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scene.2 どうしてこうなった!?

 ――共同生活2日目。  俺は、突然の眩しい光に襲われて、目を覚ました。 あれ…俺の部屋ってこんなに明るかったっけ…?何でだ…?と自問自答をしてみて、現在の自分の状況を理解した。…ああ、そうだ。俺は昨日惜しまれながら実家を出て、この新しい土地に移り住んできたんだった。…その証拠は、これだ。 「…結真君。起きてますか?」   ドアの外から聞こえてくるのは、この家の主で、これから一緒に仕事をしていくパートナーとなる童顔過ぎる43歳・芝崎護だ。  住み込み可能で勤務できる事を条件にハローワークで紹介されてやってきたのは、昔ながらの小さなヘアサロン・SHIBASAKI。芝崎護はそのサロンのオーナーである。  実家を離れ心機一転、俺はこの芝崎と共にこのサロンで、これまでの黒歴史のような人生から抜け出し、もう一度やり直す。そう決めたのだ。 「…結真君。起きてますか?朝食が出来上がってますから、一緒に食べませんか?」  再びドアの外から芝崎の声が聞こえてくる。俺はゆっくりとベッドから起き出し、声の聞こえるドアの前まで移動して、その扉を開く。 「おはようございます。芝崎さん」 「おはようございます。どうですか、昨日はゆっくり眠れましたか?」 「はい、おかげ様で…。こんなにまでしてもらっちゃって、何かすいません」 「いいんですよ。私も久しぶりに賑やかな生活が出来て、とても楽しいです。さあ、朝食も出来てますから、一緒に食べましょう」 「ありがとうございます」  そう言って、芝崎はにこやかな微笑みを見せた。…ああ、可愛いなぁ…。こんなに可愛いのに俺よりも年上とか、どうやったらこんな超絶天使が生まれるんだよ…。 「……!」  俺は今、何を考えた?…会ってまだ2日目の目の前のこの男に、可愛いとか!…いかん、どうしてそんな思考が出てくるんだ。相手がどんな人間なのか、まだまだ分からない事だらけじゃないか。お前はそんなに簡単に人を信用できるのか?もしかしたら下心があるのかも知れないんだぞ?こんな上手い話がある訳ないだろう。…落ち着け、俺。…そうだ。これはきっとあれだ、環境が急に変わってテンパってるだけなんだ。…もう少し冷静になれ、俺。 「結真君、どうしました?」 「…あ、いや…何でもないです」 「そうですか。…では。あ、それと…今日は少し遠出をするのですが、大丈夫ですか?」 「え?」 「遠出とは言っても、同じ市内なんですけどね。ここから電車で15分くらいの所ですよ」 「はあ…。ちなみにどちらへ行かれるんですか?」 「当サロンの2号店ですよ」 「…え、2号店?…芝崎さんの店舗って此処だけじゃないんですか?」 「はい。そちらの店舗は、妻がオーナーをやっているんですよ。…あ、妻とは言っても、彼女とは既に離婚が成立しているので、正しくは『元妻』なんですけどね」  この男がバツイチ…?嘘だろ…。どうしてこうもこの男は俺の想像の裏を突いてくるんだ。 つか、そんな自分の良い所も悪い所も全て包み隠さず曝け出すとか、俺の超絶ネガティブ思考の中からは考えもつかない。こいつにとっては全てが自分だから、隠す必要なんてない的な思考なのかも知れないけど…何だろうな、この不思議な感じは。本当に羨ましい限りだ。 「…離婚してるのに2号店のオーナーって…?」 「ああ、それは実に単純な理由ですよ。夫婦としての生活は終わりましたが、仕事のパートナーとしての関係はそのままなんです。お互いがそれぞれに実現したい仕事のあり方を考えたら、結果的に離婚が成立した、というだけの話です」 「は、はあ…」 「今後、結真君にも2号店へ出向してもらう可能性もありますから、それだけは忘れないでいてくださいね?」 「…え?」 「当然でしょう。実際に資格を取るつもりなら、どちらにも対応出来るように、両方の資格取得の為に、最低限の勉強はして頂かないと…」 「あ、そうか…って、ええっ!?両方ですか?」 「そうですよ。今のご時世、理容師も確かに必要ですが、美容師としての資格も取得していた方が、今後の仕事は見つけやすいと思いますよ」 「それって…芝崎さん今の仕事辞めるつもりだったりします…?」 「いいえ、今のところは。ですが、私のサロンの客層はどちらかと言うと老齢の方が多いので、彼らが居なくなってしまった時の事も考えておかないといけないんです。ですから私も、理容・美容の両方の資格を取得してあるんですよ」  だったら理容師じゃなくて美容師の方をメインにすればいいのに…。この顔でそれなりの実力を持ってたら、間違いなくカリスマ美容師とかイケメン美容師とか、そんな肩書き付きでテレビとかに出られそうなもんだけど。…とか言う俺の想像は、すぐに削がれた。 「ちなみに、私の元妻はかなりアグレッシブですからねぇ…。その実力を買われて、時々テレビ出演もしてたりするんです。…私なんかより、ずっとしっかりしてますよ」 「ええっ!?そんなに有名な方なんですか、その人」 「はい。それに、とても素敵な魅力のある方です。一目見れば、きっと結真君も気に入ると思いますよ」 「はあ…そういうもんですかね…」  何かもう。昨日からいろいろあり過ぎて…。 ああ…もしかしたら俺、就職先間違えてきたかも知れない…。 ◇ ◆ ◇  それから俺と芝崎は、電車移動の間に何気ない話をしながら、2号店があるという最寄りの駅までやってきた。この駅から歩いて、2~3分位の所にある商店街の入口の角に、その2号店は存在していた。この辺りのメインストリートなのか、人通りもまあまあ多いようだ。 「此処が2号店です。結真君、さあどうぞ」  そう言って、芝崎は入口のドアを開け、俺を店の中に誘導してくれた。 「おはようございます」 「おは…」 「いらっしゃいま…しゃ、社長っ!!??…ああっ、すみません!来るって分かってたら、もう少しきちんとした格好でお迎えしたのに!」 「どうぞ、お気になさらず。亜咲君。今日、オーナーは居るの?」 「あ、はい。居ますよ。奥の部屋で書類整理してるはずですから、どうぞ」 「ありがとう。あ、そうそう。…隣の彼なんですが…」 「…はい」 「昨日から私の店に入った勝又結真君です。いずれこの店も手伝ってもらうつもりだから、仲良くしてあげてくださいね?」 「あ、ども。俺、この店で見習いやってる藤原亜咲(ふじわらあさき)、と言います。…えと、勝又さん…でいいですか?」 「いや、別に名前で呼んでくれてもいいよ。…言いにくいでしょ、勝又さんって」 「…じゃ、すいません。結真さんで。ちなみに俺のことも普通に亜咲!って呼んでくれていいっすよ。…あ、ところで…結真さん資格って…?」 「…あ、俺?いや、まだ持ってない。昔、少しだけかじった程度」 「へえ。じゃ俺と同じなんですね。俺も高校卒業してすぐに此処に就職したんで、資格の取得はこれからなんです。一緒に頑張りましょ」 「ああ、そうだね。一緒に頑張ろう」 「っしゃ、やったぁ!仲間が増えたwwww」 「…そっか。仲間、か…」 「亜咲君。彼は君より20歳も年上なんだから、もう少しきちんと礼儀を…」 「いや、別に俺は…」 「駄目ですよ。こういう所からきちんとしていかないと。接客業は礼儀が最も重要なんです。技術は二の次。…例え技術が良くても、お客様との信頼関係が築けなければ、私達の仕事は成り立たない。亜咲君だけじゃない、それは結真君にも分かるでしょう?」 「…はい。申し訳ありません、社長。…結真さん。改めてよろしくお願いします」  そう言って、この藤原亜咲という名の少年は、再び俺の前に立ち、その目を真っ直ぐに俺を見つめ…そのままぺこり、と頭を下げた。  俺もそんな彼の姿を見て、なるほどこの芝崎という男が社長と呼ばれるだけの事はある。そう思った。 「…おやおや。相変わらず手厳しいお説教だこと」 「…礼儀を尽くすのは、接客業に身を置く人間として当たり前の行動です」 「ま、確かにね。でも、そんな堅い事ばかり言ってるから、従業員に逃げられるんだよ」 「…え、と…?」 「ああ、そうでしたね。…彼女が此処のオーナーで、私の元妻の『乾みわ子』です」 「え、乾…って、あの!?」 「おやぁ…あたしも随分と有名になったものね?」 「いや、驚いた…。本当に…あの乾みわ子氏、なんだな?」 「そうよぉ。あたしを知ってるって事は…君も経験者の一人だった、と考えてもいいのかな?」  「経験者というか…俺、当事者…ですけど…?」 「おー、そうなのかぁ。何なら、今度からあたしが君専属のカウンセラーになってあげても良いのよ?」 「…みわ子さん…貴女はまたそうやって…」 「ふむふむ。…うん、君も相当苦労してきてるんだねぇ…。顔ににじみ出てるわ」 「…え?」 「みわ子さん、あまり彼を虐めないでくださいよ。まかり間違って何か問題が起きたらどう責任取るんですか!」 「護くーん?あたしを誰だと思ってるの?…トップカウンセラーの乾みわ子さんですよ?…護くんだって分かるでしょー?だって君も…」 「…みわ子さんっ!!!!」 「あー、ゴメン。それ禁句だったね?…あ、それはそうと護くん。今日はどういった用件で此処へ?」 「いや。ですからね、彼が昨日から僕の店に入ったのでそのご挨拶に…」 「ああ、そうだったのね。ゴメンゴメン!えーと…?」 「あ、俺ですか。昨日から芝崎さんのサロンに就職させてもらった勝又結真、と言います。よろしくお願いします」 「はい、乾みわ子です。よろしくお願いします」  そう挨拶しながら、みわ子さんは俺に名刺を渡してくれた。 その名刺には、理美容師・カウンセラー・作家など、様々な肩書きが書き並べられていた。  かつて俺は、この理美容関連の仕事に関わりつつも、自宅で出来る仕事が無いかと探し回って、何となく目に飛び込んできたカウンセラーの通信講座を受けていたことがある。  実はこのみわ子さんというのは、その界隈では知らない人が居ないくらい有名な人物の一人であった。まさかそんな人が自分の目の前に現れて、しかも同じ職場で今後一緒に働く事になるかも知れないというこの偶然たるや、何と言うべきか。…しかしこの芝崎と言い、みわ子さんと言い…俺は一体人に恵まれているのか、それともその真逆か…その真相は分からない。 「あ、そういえばさっき…みわ子さんが言った事って…?」 「え?禁句のこと?」 「いや、その前。従業員に逃げられたとか何とか…」 「……っ!」  俺からその話が出た途端、横に居た芝崎の顔が一瞬赤くなった…ように見えた。 だがすぐに無表情になり、俺が昨日見た、あの彫刻のような凍り付いた瞳が印象的になってくる。みわ子さんと芝崎の間に、一瞬の静寂が流れた。…が、すぐにみわ子さんの言葉がその静寂を破った。 「あー、その話?あれね、正しく言うと従業員が逃げた訳じゃなくて、護くんの酒癖があまりにもひどくて、勢いで追い出しちゃった感じ?…だったよね?」 「…あれは…まあ、確かに…今となっては、悪いのは僕です。反省もしていますが…でもその時に何をしたのか…僕は全く覚えていないんです…」 「護くん、結構な酒豪なのよね。酒の呑み方自体は悪くないんだけど、深くなると絡み酒っぽくなるのよね。説教魔みたくなるというか…さっきの亜咲君とのやり取りを見れば分かると思うんだけど、あれがヒートアップしちゃうのよね。それで相手と喧嘩になって『お前の代わりなんかいくらでも居るんだぞー!出てけー!』ってなったんじゃなかったかな?…そしたら次の日に相手が本当に出て行っちゃったの」 「ぶっ…わははははは!!!!」 「結真君っ…!」 「でもその相手、護くんと結構いい関係になってたのよ?信頼関係も出来てたみたいだし。でもその一件で全てがパー。…おかしいでしょ?」 「…で、その人は今どうしてるんですか?」 「確か、今は別のヘアサロンで働いてると思うわよ?…協会の会合とかで時々顔を合わせることもあるけど…」 「…でもその時の事は、本当に僕は覚えていないので…」 「そう。だから結真君も、護くんと酒を酌み交わす時は気を付けた方がいいわよ?」 「みわ子さん、変な知恵を結真君に付けさせないでください」  …と、こんな2人のやり取りを見ていて、俺はふと気が付いた。 みわ子さんに対する芝崎の態度とその言葉遣いに隠れた彼の姿には、俺に対する態度とは違う何かが見えることに。 「芝崎さん。ひとつ聞いてもいいですか?」 「はい。何でしょうか?」 「みわ子さんと芝崎さんって、けっこう歳離れてます?」 「そうですね。僕よりもみわ子さんの方がお姉さんですよ」 「あ、やっぱりそうなんだ…だからなんですね」 「どういうことですか?」 「いや、芝崎さんの一人称が違うな…ってだけなんですけど」 「ああ、そういうことですか。…離婚したとは言え、みわ子さんは元々身内で気の知れた者同士ですし、僕も仕事とプライベートはきちんと分けているつもりですから。それとも結真君はこちらの方がお望みですか?」 「いや…それこそさっきの話じゃないですけど、礼儀を重んじた方が良いのなら、俺は別に…」 「護くん、良いんじゃないの?だって今、彼は同じ部屋で暮らしてるんでしょ?どうせいずれは崩れていくプライドなんだから、だったら今更そんな細かい事にこだわらなくても良いと、あたしは思うけど?」 「…みわ子さんの情報網は相変わらず早いですね…」 「…て言うか、前に出てった彼も同じ部屋で暮らしてたじゃないの。今回もそうなんでしょ? …だいたい、老い先短い爺婆共しか住んでないようなあのボロアパートに、誰が好き好んで暮らそうとか思う?あたしなら絶対住まないわね」 「彼らには彼らなりの良さがあるんですよ。人生の先輩たちから聞く話は、どれも自分の糧になるものばかりですからね。それに…プライドが崩れる、という言い方は、僕はあまり好きになれませんね。…確かに長く暮らしていけば、相手の良い所も悪い所も見えてくることはありますが…それはプライドなんかじゃありません。ただ僕は、人として最低限の分別は必要だと思っているだけです」 「だからそれが堅いって言ってるの。そんなに肩肘張って…疲れちゃうよ~?」 「…みわ子さんはいろいろ適当過ぎです!」  この阿吽の呼吸のような二人のやり取りを微笑ましく見ていた俺だったが、唐突に何かが弾けたような感覚を覚えた。…それはまるで、俺の心の奥底にずっと閉じ込められていたものが急激に溢れ出したような感じだった。それと同時に、自分の目から頬にかけて涙が伝い落ちてきたことを自覚した。 「…結真君!?どうしたの…?」 「結真君、どうかしましたか?」  そう声をかけてきたのも、やはり2人同時だった。 俺は、自分でも気づかないうちに泣いていたようだ。だが、2人のやり取りがあまりにも楽し過ぎたものだから、俺は笑いながら涙を流すという、何とも滑稽な姿を晒す羽目になってしまった。…ああ、不覚。 「…すみません…。お二人の会話がとても楽しくて、でも何処か羨ましくて…何か変な感じになっちゃいました…」 「良いのよー、ごめんねー。あたし達二人ってね、顔つき合わせる度にいっつもこんな会話しかしてないのよ。ま、夫婦喧嘩は犬も食わぬってよく言うけど…」 「とか言いつつ、別れてますけどね。…どうやら君を驚かせてしまったようで、申し訳ありません…。でも結真君、本当に大丈夫なんですか?」 「…あ、はい。大丈夫です。こんなに楽しいと思った事があまり無かったから、ちょっと自分でも情緒不安定みたいになってるのかも…。でも大丈夫です」  2人を心配させないように、『大丈夫』という言葉を繰り返して伝えることで、俺は本当に何でもないのだと納得してもらうことにした。みわ子さんもそうだけど、それ以上に俺を見つめる芝崎の心配そうな顔が、まるでこの世の終わりのような表情をしていたので、これはまずい…と、そう思ったのだ。  きっとみわ子さんの言うように、芝崎譲という男は本当に真面目な性格の持ち主なのだろう。だが、真面目すぎるが故に堅物でとっつきにくい…というイメージも持たれやすいのかも知れない。それが、彼が時々見せるあの印象的な瞳に反映されているんじゃないかと、この時の俺は思った。  しかしそれは、彼の優しすぎるまでに相手を思いやる精神というものが強いからで、そんな彼に対して、俺が長きに渡り閉ざし続けてきたその心を解放するまでには、さほど時間もかからなかった。    

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