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番外編 お題:『月が綺麗ですね』を言わせてみた
商店街の中ほどにある、通い慣れた居酒屋は、この日珍しく満席だった。
今日は商店街に店を構える面々を中心とした、毎年恒例の新年会。とはいえ参加は自由で、店など関係なく、町民は誰でも参加出来る。都合が合えば誰彼構わず集まってくるのは、小さなこの町ならではだ。
ついさっきまで居た熊谷一家も帰宅し、店内に残ったのはすっかり出来上がった酔っ払いだらけになっている。
「……くっそ〜、また英ちゃんに負ける。彩香姐さん、おかわり!」
隣でも例に漏れず、カウンターに沈みかけた芳が、紅い顔で空になったジョッキを叩きつけた。
「芳チャンたら、いい加減諦めたら? 英司クンには勝てっこないわよ」
芳に「彩香姐さん」と呼ばれてカウンターの向こうで苦笑しているのは、この店の『長男』だ。一見モデルのような長身の美人だが、れっきとした男性。普段は二丁目でバーを経営しているが、年末年始の繁忙期だけは、毎年こうして店を手伝いに帰ってくる。
日頃馴染みのない彩香のオネェキャラも、今では数田美町の風物詩のようになっていた。
「年始から負けるとか、幸先悪いからやめてよ……」
普段の陽気さが嘘のように、芳が重く沈んだ声を出す。反動なのか、酔うと途端にネガティブになるのはいつものことだ。その分泣かせやすいので、英司にとっては有り難い、というのは胸の内に仕舞っているが。
「仕方ないわねぇ」と呆れた息を吐いて、彩香が英司と芳の前に鮮やかなライムグリーンのカクテルを出してくれた。こんな小洒落た酒が出てくるのも、彩香が居るときだけだ。
「……なにコレ、綺麗」
「グリーンティーモヒートよ。この町の風景には似合いの色でしょ」
彩香の説明は耳に入っているのかどうなのか、芳は聞き終わらない内に勢いよくグラスを傾けた。
「ちょっと芳さん。いい加減にしないと帰れなくなるよ」
止めようとした英司に、彩香がカウンターから身を乗り出し、「芳チャンのはノンアルよ」と耳打ちしてきた。
そうとは知らず、グラスを一気に空にした芳は、
「アレ? なんかスッキリした気がする。俺ちょっと強くなった?」
とすっかり上機嫌になっている。
結局その後、ノンアルコールのカクテルを五杯飲み干し、酒に強くなったと勘違いして喜ぶ芳と店を出る頃には、日付けが変わりかけていた。
「今日の俺凄くない? 今までで一番飲んだ気がする」
後半全部ノンアルだけどね、とい突っ込みは心の中に留めて、英司は「そうだね」とだけ頷く。
「嬉しくて飲み過ぎちゃったなー。子供達迎えに行かなきゃ」
「芳さん、今何時かわかってる? 今日はこのまま、子供達は実家に泊めてもらうように連絡しておいたよ」
「え、もうそんな時間? 悪いことしちゃったなー……しかも俺、今一瞬喜んじゃった」
「喜んだ? なにを?」
「久し振りに、英ちゃんと一晩中二人っきりだーって思ってさ。親失格だ……」
再びシュンと萎れる芳は、どうやらまだ微妙に酔いが残っているらしい。そんな芳を愛おしいと思ってしまうのだから、自分も親として失格なのかも知れない。
「まあ、一晩くらいは許されるよ」
自宅へと続く道を歩きながら言った英司の腕に、芳の腕が遠慮がちに絡んできた。
「……昔さ。『月が綺麗ですね』っていう愛情表現があるって誰かに聞いたんだけど、それってこういうときに言うのかな」
英司の肩に軽く頭を預けるようにして、芳が見上げた空には、青白い月が輝いている。芳の髪からフワリと漂う甘い香りと相まって、どこか幻想的に見える。
「それに対する答えは知ってる?」
「『死んでもいい』って言うのがいいんだっけ。その気持ち、なんかわかるな……」
「言っておくけど、僕は死なせたりしないよ」
英司の言葉に、肩口で微かに笑う気配がした。
「うん、知ってる。気持ちはわかるし、出会ったばっかの頃ならそう言ったかも。……けど、今は言わない。英ちゃんと一緒に居られるのが、何より幸せだから」
白い息と共に零された芳の言葉が、澄んだ空気の中に柔らかく溶けていく。
「あ、でも、死んでもいいって思えるくらい好き……っていうのは、言っていい?」
いつもより控えめな芳に、今度は英司が小さく笑った。互いの想いを伝えるには、きっと言葉なんかじゃ足りはしない。
「どうせなら、死んでもいい、よりも、死ぬほどいいって言わせてあげるよ」
「……英ちゃんてさ、飲むとスケベ度上がるよね」
「芳さん、月が綺麗だね」
「……死ぬほど気持ちよくして」
───大人たちの夜は、まだまだ終わらない。
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