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3. 記憶喪失事件 8

「お願いだから...っ!もう止めて、いつもの弥生に戻ってよぉ...っ!!!」 こんな冷たい弥生は嫌だ。 ヘラヘラ笑ってる弥生がいい。 ウザイくらい俺の側を離れない弥生がいい。 弥生のご飯が食べたい。弥生と一緒に眠りたい。 あの声で、俺を『千裕』って呼んで欲しい。 「俺ちゃんとするから...っ、家事も洗濯も掃除も弥生にばっかやらせないから...っ、弥生に心配かけないから...っ!」 ただ甘えることしかしてこなかった自分、それでいいと言われて忙しい弥生を更に忙しくさせた自分。 弥生が記憶喪失になったのは自分が負担をかけていたからかもしれないと考えていた。 「ムカつくことも言わない、ちゃんと弥生に好きって言うから...っ、俺が思ってること、ちゃんと伝えるから...っ、生意気な態度も取らないからぁ...!だから俺の知ってる弥生に戻ってよぉ...っ、弥生ぃ...っ!」 こんなこと言ったらきっと弥生は離れてしまう。 そう、分かっているのに止められなかった。 弥生が俺の知ってる弥生じゃなくなってたった3日のことなのに、その間弥生からの愛情を受けられないことが寂しかった。 いつも自分の気持ちを理解してくれていると思い込んで、弥生に『好き』も『愛してる』も言わず可愛い態度の一つも取れなかった自分がどれだけ弥生に寂しい思いをさせていたのか、こうなってやっと分かった。 自分のせいで『寂しい』と口に出せない頃の弥生に戻してしまった、そう後悔していた。 ...今更思いを口に出したって、もう遅いのに。 「...思ってることって、何?」 「俺が弥生を好きだってこと...っ、愛してるってこと...っ」 「好きって?愛してるって?どれくらい?」 「弥生が居なきゃ生きてけない...っ、それくらい俺には弥生が必要なの、だから...お願いだから側に居てよぉ...っ!セフレでも性欲処理でもいいから...っ、好きじゃなくていいから...っ、俺を一人にしないで......っ!」 弥生に捨てられたくない一心で口にした自分の気持ち。 『お願い』と何度も繰り返す俺の目からはボロボロと涙が溢れていた。 「...あのさぁ、俺がそんなことすると思う?」 「っ!?」 「言ったよな?俺は千裕を愛してるって。それなのにセフレ?性欲処理?んな馬鹿なこと絶対しねーよ。」 俺を『千裕』と確かに呼んだ弥生は、萎えたソレを俺のナカから出すと縛ったネクタイを解いた。 そして俺の涙を掬うと、いつものようにキスをして、俺の知ってるあの口調で『千裕』と、もう一度名前を呼んだ。 明らかに違う弥生の態度。 雰囲気も俺の腕に付いたネクタイの痕を心配そうに見つめる姿も、さっきまでとは別人かのように違う。 「ミ...キ...?」 「うん?なに?つか今どんな状況?」 「ほんとに...ほんとに弥生なの...?」 「そーだよ。...なぁ、なんでそんな泣いてんの?喧嘩でもしたっけ?」 「~~~っ!弥生っ、弥生ぃ...っ!!!」 「え!?なに!?いきなりデレタイム!?」 弥生が弥生に戻った、そう分かった時俺は自分から弥生を抱き締めた。 これでもかってくらいきつく、もう離さないって気持ちを込めて。 そんな俺に弥生は『なんだ!?なんなんだ!?』って戸惑っていて、俺はしばらく涙が止まらなかったんだ。 ーーきっかけはよく分からないけれど、こうして弥生は無事記憶を取り戻した。 というよりも元に戻っただけで、本人に記憶喪失だった3日間の記憶は残っていない。 俺が一人で弥生にお願いした辺りから元の弥生に戻ったらしいけど、キャバクラに行ったこともそこで女の子が触れたことも、スマホのパスワードのことだって俺を無理矢理抱いたことだって、弥生は何一つ覚えていない。 『本当にごめん。傷付けてごめん。』 3日間の弥生の言動を一通り説明すると、弥生は土下座して謝った。 その姿はいつか俺が響くんに迷惑かけた時に二人で謝ったあの時と同じで、本当に悪かったと思っている証拠。 もちろん俺だって弥生に対して反省していることはいくつもあったから、覚えていない間のことは許すことにした。 「...だけど、もう絶対俺のこと忘れないで。ずっと俺だけ好きでいて、俺だけを愛してて。」 気持ちは言葉にしなきゃ伝わらない。 今回の事で学んだことを早速実行すると、弥生は嬉しそうに口元をニヤニヤさせながら頷いた。 それから俺はほんの少しだけ今までよりも素直になった。 弥生が『今日も愛してるよ』って無駄にイケメン面して吐くこの言葉。 それまでなら『気持ち悪っ!』とか言って誤魔化すけれど、今の俺は違う。 「俺も愛してるよっ」 心から思っている本当のこと。 だからこそ言葉にしなきゃいけないって思ったんだ。 素直な俺に慣れない弥生は顔を赤くして戸惑っていて、そんな弥生も愛しいなぁって思って。 ーー俺はやっぱり弥生が好き。 俺を見つけてくれて、恋してくれて、愛してくれる、そんな京極 弥生(きょうごく みき)が大好きなんだ。 END.

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