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第10話
俺は命くんのゆっくりとした足取りに合わせて巽さんの部屋へと足を進める。
本人的には頑張って歩いているつもりなんだろうけど、歩みがとっても遅い。
俺がこの質屋に来たときには走っている姿も見ることがあったのに、今はその時の様子が思い出せない程歩き方がぎこちなかった。
コンコン
何とか時間をかけて巽の居る部屋についたので、俺がノックをするとすぐに内側から扉が開いた。
ドアのすぐ横には橋羽さんが立っていたので、すぐに開けてくれたらしい。
「たつみ!とくべつほうしゅうちょうだい!!」
「あぁ。今回は災難だったね」
「ほんとうだよ!」
そのまま巽さんの部屋に通されると命くんはすぐに叫んだのだが、巽さんは俺達の顔を確認すると何事も無かった様ににこりと微笑んだ。
そんな命くんに巽さんは紙の束を取り出す。
「今回はイレギュラーな事すぎて返済金に上乗せすることはできないけど、命が喜ぶ報酬を用意したよ」
巽さんはゆっくりと口から煙を吐き出し、手の中の紙の束を弄んでいる。
煙管を持つ姿が本当に様になっていた。
「ぼくがよろこぶもの?」
そう言って受け取った紙の束を命くんが1枚めくると何やら文字の羅列と写真が張り付けてあるのが見える。
命くんはパラパラと何枚がめくって写真を確認していた。
「れいちゃん!よかった元気そう…」
写真の人物を見た瞬間、命くんの目からボロボロと涙が溢れた。
横から見えた写真には肩口まである金色の髪の毛に青い瞳の人物が写っていた。
その顔が、俺も見たことのある顔だったので俺は渋い表情になりそうになるがなんとか堪える。
「これがけいちゃん…」
別の頁の写真には、若い男の人と笑顔で買い物をする様子が写っている。
その男性にも見覚えがあったが、俺は本当に無感情でその写真を上から眺めていた。
「ほら、次が重要だよ?」
「次?」
巽さんに言われ、命くんがページをめくると命くんの動きが止まって動かなくなった。
俺は心配になって顔を覗き込もうとする。
「大丈夫?命く…」
「パパ…」
「え?」
急に膝からがくんと崩れ落ちた命くんは、紙の束をぎゅうと皺になるほど握りしめて胸に掻き抱いた。
小さな身体を更に小さくすると、再び涙がポロポロとこぼれ落ちる。
「パパ…生きてたんだ…あっ!皺になっちゃう!」
小さく呟いた命くんは慌てて紙の束を大事そうに持ち直した。
涙は止まることなくほろほろと頬を伝っているが、命くんは紙の束の方が大事なのか気にしていない。
「いいご褒美だろう?続きは部屋で読んでもらいなさい」
再び煙管を咥えて煙を吐き出した巽さんは椅子に深く腰掛け、手で部屋に帰れと言わんばかりの仕草をする。
それを見ずに命くんは俺の手をひいて急いで部屋を飛び出した。
命くんは行くときに比べて比較早く歩いて部屋に帰ってくると、紙の束から写真だけを少し強引に取り外す。
写真を外した状態の紙の束を俺に押し付けて来た。
「自分で読まなくていいの?」
「しばらくはむずかしいのは読めないからいい」
この紙の束は命くんにとって大切なものだと感じたので確認をしてみたが、肝心の本人は紙の束より写真に夢中だった。
軽く読んで教えてあげればいいのかもしれない。
「じゃあ、読ませてもらうね」
そう一応声をかけて内容を見た。
命くんが言っていたれいちゃんとは女の子かと思っていたら、とても見覚えのある見た目が女子の男だった。
命くんの手の中に、ある写真のとても見覚えのある顔に俺の頬がひきつるのを感じる。
命くんが言っていたけいちゃんとは、玲の“夫”で圭介さんと記載があり、俺は間違いかと思って何度も読み直すが書類には間違いなく“夫婦”と記載されている。
書類には命くんの言った通りの玲がこの店に来た理由と、売られた金額、店から出た日付が記載されていた。
その理由に軽く怒りと同時に吐き気が込み上げてくる。
「れいちゃん…前より元気そう。やっぱりけいちゃんがいるからかな…」
俺が玲の記事を読んだのを見計らった様に命くんが嬉しそうに机に並べた写真を撫でている。
俺はとても複雑な気分だったがあえて自分の事は口に出さず命くんの言葉を待った。
「パパは今何してるの?」
「あ、う、うん。そうだね」
命くんは隣の写真を大事そうに持ってこちらへ期待の眼差しを向けている。
命くんの言う“パパ”は美世博光と言う名前らしい。
ヤクザの三男坊で自宅でオンラインショップを営業していたが、現在はまったく別のところで営業をしているらしい。
その事を伝えると命くんは嬉しそうにうふふっと笑った。
「パパまだお店してるんだ…もう新しい子みつけちゃったかな」
しかし、命くんはすぐに暗い顔になり写真をぎゅっと抱き締めた。
書類には俺が赤面してしまうような厭らしいオンラインショップの資料画像が添付されている。
古い商品には、顔や局部などの肝心な部分は写っていないが上気した肌や滲んだ汗など明らかに情事の時に撮られた画像が使われている。
しかし、最近のモノには商品の写真だけで商品説明も簡素なモノに変わっている。
そんなモノを見たこともなかった俺は見るに耐えなくて、命くんへ紙の束を突き返した。
「あ、これぼくのしゃしん!これはお腹かき混ぜられてるみたいで何度もイッちゃったんだよー!!」
書類の画像を見て命くんがはしゃぎ出す。
画像を指さして俺に感想を教えてくれるが、俺は恥ずかしくて命くんを見ることができなかった。
「さいきんのやつはないね。パパ新しい子は飼ってないんだ…よかった!!」
命くんの言葉は俺の常識からは、かなりかけ離れた発言が出てきているがきっと命くんは至極真面目なのだろう。
俺はなるべく口を挟まない様に根気強く命くんの話を聞く覚悟をした。
「ぼくね。本当のおとうさんもおかあさんも知らないの。でも、パパはぼくに名前くれたし、色々な事を教えてくれたの。ぼくの事大好きだっていっつもぎゅってしてくれた」
「・・・・」
命くんは懐かしそうに写真を撫でた。
写真を眺める顔は容姿に反してかなり大人びて見える。
「パパ…やせちゃったけど生きてたし嬉しい!こっちが昔のパパだよ!」
命くんが差し出した写真には、だるそうに椅子に座っている太った男が写っている。
重ねられたもう一枚には痩せてはいるものの相変わらずだるそうに椅子に座っている男が写っている。
「これなんて書いてある?」
「えっと…“尚、該当者の弟は現在道明寺組幹部のイロとして生活している為、該当者への関与はないとみられる”だって」
イロとはなんだろうかと二人で首をかしげるが、関与はないと書いてあるのだからきっと命くんのパパの美世さんは普通に暮らしているのだろう。
俺はこれ以上深く考えるのはやめた。
深入りしても絶対に良いことが無さそうだと思ったからだ。
「パパはぼくを待っててくれるかな?」
「きっと大丈夫だよ…」
変に期待を持たせる返事はしたくなかったが、俺は自分の期待と希望を込めて頷いた。
今の命くんの笑顔は先日見たほの暗いものではなく、眩しい太陽の様な笑顔だった。
俺はついつい命くんの頭を撫でる。
「はぁ。やっぱりこいつキモチワル」
命くんは安心してしまったのか写真を抱えてまた寝てしまった。
それを横目に、俺は命くんが貰った資料の頁を捲り先程ゆっくり見られなかった箇所を改めてゆっくりと読んでいく。
圭介さんの頁を読みながら懐かしい気持ちに、ベッド横のサイドボードに乗せていた髪留めを取る。
母さんに何度も壊されて捨てられ、その度に泣きながらゴミ箱を漁って取り戻した圭介さんから貰った大切な物だ。
ピンク色の塗装は剥げて下の銀色が出てきているし、ピンクの塗料はうっすら残っている程度だ。
ついていた飾りは何かのキャラクターだったのか、モチーフだったのかも分からない位に原型をとどめていない。
バイト先でも新しい物を買ったらどうだとお節介な人に言われたが、その場は愛想笑いをして流したなとどうでも良いことを思い出す。
俺はその髪留めを撫でながら圭介さんの家族のところの翔という文字を撫でる。
「別に俺はこいつの事は知りたくないけど、元々これは命くんの物だしな…」
俺は圭介さんのところにある玲の文字を見てげんなりとした。
翔さんの記載は少なく、何ヵ所かあるバイト先と学校の名前程度しか記載がなかった。
一方の玲の経歴を見ると、経歴が爛れ過ぎていて再び吐き気が込み上げてくる。
複数人と性的関係を持ち、そのうちの1人とトラブルになりそのせいでこの質屋に連れてこられたとの記載に俺は我慢できなくなってトイレに走った。
胃の中の物を全て吐き出した事で少しスッキリしたので、うがいをして部屋に戻る。
これ以上資料を読む気にもならず、俺は資料を命くんの枕元へ戻しに行った。
特に寝苦しそうな様子もなく、手に持っている写真をそっと手から引き抜いて資料の上に乗せる。
俺は部屋を出て、部屋の鍵をかけると自分のベッドへ直行した。
ベッドに倒れこむとバフッと間抜けな音がする。
「はぁ。何であんな奴と命くんが…しかも圭介さんまで…」
目元に手をやり、大きくため息をつく。
元々玲とは中学の先輩後輩と言う間柄だろうか。
正確に言うと、ただ俺があいつより学年が上だっただけだ。
保健室登校のあいつに何故か目をつけられた俺はよく“ネクラくん”とからかわれたし、色々言われもした。
中学時代は目の色を隠す為に前髪を長く伸ばしていたし、あまり人とは喋らず孤立していたのも原因かもしれない。
女子の制服をだらしなく着て、カラフルなキーホルダーやリボンなどで学校指定のサブバッグをデコレーションして、地毛だから注意もされない金髪をツインテールに適当に結んだ姿は正に“ギャル”と言っても過言ではなかった。
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