かった。 「前に、“預かり”から“流れ”になったれいちゃんって子が居たの。れいちゃんは前の彼氏に拉致されてこのお店にきたっていってた」 命くんは思い出したように犬のぬいぐるみをぎゅうと抱き込んで、丸くなるように足を縮める。 そうすると、小さな身体がより小さく見えて巻かれている包帯やガーゼが更に痛々しくみえる。 「れいちゃんは“ミコミコ”のママみたいにお料理が上手で、可愛くて、とっても温かった。かえるおうちも、何も持ってないぼくにも優しくてぼくのママになってくれるって…旦那さんのけいちゃんも、けいちゃんの息子のしょうちゃんもぼくの家族になってくれるよって言ってくれたんだ」 命くんの話に出てきた“ミコミコ”とは、俺が小さな頃に流行ったアニメのタイトルだろうか。 よく考えると命くんの名前はそのアニメの主人公の女の子の名前と一緒だと今更ながらに気が付いた。 れいちゃんとやらは旦那さんが居たと言うことは女の子のなのかなってぼんやり思った。 そして命くんの話の中の名前に何処か聞き覚えがある。 「でもれいちゃんお仕事してると、いつもの優しいれいちゃんじゃ無くなっちゃうの。なんか怖いれいちゃんに変わってぼくも止められないの…青色の目がガラスみたいに何も見てないの」 遂に命くんは自分の膝に顔をうずめて、犬のぬいぐるみの形が変わるほど強く握っていて指先は白くなっている。 話に出てくる、れいちゃんもそうだが今の命くんも何も見ていないガラスみたいな目をしていた。 「そんなれいちゃんを見てられなくて、ぼくたつみにお願いしたんだ。れいちゃんをけいちゃんのところに帰してあげてって。ぼくはパパも居なくなっちゃったし、帰るおうちもないもん。お客様のパパ達とえっちすると痛いこともしてくるけど、寂しいのも全部忘れちゃうから」 命くんが一息つくようにふぅと息を吐き出しながら顔をあげる。 すると、形の変わってしまった犬のぬいぐるみを抱きなおし優しくぽんぽんと撫ではじめる。 「そんなれいちゃんが悲しくて、見ていられなくて新しくたつみと契約をして、れいちゃんの分のお金もぼくが返す事にしたの。れいちゃん最初はすごい怒ってた」 命くんは俺より年下のはずなのに、ふふふって自嘲気味に笑うものだから凄く大人びて見えた。 「ぼくにはもう何にもないけど、れいちゃんも君も違うでしょ?」 やっとこっちを見た命くんは悲しそうな、それでいて全てを諦めた様な顔をしていた。 その顔に俺は涙が出そうになって、命くんの身体をぎゅっと抱き締めてやる。 「れいちゃんも、パパも…ぼくをよくぎゅってしてくれた。本当は、パパにもれいちゃんにも会いたい…でも二人共もう居ないの」 命くんはそう言うと、俺の肩に顔を埋めてまた泣きはじめた。 肩口が涙で濡れて少し冷たかったが俺は気にせず命くんの背中を撫でてやっていた。 どれくらい命くんの背中をさすっていただろうか。 命くんからはまた寝息が聞こえてきた。 先程の話が俺の胸にずっしり重くのしかかって、こんな小さな子が話す内容とは思えなかった。 「れーちゃ…」 寝言でも“れいちゃん”を呼んでいる命くんに夢では幸せな世界に居られますようにと思いながら頭を撫でてやった。 俺はふと命くんの話を思い出して懐かしい名前を聞いたなと命くんの髪を撫でながら胸がほっこりとしてきた。 “れいちゃん”は知らないが、その旦那様だと言う“けいちゃん”と息子の“しょうちゃん”は俺の間違いでなければ知り合いだ。 子供の頃、父さんが死んでから住んでいた家も土地も無くなってとある団地に移り住んだ。 お嬢様育ちの母さんは当然アルバイトすらしたことがなかったらしく、慣れない仕事や家事によくイライラしていた。 よく手を挙げられたり、食べるものが用意されてない事なんて日常茶飯事だったし、着るものも最低限の物しかなくて髪の毛もボサボサの状態で今より長かった気がする。 「何してるの?」 家を追い出された俺は近所の公園に来ていた。 職歴がない母さんができる仕事なんて本当に限られていて、スーパーのレジ打ちの収入程度では生活ができない。 たまに家に男の人が来ると、ぼくは家から追い出される。 今思うと母さんは身体を売っていたのかもしれないけど、子供の俺にはそんなこと分からなかったが行く場所も無いのでよく近所の公園でぼんやり遊んでいる子達を見ていた。 そんな俺が公園の隅のベンチに座って居ると一人の男の子が声をかけてくれた。 「まいごなの?」 「おうちに帰れないからここに居るの」 少し年上に見える男の子は俺の返事にオロオロとしはじめた。 俺を見て遠巻きに何か言っている子は何人もいるものの、誰も声をかけて来た事がない。 不思議に思っていると男の子はポケットからセロファンに包まれたチョコレートを出してくる。 「チョコあげる!」 「え…あ、りがとう」 俺は少し驚いたが、お腹がすいていたので素直に受け取ってそれを食べた。 俺がチョコを食べるのを見守っていた男の子は、ほっとした様子で俺の横に座ってくる。 「いつもここに居て他の子達を見てたから気になってたんだ」 「・・・・」 「あ、おれは花吹 翔(はなぶき しょう)!」 「えっと…さとる」 にこっと笑いかけてくれた男の子は翔くんというらしい。 もうひとつチョコを差し出してくれたので、今度はおずおずと受け取った。 翔くんの手と自分の手を見比べて自分の手が随分と貧相だなと思う。 「お腹すいてるの?」 「お母さんご飯作ってくれないから」 「あ、俺の家も!!お父さんはご飯作ってくれるけどおいしくないんだよなぁ」 翔くんは明るく笑って色々話してくれた。 似たような生活の子が居たんだと思うだけで少し気持ちが軽くなった気がする。 ぱっちりとした瞳が印象的な顔はくるくると表情が変わって、俺はその子がとっても眩しい物に感じた。 「お腹すいてるなら、俺の家においでよ」 「でも…」 「いいから!いいから!」 少し渋ったけど、強引に腕を引っ張られて翔くんの家におよばれした。 翔くんの話では中々友達ができないので俺に声をかけてくれたらしい。 「汚いけどどうぞ!」 「ぼくの家もいっしょだよ」 翔くんの部屋は俺と同じ団地群の中にあって、俺の部屋の2棟ほど手前にあった。 扉を開くと玄関には缶やペットボトルの入ったごみ袋が置いてある。 廊下にも洗濯物や色々な物が落ちていて、自分の家と一緒で少し安心した。 「ただいまー!」 「おぅ」 家の中に声をかけた翔くんの声に返事が返ってきて俺は凄く驚いた。 奥の部屋から金髪の男の人が出てきて、スウェットの裾からポリポリとお腹を掻いている。 「父さん友達連れてきた!」 「バッカ!!連れてくるなら連絡しろよ!少しは片付けたのに…」 「そんなこと言って、片付けないだろ!」 親子同士の言い合いに俺はどうしたら良いのか分からずにただ立ち尽くしていた。 首がだるだるに延びきったTシャツの端を握って立っていると翔くんのお父さんとぱちりと目があう。 俺が縮み上がると翔くんのお父さんはふにゃっと笑顔を見せてくれた。 「びっくりさせてごめんな。それにしても君細すぎじゃないか?」 「お母さんしか居ないんだって!」 翔くんがフォローを入れてくれたので、俺は小さく頷いた。 翔くんのお父さんは一瞬難しい顔をしたけどすぐにニコッと笑って手招きされる。 一瞬迷ったけどゆっくり近付くと近くの椅子に座らせてくれた。 「ろくなもんないけど、ご飯食べていきな」 「冷凍食品だけどね!」 「こら!!翔は黙ってな!」 机の上の物を退かしてくれながら翔くんと二人でニコニコと何かを準備してくれた。 ピーっと電子レンジの音がして、お皿の上にご飯が乗っている物を出してくれる。 翔くんのお父さんがコンロへフライパンを乗せて、火をつけて何かを焼いていた。 「はい。おまけで目玉焼きもつけてあげるよ」 ご飯の上へ目玉焼きをフライパンからスライドさせて乗せてくれた。 俺はそれをどうしていいか分からずに二人の顔を見る。 翔くんは楽しそうだし、翔くんのお父さんはタバコに火をつけはじめた。 換気扇をつけて大きく息を吐くと換気扇に煙が吸い込まれていく。 またタバコをくわえた翔くんのお父さんが俺の手にスプーンを握らせてくれてご飯を一口分すくいあげた。 こくんと頷いたのを見て、俺はそれをぱくんと口に入れた。

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