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2. 『運命の人』 11
「...私、陣さんとお試しでも付き合えたのは奇跡だと思ってるんです。」
「奇跡?」
「はい。運命っていうよりも奇跡。あり得ないくらいにすごいことだって...。」
そう言った詩織さんの顔は寒さのせいか頬が赤くなっていた。
缶を握る手も僅かだけど震えていて、その時彼女がコートも羽織っていない薄着だと気付いた俺は、自分のコートを詩織さんの身体に掛けた。
「ありがとう、陣さん。...本当にね、こんなことしてもらえるのって夢みたいなの。」
「...何故?」
「...あのね...初めて会ったあの合コン、本当は合コンなんかじゃなかったの。」
「え?」
「言ったら陣さんに嫌われちゃうって思ってた。だからずっと言えなかったけど...ちゃんと話すね。...聞いて、下さい。」
そう言った詩織さんは、ココアの缶を見つめながら俺の知らなかった『真実』を話し出した。
初めて出会ったあの合コン。
それは詩織さんの左隣に座っていた女性の為に開かれた偽りの合コンだったらしい。
あの女性は長く付き合っている彼氏が居て、中々プロポーズされないことに痺れを切らし、彼氏を焦らす為にウチの会社の男性に合コン話を持ち出した。
他の女性も詩織さん以外は彼氏が居て、出会いを求めていた訳ではなかった『偽』の合コン。
だから連絡先の後悔も二次会も無く、ただ男女が楽しく話しているところを窓の外にいた彼氏に見せつけることだけが目的。
詩織さんと休みが重なったのにも理由があった。
『実はあの合コンの前から会社は辞めていたんです』
そう話した詩織さんは辛そうだった。
人見知りで恥ずかしがりの詩織さんは、会社で上手く自分の意見が言えずにいた。
周りも合コンに参加していたあのメンバー以外、そんな消極的な詩織さんのことを良く思わなかったらしく、キツイ言葉を浴びせられ居場所が無いと悩んだ詩織さんは退職。
そのあと偶然あの偽の合コンに誘われ詩織さんと俺は出会った。
あのアンケートの話はずっと前のことで、詩織さんが作ったエプロンはもう何年も前の物。つまりあのときの話は『嘘』で、休みは重なるんじゃなくて、今は働いていない詩織さんはいつだって『休み』同然の状態だったのだ。
「...ごめんなさい。」
「いや...まさかそんな...」
「驚きますよね。嘘ついちゃったし...。
でもね、私があの合コンに行ったのには理由があったんです。」
「理由?」
「はい。私、ずっと陣さんに片思いしてました。もう何年も前から、ずっと...。だから男性メンバーの中に陣さんが居るって聞いて、無理矢理参加したんです。」
そう言った詩織さんはもう冷めているであろうココアに口を付け、恥ずかしそうに話し出した。
「陣さん、前に私と一度会ってるんです。ちょうどこれくらいの季節に、カフェで。その時陣さんはお料理の友の読者アンケートを書いてて、たまたまそれが目に入ったんです。私が自信を無くして落ち込んでる時に、私が作ったエプロンのことを褒めてくれてた。盗み見たんじゃないですよ?でもハッキリ見えた。陣さんのあの綺麗な文字が、『エプロンが素敵だ』って...。その時陣さんの顔を見たらすっごく真剣で、その姿に一目惚れしたんです。」
お料理の友はもう何年も前から買い続けているお気に入りの雑誌。
その読者アンケートを出すのも習慣のようなものになる程で、俺に詩織さんの話す内容が一体いつのことなのかは分からなかった。
「それからたまたま向いの会社に入っていく陣さんを見かけて驚きました。まさかこんなに近くで働いているなんてって。それから私はずっと陣さんが好きでした。片思いでいい、そう思ってた。...だけどあの合コンの話があって、陣さんとお話できて、まさかこんなに近くに居れるだなんて、本当に本当に夢かと思ったの。陣さんが私を好きになってくれるかもしれない、そう思ったら幸せで、毎日が輝いて見えた。」
夜空を見上げた詩織さんは、立ち上がると深呼吸して俺を見た。
可愛らしいと感じたあの顔で、微笑みながら口を開く。
「だけどね、私気付いたの。陣さんは私を好きにならない。これから先もずっと、好きにならない。だからさっきのお話は、ごめんなさい。お試しのお付き合いも終わりにしましょう!」
詩織さんの声は今までで一番力強かった。
あの小さく消えそうなこえを出していたとは思えない程にハッキリと言った『ごめんなさい』と終わりの言葉。
俺は今まで聞いたことだって理解するのに追い付いていないのに、更にそんなことを言われて動揺した。
「い...いや、でも...!それになんで...っ」
「...勘、って言ったらおかしいですけど、最近感じていたんです。陣さんが好きになろうとしてくれてるって。」
「それはそうだけど...でも!もう一度初めからやり直したら俺だって」
「なりません。やり直してもきっと陣さんは私を好きにはなりませんよ。」
「なんで!」
「...私と陣さんが、運命じゃないからです。出会ったのも偶然なんかじゃない。私がそうしたからで、理由があった。...ねぇ陣さん、私すっごく幸せでした。だけどそのせいで陣さんを苦しませてしまった。悩ませてしまった。それが本当に申し訳ないんです。...もう一度やり直すって言葉も嬉しかった。だけどもう大丈夫です。私、ちゃんと分かりましたから。陣さんは私の運命の人じゃない。陣さんには別に運命の人がいるんです。」
詩織さんの声は、最後まで力強いままだった。
だけど声は震えて、俺を見る瞳には涙が滲んでいた。
それなのに詩織さんは微笑み続けた。
俺に弱い所を見せまいと、必死に涙を堪えているようにも見えた。
「別れましょう、陣さん...」
だからその言葉を聞いた時、俺の瞳にも連られるように涙が滲んでいた。
詩織さんの言葉は静まり返ったこの公園で、悲しい程にハッキリと俺の耳に届いたのだった。
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