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scene.8 時計の眠る場所

  ――年の瀬も押し迫った頃。  俺は久しぶりに、実家に帰省した。ついこの前まで此処に居たはずの自分が嘘だったかのような新鮮な気持ちで、この家に流れる独特の空気を感じている。あの頃の重苦しさはなく、改めて俺は自分が抱えていた足枷を解き放ち、本当に立ち直れたのだという事を実感した。 「ただいまー。母ちゃーん?」 「結真かー?…お帰り」  息子が帰って来ても中々出てこないこの家の主の声は、奥の方にある仏間の辺りから聞こえてきた。仕方ないので俺は重い荷物を玄関に置き、声の聞こえた仏間へと歩いていく。 「母ちゃん、ただいま。…ってか何してんの、そんな所で写真開いて?」 「ああ、これなー?…年末だし、仏壇を掃除して少しでも要らないものを整理しようかと思って引き出しを開けたら、これが出てきてな。…これ全部、父ちゃんが撮った写真なんだよ」 「えー…あの人、写真なんか撮ってたんだ。どれがそうなの?…俺にも見せてよ」 「お前も見るか?」 「…うん、見てみたい」  そんな事すら普通に言えるようになった自分は、本当に凄いと思った。 今までの俺は父親の存在自体を認めていなかったから、父親の関わりがあるものはなるべく触らないようにしていた。しかし今は違う。芝崎の周りに居る人たちが、俺を変えてくれたのだ。俺はもう一人ではない。父親の本当の気持ちは分からないけど、あの人はあの人なりに俺に対して向き合ってくれていたんだろう…と、そう思った。 「ほら、見てみな。これなんか、あんた達二人がとても良い顔をしてる写真だよ」  母親にそう言われて、俺はその写真を受け取った。 これは何処だろうか…どこかの遊園地のような場所で、俺と弟がソフトクリームを持ったまま笑顔を見せている写真だった。…写真の中の俺は、自分の鼻についたソフトクリームを指でこすり取ってそれを食べようとしているようにも見えた。 「うわ、何だこれ。めっちゃ恥ずかしいなぁ…」 「でもこれはこれで、いい雰囲気の写真だと思うよ。子供らしいというかな。…父ちゃんはさ、子供のそういうさりげない瞬間を写真に収めるのが本当に上手かったんだよ」  そうしてその後も、母親は古い写真をいくつも取り出しては、そのたびに俺にそのまま渡してきた。これまでなるべく父親との距離を置こうとしていた俺は、そういう写真すらもほとんど見たことが無かったけれど、こうして改めて渡された写真を見てみると、確かにどれも俺たち子供の笑顔の写真がほとんどで、思っているほど怖いイメージのものは無かった。 「結真は昭と違って、父ちゃんに対してあまり心を許してくれなかったけど…あの人はいつもあんたの事を誰よりも心配してたんだよ。…成長していくたびに、いつしかこういう笑顔を見せなくなったあんたを見て、父ちゃんは言ったんだ。『成人したあんたの笑顔が撮りたい、一緒に酒も酌み交わしたい』ってな。…けど、そうなる前にガンで逝っちまった。病院のベッドでも、そう言ってよく悔しがってたよ。…晩年には『俺は結真に一生許されないまま死んでいくのか?』ともね…。その言葉をあの人の口から聞いた時には、さすがの私ももう何にも言えなかったね」 「…そうなのか…。…俺も迷惑をかけてたのは何となく分かってたけど、親父も親父なりにいろいろ大変だったんだな…。」  写真を見ながら母親とそんな話をしていると、唐突にするっと落ちた1枚の写真に目が留まる。そしてこの写真に写っていた俺も、やっぱり笑顔だった。だが、俺が気になったのはそれだけじゃなかった。写真の中の人物に、目が留まったのだ。 「…あれ、こんな写真あったっけ…?」 「あーこれな…。たぶん、あんたが中学くらいの時のクリスマスの写真だと思うよ。…ほら、よくウチに来てた文ちゃん、覚えてる?…あの子が連れて来てた息子の護くんだよ」 「…え!?」  俺が見つけたその写真の中に一緒に写っていた人物は…間違いなくあの芝崎だ。 昔の写真なのだから当然ではあるが、今より幼さこそ見えるものの、その特徴的な瞳は今の芝崎の面影と何ら変わりはなかった。 「…嘘だろ…。これがあの護さん…?」 「いや、そういう名前じゃ無かったと思うけどね?」 「母ちゃん…それ多分違う。…この人、護って言うんだよ。芝崎護。…名前の漢字は同じだけど、これは『まもる』じゃなくて『ゆずる』って読むんだよ」  「ええ!?」 「…実は俺、この家を出てからずっと『ヘアサロンSHIBASAKI』って所で理容師見習いをさせてもらってる。…そこのサロンのオーナーが、実はこの芝崎さんなんだ」 「芝崎…?いや、その名前は知らないねぇ…」 「芝崎ってのはあの人の母方の旧姓なんだよ。俺も最初は分からなかった。…同じ町の出身だとは何となく聞いてたんだけど、それがまさかあの時の兄ちゃんだとは気付かなくて。この前、向こうの知り合いが亡くなって…その時に初めて知ったんだ」 「はあ…なるほどなぁ…。偶然とは言え、あんた達二人が同じ職場に就くとはね…。もしかしたらあんたをずっと心配してた父ちゃんが、二人を出会わせてくれたのかも知れないねぇ…」 「…もし本当にそうだったなら、俺は親父に感謝しなくちゃな…」 「そういえば、文ちゃんは?…元気にしてるのかい?」 「いや、それがさ…俺、会ってないんだよ。…文子さん、今は護さんとは別に住んでるらしいんだ。…だから話は聞くけど、まだ本人には会えてないんだよね」 「何でかね?親子なのにねぇ…」 「あの人、バツイチだからな…」 「え?…護くんが?」 「うん、そう。でもその別れた奥さんとは、今でも一緒に仕事してるよ。店舗が違うだけで」 「そうなのかい?あんたと言い護くんと言い、ウチの周りの人間はなかなか良縁に恵まれないねぇ…。ま、私も人の事は言えた義理じゃないけどね」 「でも昭はちゃんと結婚できただろ?…俺はもう無理だから、この家の事はあいつに任せるしかないんだよな…」 「何言ってるんだい。…良い歳して一生独身とか、そういうのは無しにしておくれよ?…あんたは私に、孫の顔を見せないまま逝かせるつもりか!?…もう歳が歳だし、私もいつどうなるかなんて分からないんだよ?」 「母ちゃん、そんな縁起でもない事言うなよなー…」 「こんな事なら、あんたが家を出る前に誰か良い人でも探しておけば良かったか…。」 「…あのな…。」  その言葉が母親の冗談半分なのは分かるが、残念ながらこればかりはどうしようもないのだ。…俺の今の恋愛対象は、その芝崎本人なのだから。…すまぬ、母ちゃん。 「あ、そうだ。確かこの写真、整理するつもりだったんだよな?…それ、俺にくれないかな?…母ちゃんさえ良ければ、だけど…。」 「いいよ、持ってきな。護くんにも見せてやって驚かせてやんな」 「あ!いいねぇ、それ面白そう。…それとさ、最近の昭の写真ってどっかにある?」 「…そうだねぇ…。この前の結婚式の時の写真くらいしかないけど…」   「ああ、そっか。じゃ、焼き増しでもいいからその写真、俺にくれないかな?」 「分かった。今度送るよ」 「うん。ありがとな…母ちゃん」 「しかし結真も随分と変わったなぁ…。ついこの前まで、外に出ることも誰かと話をする事もほとんどなかったあんたが、こんなになって帰って来るとは…」 「…それは…うん、ごめん…。でも大丈夫だよ。…俺、もう逃げたりしない。向こうには芝崎さんも居るしね。これからはちゃんと前を見て生きていくよ。…親父との事も、今の俺なら許せると思う。理解できると思う。…今まで心配かけてごめんな、母ちゃん」  「あんたはもう…!親を泣かす子供が何処に居る!?」  そういう声は笑っているけれど…これまで、不甲斐ない俺の事ばかり気にかけてきた母親の心の重荷がどれほどのものだったのかと、それが肌を通じて解るくらいの感情が俺の中に流れ込んでくる。母親の涙が、俺の心を強く揺さぶる。  今まで迷惑をかけてしまって本当に申し訳なかったと、改めて思う。 ――だが俺は、もう迷わない。これからは自分の信じた道を進んでいくのだ。全てを受け入れ、俺を愛してくれる人と共に。 ◇ ◆ ◇ 「…どうかしましたか?」 「…え、いや…。何だか本当に信じられなくて…。まさかこんな形で…ゆ…あ、いや芝崎さんと再会するなんて…」 「…結真君、無理しなくていいですよ。今は仕事中じゃありませんから、僕の事も名前で呼んでください。…それにしてもあの写真、よく残ってましたよね?」 「…あれ実は、ウチの母ちゃんは整理するつもりだったらしいんですよ。他にもいろいろ見せてもらったけど、どの写真を見てもあんな感じで。…何かね、すごい複雑な気持ちになっちゃいました。俺どうして今まで気付かなかったんだろうって」    俺はあの後、年を跨いで四日間ほど実家で過ごし、こちらの仕事始めのスケジュールに合わせて戻ってきた。もちろん、母親からもらってきた何枚かの写真の中には、幼い頃の芝崎と共に撮られていた例のクリスマスの写真もある。  俺は戻ってきて早速、その写真を芝崎に見せてみた。最初は気付かなかったようだが、見ているうちに何かを思い出したのだろう。不意にこんな話を振られた。 「結真君、この時にもらったプレゼントって何だったか覚えてます?」 「え、プレゼント?誰からの?」 「君のお父さんから、君や僕へ送られたプレゼントですよ」 「えー…そんなのあったかな…?」    俺が悩んでいると、芝崎はすっと立ち上がって何かを取りに行ったようだった。 すぐに戻ってきたが、その手には何やら古そうな感じの小さなオルゴールが握られていた。   「はい、結真君」 「え、オルゴール…?」 「そう、これですよ。開けてごらんなさい」    そう促されて俺がオルゴールを開けると、そのオルゴールは独特の音色で音楽を奏で始めた。その音楽は、俺が幼い頃に部屋の隅で一人よく聞いていた音楽だった。 「あ…!これ…は…」 「これはね、『時計の眠る場所』という曲なんだそうです。君がいつもこの曲を聞いていたのをそばで見ていて、君のお父さんも何か思う所があったんでしょう。…浜松辺りの専門の方にオーダーメイドで作ってもらったそうですよ」 「…へえ、そうなのか…。でも親父の奴、どうして護さんにもこのオルゴールを渡したんだろう…?俺が聞いてただけなら、俺だけに渡せば良かったのに」 「それをやらないのが、君のお父さんの良い所なんです。…結真君の家に来ると僕は必ず君の傍に居ましたから、恐らくお父さんも知っていたんですよ。…君が好きで聞いているものを、僕にも共有させたかったんでしょうね。だから同じものを二つ作ってもらって、それぞれを僕と結真君に渡したんだと思います。…君のお父さんにとって、息子の君と幼馴染の僕は一心同体、みたいな感じだったんでしょうね」 「その話、誰から聞いたの?」 「僕の母が教えてくれました。母は僕たちがこっちに戻ってからも、季美枝さんとの交流は欠かさなかったらしいんです。それで、このオルゴールの話も」 「へえ…。あ、そうだ。ウチの母ちゃんが気にしてたぞ?最近文子さんからの連絡が無いからどうしてるんだって。俺、こっちに来てから一度も会わせてもらってないから、分からないって言っといたけど」 「母も高齢ですからね…。最近はあまり外にも出なくなってしまいましたから。ただ、結真君や季美枝さんが心配するような事にはなってないとだけ言っておきますよ」 「何だその意味深な理由は!?そんな言い方じゃますます気になるだろ」 「すみません…。実は少し、ね…」 「あー、もういいや。あんたの隠し事は突っついたら地雷しか落ちてこないから、それ聞いたら後が怖い」 「…地雷と来ましたか」 「だってそうじゃん。今までそれで俺がどんだけ驚かされたと思ってんだよ」 「結真君は本当に面白いですねぇ…。でも、それだけ素直な感性の持ち主だとも言えますかね。僕はそんな君を、とても愛しいと思います」 「あんたなぁ…。どさくさに紛れて、何恥ずかしい事言ってんだよ…」 「僕は自分の気持ちを正直に言ってるだけですよ?」  やばい。…芝崎のスイッチが入ってしまった。 こうなると俺にはもうどうしようも出来ない。芝崎は俺の身体を自分の近くに引き寄せて、そのまま俺の唇にキスを落としてくる。一度覚えてしまったものは、もう取り戻せない。  俺はただ、彼が与えてくるキスとその心地よさにあっという間に流され、すぐに身体が燃え上がって来てしまう自分のはしたなさを堪えるしかなかった。 「…っふ…ぅ…」 「結真君は本当に感じやすいですよね…。ほら、まだキスだけなのに、もう此処がこんなに熱くなってきてますよ…」 「…誰の…せいだよ…。…っひぁ…んっ」 「…そうですよね。…君は僕が初めての相手なんですよね…」 「…んっ…馬鹿…そんな触り方するな…っ」  芝崎はその唇を奪ったままで、しかしその手は自然と着衣の中に入れられて、俺の感じやすい胸の突起をゆるゆると弄っている。その焦らすような手の動きが、俺にとっては凄くもどかしくて…泣きそうになる。 「…っ…やぁ…。もう…」 「…辛いですか?…我慢できない…?」 「…っ…うぅ…」  このじわじわと押し寄せてくる感覚に慣れなくて、俺は自然と泣き出してしまう。 分かっているくせに、芝崎はわざと俺を追いつめていくのだ。 「…っ……ゆず…る…もう、許して……俺……もう…っ…」 「…此処に…触って欲しい?」  そう言って、俺の膨らみかけている下半身を、着衣の上から指でゆっくりと滑らせてくる。 たったそれだけの事なのに、俺は全身を震え上がらせてしまう。 「…んあぁぁっ!」  思わず漏れ出てしまった自分の声があまりにも恥ずかしくて、俺は更にいたたまれない気持ちになる。…だがそんな俺の声と行動は、芝崎にとっては想定内の事で、ここからさらに追いつめるように焦らしてくるのだ。 「…あっ…あぁ…っ…許して…!…護…も…許してぇ…っ」 「…達きたい、ですか?」 「…達き…たい…。…達かせて…。…も…達かせて…護っ…!」 「…結真君は本当に可愛いですね…。じゃ、君の望むとおりにしてあげますよ」  芝崎はそう言うと、俺のズボンのファスナーを引き下ろしてすっかり膨らんだ下半身をあらわにして、そこから更に俺のものをそのまま口に含んでしまった。 「え、ちょっと待って!…護…そこは…っ!…そんな事、しなくていい…っ」 「大丈夫ですよ。…僕は慣れてますから、君をちゃんと達かせてあげます」 「いや、そうじゃなくてっ…そんなところ…汚い…から…」 「汚くないですよ。…僕を求めて、こんなになって…。君の此処は、とても可愛いですよ」  いや、慣れてるから大丈夫とか、そういう事を言っているんじゃない。 自分の一番恥ずかしい所を綺麗な顔立ちの芝崎に咥えさせてしまうという、この何とも言えない背徳感が俺の羞恥心をくすぐってくるのだ。…だがそんな事はお構いなしと、芝崎は俺のものを口で犯しながら、俺の身体の奥に眠る雄の本能をじわりと引き出してくる。 「…んっ…うぅ…っ…」 「…あ…あぁっ……護っ…」  本人も言っている通り、芝崎にはどうやらこういう行為に対する抵抗というものはあまりないようで、躊躇なく俺のものを犯し続けた。  頭の中で混乱する理性の意識と、それと反するどうしようもないくらいの快感が俺の中でだんだんと分からなくなって、前に感じたあの溢れそうな思いが支配する頃には、俺はもう何も考えられなくなった。…そして。 「…う…く…あぁぁぁーーーっ!!」 「…っうぅ…っ!」  俺はそのまま、全ての感情を吐き出した。芝崎はと言うと、俺の中から溢れた精をそのまま口で受け止めてしまうという、俺にとってはこれほどまでに恥ずかしい事はないだろうと落ち込むくらいの精神的ダメージを喰らわされてしまった。 「…っ…ゆ、ずる…!!」 「……。…結真君、大丈夫ですか?」 「…え…なんで…!?」 「…言ったででょう、君は汚くないって」 「…いや、そうじゃなくて……ごめんなさい…。お…俺…!」 「…何故謝るんです?…君の悪い癖ですよ」 「…だって…だって…!」  あまりの衝撃に、俺は本気で泣き出してしまった。まさか自分が出したものを、芝崎に浴びせてしまうどころかそれを飲み込まれてしまうとは思ってもいなくて、そういう事を芝崎にさせてしまった自分の情けなさに悲しくなった。 「結真君。そんなに泣かないでください…。君は何も悪くない」 「…でも…」 「…これはね。愛し合っている者同士なら、誰でもある自然の行為なんです。だから君は何も悪くない。…君は以前、僕に言ってくれたでしょう。『人を愛する事に男も女も関係ない』と。…僕は君を愛している。だからこれは、愛し合っている者の普通の行為なんです。…それとも君は、僕を愛してくれているのではなかったのですか…?」 「…そんな訳ない!」 「…でも君は、不安なんですよね?自分の気持ちがちゃんと僕に伝わっているかどうか。…ほら、触ってみてください」  そう言った芝崎は俺の手を引いて、自分の下半身にその手を触れさせてくる。 俺が触れたその場所は、さっきまでの俺と同じように、しっかりと膨れ上がっていた。しかもその感覚が半端なく固い。少しでも触れたらそのまま破裂するんじゃなかろうかと思うくらいだった。 「…これ、本当に…?」 「…ええ、本当です。…出来ることなら、今すぐにでも君が欲しいくらいなんです」 「…護…そんな……」 「結真君、僕は君が欲しい。…君はどうですか?」 「…俺も…あんたが欲しい…です…」 「…ありがとう。…結真君。ベッドに…行きませんか?」  恐らく、芝崎自身が本当に余裕がないのだろう。いつもより低めの、少し掠れ気味に響くその声で耳元に囁かれ、その全身を走る独特の快感の波に押された俺は、この後の展開にはもう断る理由などないと理解して、全ての覚悟を決めた――。         

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