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3.オマケノハナシ

「弥生っ」 「んー?どーしたー?」 「...今日、何時に帰ってくる...?」 「23時くらいかな。帰るとき電話するけど眠たかったら寝てろよ?」 「ん、...分かった。」 俺、京極 弥生が記憶喪失とやらになってから1週間。 『療養』なんて形で休んでいた仕事から帰り、千裕と夕飯を食べてから暁斗と会う約束をしていた俺は、玄関先で明らかに『寂しい』という表情を見せる恋人の千裕に胸のトキメキが止まらない。 「ちーひろ。」 「んッ、」 「...絶対帰るから。いい子で待ってて?」 「...はぁい。」 チュッとキスをすると、それに満足したのかうっすら微笑んだ千裕。 手を振り俺を見送るその姿は今すぐにでも襲いたくなる程可愛いのだけれど、今夜はどうしても暁斗に会わなくてはならない。 『早く帰ろう』、そう心に決めて待ち合わせ場所のバーへと向かった。 4月に入ると夜でもだいぶ温かくなった。 まだ羽織る物は必要だけど、それもコートから薄手のパーカーに変わり、吐く息だって白くない。 歩いてそれほど時間のかからないバーに着くと、暁斗は既に中にいて注文も済ませていたようだった。 「お待たせ。」 「さっき来た所だよ。...千裕くん、大丈夫だった?」 「多分。まぁ寂しいは寂しいんだろーな。めちゃくちゃ可愛い顔して何時に帰ってくるかって聞いてくんの。あーーうちの子マジ天使っ!」 「...そりゃ良かったね。」 あの事件以来、千裕がとにかく可愛くて仕方なかった。 今までなら『ウザイ』だの『キモイ』だの、俺の愛の言葉を軽く貶していたのに、ここ数日は小さい声で『俺も好き』って返してくる。 それだけじゃない。不慣れな家事を手伝おうとしたり、不器用ながらに洗濯物を畳んだり、自分から俺にくっついてきたり。 ...アルコールが入った千裕ならやりそうなことだけど、千裕が素面で『甘える』なんてことはレア中のレア、俺にとってはスーパーデレタイムなのだ。 それが毎日続いていて、正直ニヤニヤが止まらない。 記憶喪失中に千裕を傷付けた罪悪感はあるものの、そうなって良かったと思ってしまう自分が居るのはナイショの話。 「で?本題は?」 「あー...っと、ちょっとお願いがあって。」 「お願い?」 「...これ、預かってて欲しいんだよね。」 そう言って暁斗に渡したのは一冊の手帳。 俺が記憶喪失になってからすぐに用意したもので、中身は『俺』に関わることや千裕と撮った写真だった。 「...もしまた俺が記憶喪失とかなったらさ、これを渡して欲しいんだ。」 それは千裕を忘れた自分が許せなかったからこそ作った『俺マニュアル』。 自分の名前や生年月日、暁斗と兄弟になった経緯や仕事のこと。 思い付く限り自分に関わる人間や出来事をまとめた手帳。 中でも一番ページ数が多いのは、一生側にいると約束した千裕のことだった。 出会いから始まって、千裕の名前や性格、同棲していることと恋人であることを事細かく書き記し、顔を忘れないように挟んだ写真ははにかんで笑うお気に入りの1枚。 千裕から聞いたスマホの話を思い出し、パスワードも書いておいた。 『0515』、それは自分の誕生日でも暁斗の誕生日でもない、愛する千裕の誕生日で、機種は変えたとしてもパスワードとして選ぶのは絶対にこの数字にすると決めていたもの。 スマホの使い方まで書くのは面倒だったから、そこに関しては暁斗に聞けと書き残した。 ...俺は理由も分からないまま記憶を過去に飛ばした。 そしてまた理由もきっかけも分からないまま今の自分を取り戻した。 何が原因なのかが分からない以上、また同じことが起こる可能性がある。 それがいつなのか...もしかしたら明日起こるかもしれない、そう考えたら居ても立ってもいられなかったのだ。 「...了解。」 「あと通帳の金は絶対使うなって言って!」 「分かったよ。」 「あー、でも理由は言うなよ?」 「はいはい。注文の多い奴だなぁ。」 俺が千裕に隠している秘密を知っている暁斗は、そう言いながらクスクスと笑った。 『秘密』、それは千裕との未来を見越して始めた貯金のこと。 自分が一生側にいると約束した以上、千裕のことは責任を持って幸せにしてやりたい。 男同士の俺たちが子供に恵まれることはあり得ないから、もしずっと一緒に居れるなら老後の金だって残しておかなくてはならない。 ...そう考えてコツコツ貯めた貯金のことは、いつか必要となるその時まで千裕には秘密にしておきたかった。 ちなみにそれは暁斗も同じで、俺たちは同じ秘密を共有していたりする。 血の繋がりは無いけれど、本当の兄弟以上に分かり合えて大切な存在。 手帳には千裕の次に多く暁斗のことを書いてある。 「話はそれだけ?」 「...それと......迷惑かけて、悪かった。」 「今更?もういいよ。これは確かに預かったから、他に用が無いならさっさと帰りな。千裕くん泣いてるかもよ?」 「ッ、バカ。まだ一時間も経ってねぇって!」 そう言いながらも俺はもしかしたら?と千裕の泣き顔を想像した。 ...ああ、泣いてたらどうしよう。可愛すぎて襲いたくなる。 注文したアルコールを飲み干すと、俺は店を出てすぐにスマホを取り出す。 愛しい恋人が俺からの電話を待っているはず。 『今から帰るよ』と言えば、予定より早い帰宅時間に喜ぶ声が聞こえた。 ツンツンした千裕もいいけど、このデレデレな千裕も堪らない。 やっぱり今日は帰ったら優しく甘い台詞でも吐きながら襲うことにしよう。 「愛してるよ、千裕」 電話を切る前にそう囁いた俺は、きっと赤面しているであろう恋人の元へと走り出した。 END.

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