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番外編 ワンライお題『おうちで美容院』
「椅子なんか持ってどこ行くの。電球でも切れた?」
ダイニングチェアを抱えてリビングから出たところで、二階から降りてきた英司とバッタリ鉢合わせた。
怪訝そうに首を傾げる英司の眉が、「どうして声掛けないの」とでも言うように軽く顰められる。
妊娠中の自分を気遣ってくれているのだと察した芳は、「違う違う」と笑って首を振った。
「ちょっと、洗面所で髪切ろうと思ってさ」
「髪?」
眼鏡越しに芳を見詰める目が、今度は驚きに丸くなる。
「もしかして、自分で切るの?」
「あ、そっか。フツーは美容院とか行くよね」
「そっか、って……これまでも、自分で切ってた?」
「あー、ほら。俺、頸の傷見られんの、嫌だったから」
藤原と番っていた頃は、傷を隠す為に髪を伸ばしていたので、鬱陶しい長さになれば、その都度適当に切っていた。
それに子供の頃から親に見放されていた芳は、そもそも髪を切りに連れて行って貰ったことも、当然親に切って貰ったこともない。だから、髪なんていつも自分で切るのが当たり前なのだと思っていた。
「もう隠す必要ないし、いっそバッサリ切ろうかとも思ってるんだけどさ」
慣れた手つきで洗面所の床に新聞紙を広げ、その真ん中にリビングから持ち出した椅子を置く。
鏡に向き合う形で椅子に腰掛け、肩甲骨に届くくらいにまで伸びた毛先を弄っていると、不意に英司が芳の手から髪を掬い取った。
「英ちゃん?」
「バッサリって、どのくらい切るの」
「そうだなー……結ばなくてもいいくらい?」
どのみちこれまで散々色を抜いて痛んでいるし、こんな髪に価値も未練も無い。
芳はそう思っていたのだが、「このくらいかな」と芳が襟足に添えたハサミを、英司の手が奪い去った。
「勿体ないよ」
「え?」
なにが、と問い返すより先に、英司の持つハサミが、傷んだ毛先をほんの二センチ程切り落とした。
「芳さん、自分で思ってるよりも、その長さ似合ってるから。毛先だけ切れば充分だと思うけど」
「………」
かつてはただ放置されていただけで、藤原と番ってからは忌々しいその証を隠す為だけに伸ばし続けていた髪。
なのに英司は、そんなものにすら価値をくれる。芳の存在を、一つ一つ確かなものにするみたいに。
そういえば、生まれて初めて、人に髪を切って貰った。
何の為に生きているのかもわからなかった自分に、生きる意味を教えてくれた英司。
芳が与えられるものなんてたかが知れているけれど、これから先は、英司の為に生きる自分でありたい。
「……じゃあ、英ちゃんが好きな長さに切って」
「オペならともかく、髪を切るのは専門外だよ」
「英ちゃん器用だから平気だって。それに俺、英ちゃんが切ってくれるならガタガタでもいいし」
「じゃあいっそ、人前に出られないくらいにしようか」
「待って! 切るの、毛先だけなんだよね!?」
少し意地悪く笑いながら、英司が再びハサミを入れる。
芳を何度も救ってくれたその手は、今日も芳の身体から、優しく傷を取り去ってくれるのだった。
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