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番外編 年越し小ネタ

 月村病院には、正月休みなんてものはない。  勤務医や多くのスタッフには交代で休んで貰っているが、何せ町で唯一の医療機関だ。おまけに高齢者の多いこの数田美町では、年末年始も万が一に備えて病院を閉めてしまうわけにはいかない。  その為、院長である父と英司、そして長年勤務してくれている一部の看護師や事務員は、年末年始もほぼ毎日、通常通りの勤務が続く。  今年は年末にかけて強い寒波がやってきた所為か、体調を崩しがちな町民が例年より多かった。それをいつもより少ないスタッフでこなさなければならないので、英司が病院を出たときは、既に夜十時半を過ぎていた。  大晦日だというのに、明日も朝から出勤だし、ゆっくり年越し蕎麦を味わいながら新年を迎える余裕もない。  自宅の駐車場に車を停め、玄関を開けると、玉子の甘い匂いがフワリと鼻先を掠めた。 「あ、英ちゃんおかえり」  エプロン姿の芳がリビングから出てきて、いつものように労いのキスで迎えてくれる。芳が近づくと、甘い匂いは一層強くなった。 「いい匂いだね。芳さんのフェロモン、いつから玉子焼きになったの?」 「そのフェロモン、色気ある?」 「僕は玉子でも鰹出汁でも構わないけど」 「英ちゃん、だいぶお疲れだね……」  芳が、さり気なく英司の荷物を引き取ってくれる。 「子供たちはみんな寝た?」 「うん。花芳がさっきまでおせち作り手伝ってくれてたけど、さすがに眠くなったみたい」 「もしかしてこの匂い、おせちの準備?」  リビングに入ると、ダイニングテーブルには既に出来上がったおせち料理が何品か皿に盛られて並んでいた。オーブンでは、伊達巻用の玉子が程よく膨らんで甘い香りを漂わせている。 「子供たちはみんな伊達巻好きだから、ちょっと多めに作っとこうと思ってさ」 「僕の好きな筑前煮は?」 「ちゃんと一番に作って、今味染み込ませてるとこ」  芳が指差したコンロの鍋の中で、筑前煮が色良く煮込まれていた。 「英ちゃん、明日も仕事でしょ? せめて弁当くらい、筑前煮入りのおせち仕様にするから」  楽しみにしてて、と少し得意げに芳が笑う。  芳と一緒に暮らし始めて、共に迎える新年ももう七度目。なのにこれまで一度も、英司はゆっくり家族で正月を過ごせた試しがない。  芳も子供たちも、医者として休めない英司の事情はよく理解してくれてはいるのだが───。 「……芳さん、ごめんね」 「ん? 何が?」 「毎年、正月も一緒に過ごせないから」  驚いたように一瞬目を見開いた芳が、フッと目を細めて英司の身体を抱き締めてきた。 「英ちゃんが、この町の為に頑張ってくれてる証でしょ。俺はむしろ、誇りに思ってるよ。多分子供たちだって同じだと思う」 「僕が、寂しいって言ったら?」 「え? ……英ちゃん、今日ホントにどーしたの?」  具合でも悪い?、とまるで子供にするみたいに、芳が英司の額に掌を当てがう。  医者を辞めるつもりは毛頭ないが、子供たちが手を離れてしまうまでに、せめて一度くらいは、一緒にゆっくり新年を祝いたい。ずっと孤独だった芳に、何気ない幸せを味わわせてやりたい。 「芳さん。三が日が過ぎてひと段落したら、神社に行こう」 「初詣?」 「それもあるけど、久しぶりに日の出が見たいんだ」  英司と芳の、特別な場所。何年経っても変わらない繋がりを、確かめたい場所。  そんな英司の意図を察したらしい芳が、少し妖艶な仕草で細い腕を英司の首へと絡めてきた。 「今日の英ちゃん、なんか司みたい」  可愛い、と微笑む唇が、英司のそれに重なる。  英司との生活を、どんなときでも楽しんでくれる芳だから、それこそ子供みたいに振り回して、意地の悪い駄々をこねて、想いを知らしめてやりたくなる。英司にとって、芳の存在がどれほど大きいのかということを───。 「芳さん不足で、疲れてるのかもね」 「じゃあ仕事がひと段落したら、寝かせないで?」 「言われなくてもそのつもりだよ」  年越しのカウントダウンも、正月の朝の団らんも、この町で医者を続けている以上、なかなか堪能することは出来ない。  だからせめて、次の休みは家族揃って早朝の初詣に出向く約束をして、英司はオーブンが鳴るまでの間、芳の甘い唇を味わい続けた。

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