10 / 27
★とある酒場の看板娘(本当は男)と、とある男の後日談★
*
________
________
所変わって、ウィリアムは小刻みに横揺れする船の帆を見上げていた。
船乗りの仕事に未だに慣れていないウィリアムはバランスを崩さないように注意を払いつつ歩くので精一杯なのだ。
数多いる船乗りの中でも下っ端中の下っ端であるウィリアムは今しがた甲板の掃除を終えたばかりであり、ようやく一息ついている所だ。
ウィリアムが住んでいる村から船で大体丸二日程離れた場所にある海原が広がるこの地域は遥かに気温が低く夏に近しい時期とはいえ昼間でも真っ白な吐息がでる程に空気が冷えている。
そんな状況下で水仕事や甲板の拭き掃除をしたため、指先は真っ赤になり、もはや冷たさまで感じず麻痺してしまうくらいに手がかじかんでしまっているのだけれども、今のウィリアムにとってはそんなのは些細なことだと思わずにはいられない。
まだ仕事には慣れていないとはいえ、ウィリアムは様々な葛藤を取り払い覚悟を決めて幼い子供の頃から憧れていた《船乗り》になったのだ。それは間違いなく、自分の決意と意思によるものだ。だから、一人前になる前から雑務が嫌だという生半可なことでへこたれてはいけないと感じていたし、かつて酒場に入りびたりで飲んだくれだった頃のように現実から逃げてはいけないとも感じている。
しかし、そんなウィリアムにも後悔していることがある。
それは、想い人であるティーナと喧嘩別れしてしまったことだ。
何故、一言「昔のような明るく太陽みたいなティーナに戻ってほしい。自分と一緒に酒場を取り戻していこう」と本心が言えずに挙げ句の果てに喧嘩してしまったのだろうか。
別に、ティーナが昼間にギルドに行くのを本気で反対している訳じゃない。ましてや、キャプテンに暴言じみた言葉を吐かれて傷つくティーナに対して心配していたサムに対して心の底から激しい憎悪を抱いた訳じゃない。
なのに____、
『ティーナ……今のお前は、昔のようにイキイキとしていたお前じゃない。そんなにこの酒場を閉じたいのなら……いや、ギルドでのクエストに専念したいのなら好きにすればいい……俺も、もう……暫くはこの酒場には来ない』
何故、あんなにも素っ気なく冷たい態度を取ってしまったのか。
あの時のティーナの悲しそうな、それでいて何か言いたげだった顔を瞼の裏に思い描くだけで胸が痛む。
けれども、今更どんな顔をきて何といって彼に謝ればいいか分からない。そもそも、今は航海中でありすぐにはティーナに会えないのも事実だ。
「……っ____!?」
そんなことを悶々と思い悩み、ボーッと上の空だったせいか船が大きく横揺れしたことにウィリアムは気付けなかった。
バランスを崩したせいで、前のめりになり転倒してしまいそうになる。すると、あわや顔面を強打してしまう寸前でグイッと誰かが引き上げてくれたため結果的には転倒せずに済んだ。
「済まなかった。ありが……」
と、言いかけた所でウィリアムはその恩人が誰なのかが分かり、思わず言葉を詰まらせてしまった。
まるで、空から自分達を照らしてくる太陽のように眩しい笑みを浮かべるサムが立っていたのだ。
*
「…………」
「…………」
その後、やるべき仕事を終わらせ、船内の下級船室で意図せずにだが二人きりとなった後も暫くは気まずい空気が流れた。
だが、
「ウィリアムさんも……あのティーナっていう子が好きなんですか?それだったら悔しいな。ボクに勝ち目なんてないかも。大人しく貴族である叔父さんの手伝いをしておくべきだったのかな。船乗りの仕事だって、ウィリアムさんみたいに、力持ちなわけでもないし……キャプテンから目をかけられてるわけでもないみたいだし____」
室内に漂う気まずさに耐えきれなくなったのかは定かではないが、意外なことにサムの方から軽快な口振りで話しかけてきた。
ウィリアムは正直何と答えていいのか分からなかった。しかし、だからといって無視する訳にもいかない。
「ティーナのことは……その__彼に対して特別な思いを抱いているとしか。だけど、キャプテンは別に俺ひとりだけを気にしている訳ではないと思うし、お前が船乗りの仕事に向いていないとも思えない。それと、この間は……あいつの酒場で見苦しい所を見せて悪かった。自分でも情けなくなった……反省する」
「ありがとうございます。これからは、今までとは違って気兼ねなくお話しても構いませんか?船乗りの仕事での同僚として、そして何よりも恋のライバルとしても……」
穏やかに微笑みかけてくるサムに対して、ウィリアムはその返事の代わりとして、決して器用とはいえない笑みを浮かべるのだった。
こうして、とある船乗りの長い一日が終わるのだ。
*
ともだちにシェアしよう!