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★ とある酒場の看板娘(本当は男)と、ある男の後日談 ★

* * * 実は、ティーナには子供の頃から村人達から子守唄として聞いていた【憧れの地】があった。 だが、成長するにつれて――そんなことなど、すっかり忘れてしまっていたのだ。むしろ忘れてしまっていたというよりは、わざと思い出さないように努めていたといった方が正しいのかもしれない。 両親もティーナが幼い頃には「○○○に行きたい」という話を、素直に聞いてくれて時には笑顔まで浮かべてくれていた。 けれど、ティーナが成長して村の学校に通い――更に子供とは言えないくらいに年をとっていき、貧乏なせいで《魔術師》という夢を捨てて、村人の働き手として肉体労働をし始めてからは、そんなことは、すっかり「叶わない夢だ」と諦めきっていたし、何よりも畑を耕し作物を収穫するという日々が忙し過ぎて、ろくに考える暇すらなかったのだ。 それでもティーナは《魔術師》とは別に、違う夢を叶えたのだから、今の生活に満足しきっていないわけではない。《酒場の看板娘》としてカウンターに立ち、日々の仕事に疲れきった人々を癒してあげたいという、もうひとつの夢だ。 なぜ《酒場の看板娘》を選んだのかは、ティーナにも、よく分からない。両親が酒場を経営していたわけではないし、村人達から影響を受けたわけでもない。 ただ、そんなことは今更気にすることでもない――と、ティーナはウィリアムが操縦する船の上で遥か一面に広がる真っ青な海原を眺めながら思う。 重要なのは、過去のことではなく今のこと____そして、これから待ち受ける未来のことなのだ。 そう思いながら、ティーナは甲板の先端の方で舵を握るウィリアムを横目でチラリと見つめる。すると、鼻高々といわんばかりに顔をくいっとあげたウィリアムが得意げに笑ったが、彼のすぐ隣にいるキャプテンから小突かれてしまった光景が見えたため、ティーナは思わず笑みを浮かべてしまう。 『お前さんを、誤解していた。嘘っぱちサムの奴と懇意にしていたように見えていたものでな……あの時は、済まなかった。これからも、ウィリアムの野郎を……頼んだぞ』 全てが終わり、少ししてからウィリアムの仕事仲間かつ一番上の立場にいるキャプテンが酒場を訪ねてきて、ぶっきらぼうだが謝ってきた。 彼が言う《あの時》とは、いつだったかサムと酒場で二人きりで話しをしていた時に、凄まじい剣幕で怒りの言葉を此方へ向けてあらわにした時のことだとティーナは理解した。 そして、ティーナはキャプテンの謝りの言葉を素直に受け入れて和解したのだ。 ティーナが今、こうして大きな船の上にいられるのは《キャプテン》と、その他《船員》たちのおかげだ。 しかし、その中で一人だけ非情なサムの手によって命を失くした船員がいるのを思い出すと心苦しさを覚えた。 * それから、一日が終わるまでに色々な場所へ行った。 ティーナ達の村から北の方角に存在するというエルフ族のみが住む【ミュリアの森】____。 鳥人族のみが住んでいるという南に存在する空中都市【アルト】____。 ドワーフとノームが共存していて西に存在するという【ドゥーラの渓谷】____。 ヒト族から捨てられた子供のみを育て上げて作り上げた獣人族の居住地で東に存在する【コムドの庭園】____。更には、そこから少し離れた場所に存在するのは【魔物をこよなく愛するヒト族達が住むピュミナ研究村】____。 まだ他にもあったけれど、とにかく様々な場所を巡った。中には船で巡るのが困難な場所もあったのだけれど、出会う度に遠慮がちとはいえ協力を申し出てくれる親切な種族達ばかりで何度感謝の言葉を述べたのか数えきれない程だった。 彼らは皆、口々にティーナとウィリアムへと『いつか君らの酒場へと行ってみたい』と話してくれて、短い旅だったのが名残惜しかったが別れたのだった。 * * * その日は、唐突に訪れた。 朝早くからティーナ達が住む村に雪が降り、やがて吹雪に覆われ辺り一面が白く染まり、同時に闇の黒に染まりつつある夕方から夜へと向かっていく境目の時刻のこと____。 ティーナは、酒場の開店準備に追われていた。隣には、それを手伝うウィリアムの姿もある。 今は吹雪が村を支配することがほとんどな真冬のため、ウィリアムの本業である船乗りの仕事は休み中だ。 そして、それはウィリアムだけではなくキャプテンをはじめ他の船乗りの皆にもいえる。 そのため、ティーナの《酒場の看板娘》としての仕事を手伝ってくれているのは、何もウィリアムだけじゃないのだ。 キャプテンは、船乗りの皆が何をすればスムーズに事が進むのかを、きちんと把握して的確に指示をしてくれているし、他の皆も《掃除》《料理番》《その他の雑用》を文句ひとつ言わずにテキパキと手際よく行ってくれた。 そして、時計の針が《18時30分》を過ぎてから少しした後で【ティーナの酒場】に最初のお客様が訪ねてくる。 それは、ティーナやウィリアムも知っている人物――。二人の門出を祝福し、しょぼしょぼとした両目から涙を溢しながら何十本もの花束を持つノルマンだった。 もっとも、市場で買えるような高級な花束ではなく――ウィリアムの家、つまりティーナの家である酒場から大して離れていない場所に山ほど生えているありきたりな花のものだったが。 それでも、心から嬉しいと感激したティーナは快くノルマンを酒場へと招き入れ、やがて続々と現れた旅で出会った親友とも呼べるべき様々な種族の仲間達をも快く招き入れるのだった。 * その華やかな光景を、一枚の窓を隔てた外の世界から眺めている者達がいる。 けれど、決して中の世界には入れない。 二つの小さな影は、何かを言いたげに悲しげな表情で中の華やかな世界を見つめ続けている。 『…………(おなか、すいた) 』 二つの影のうち女の子の影が、ぽつりと呟くが――すぐに猛烈な吹雪がそれを掻き消す。 『…………(あそこに、はいりたいよぅ……おにいちゃん) 』 『…………(ぼくらには、ぼくらの……仲間がいる……だから、だから____) 』 小さな二つの影のうち、男の子の影が困ったような表情を浮かべながら女の子へ言い終える直前のことだ。 背後から音もなく現れた、もう一つの影が男の子と女の子の影の肩を、ぽんと軽く叩く。 二つの影と違って、大人の影だ。 そして、その傍らには濡れネズミのようになった小さな女の子の影がひとつ――中の世界である酒場の方を、じいっと見つめている。 『…………(もう、もどろう……わたしたちの世界に……もどろうよ……みんながわたしたちのことを待ってる……そうでしょ、エス ) 』 びしょ濡れな女の子の影は、華やかな中の世界から目線を落として、昨夜雨が少し降ったせいでじんわりと湿った土の上に置いてある赤い花を見つめた。 彼女は、それには決して触れることができない。 それを痛いほど分かりきっている四つの影は、やがて――くるりと透き通る身体を翻して、彼らがいるべき場所へと戻ろうとする。 けれど、びしょ濡れの女の子の影はぴたりと動きを止める。 そして、静かに窓へと近づいていくとソッと曇った硝子へと手を当てたのだ。 それから暫くして、四つの影は森の中へと帰って行った。 決して、酒場の方を振り返ることはなく____。 * ふいに、ティーナは思い立ったように曇った窓へと目を向ける。 そこには、小さな手形がひとつついていて、ほぼ同じタイミングでそれに気付いたウィリアムと共に安堵したように微笑むと、それから新たな客達へ向けて並々ついだ酒を掲げながら満面の笑みを浮かべて共に乾杯の合図をするのだった。 二人の――いや、それだけではない。 これから新しく生まれかわった《ティーナの酒場》の常連客になるであろう新たな仲間達との門出を祝って____。 ~ end ~

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