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第3話 結婚生活

 結婚生活は、とても、順調だった。夜以外は。  夜は、辛かった。  いや、身体は辛くは無い。リマーユの身体を気遣って、ジュリアードは週に三回、と決めていたから。それに、ジュリアードは、いつも、信じられないくらい、リマーユを優しく抱いた。リマーユを何度もイかせてくれたし、挿入もいつも焦れるくらい、丁寧だ。そう、それが、辛かった。何度も何度も高みに上らされて、翌日は、一歩も動けない程になる。身体のナカに何かが残っているような感覚も辛い。正確には、辛いのは、夜だけでは無い。毎日毎日、ジュリアードの気配を常にまとって生きている気がして。まるで、本当に、ジュリアードに愛されているような気がして。そんな事は有り得ないのに。  そして、ジュリアードの性技が上手ければ上手い程、リマーユは、その向こうの相手を考えてしまって辛かった。ジュリアードの技術は本当にすごかった。経験の全く無いリマーユが、骨抜きになってしまう程、だった。男同士だと言うのに、もう既に、リマーユは、あの秘薬を飲まなくても、ジュリアードに抱かれる事に違和感を覚えなくなっていた。あっと言う間に高みに上らされる。  でも、と思うのだ。でも、この技能を、ジュリアードはどうやって手に入れたのだろう、と。一体、何人の女性が、いや、男性もだ、どれ程、ジュリアードはその腕に抱いて来たのだろう。ジュリアードが男性経験も有るのは、明らかだった。その中のどれだけの人に、愛を囁いて来たのだろう。 「ジュリアード……」  リマーユの定位置となっている居間の深緑のソファの上で、重い身体を持て余し、ぼーっと自宅の庭を見ながら、リマーユは愛しい男の名を呼ぶ。当然、それに応える声は、有りはしなかった。 「奥様、いえ、失礼致しました。リマーユ様」  声を掛けられて、リマーユははっとした。いつの間にか、うたた寝をしていたらしい。慌てて起き上がり立ち上がると、振り返る。身体の重怠さから、少し、ふらついてしまう。それを見て、相手が溜め息を吐いた。 「カロリーヌ」  メイド頭のカロリーヌだった。メイド頭、と言っても、住み込みのメイドは彼女たった一人だったが。通いのメイドを取り仕切るのは、確かに彼女だったので、メイド頭と言えた。 「旦那様が、お帰りになられます。食事の時間は、何時に致しますか?」 「もう、そんな時間だったんだ。えっと、」  ジュリアードは、一騎士団の副団長であるにもかかわらず、常に騎士団の規定通りの就業時間には返って来る。これは、三交代に組み込まれていた一騎士時代も、副団長になってからの独身時代もそうだったらしい。三交代の時は、時間はずれるが、それでも決まった時間に帰って来ていたと言う。出掛ける時も、必ず同じ時間に帰って来てから出掛けていたらしい。執事のアルフレッドに教えてもらった。ちなみに、アルフレッドとカロリーヌとは、夫婦だ。 「いつもの時間で、よろしいでしょうか?」  カロリーヌに言葉を先に越されて、リマーユは一瞬、戸惑いを覚える。けれど、じ、と見つめられて、急いで返事をした。 「……はい、お願いします」 「では、準備をして参りますので、食前酒の方は奥様がお選びください」 「分かりました」  まただ、と思う。カロリーヌは、いつもいつも、どれ程言っても、リマーユの事を『奥様』と呼ぶのだ。確かに、自分は間違いなくジュリアードの妻だったが。 「……カロリーヌ、僕の事は、リマーユ、と」 「失礼致しました。リマーユ様。それでは……」  いつものように訂正をすると、慇懃に礼をしてカロリーヌは居間を後にした。 「嫌われ、てるのかな……」  ずきん、と胸が痛む。本当は、この家を取り仕切るのは、ミシェーリの予定だったのだ。明るくて気立ての良い、自分の自慢の姉の。それが、突然、男が、しかも、自分などがその位置に据えられる事になって、カロリーヌは嫌だと思っているのかもしれない。確かに、同じ女性に命令されるならともかく、男性の自分に命令されるのは、我慢がならない物なのかもしれない。自分は、女性では無いから、カロリーヌの気持ちは、ちっとも理解出来なかったが。それが、とても、もどかしい。  はあ、と息を吐いて、リマーユは食前酒を選ぶ為にキャビネットへと足を動かした。昨夜の激しい行為のせいで、また、ほんの少し足元がふらついてしまった。 「ただいま」 「お帰りなさい」  これを言うのも、もう何回目だろう。そして、後何回、これを言い合えるのだろう。リマーユはジュリアードから、頬にキスを受けながら、思った。  ジュリアードは、本当に、理想的な夫だった。決まった時間に返って来るのは、当然だったが、行ってきます、と、お帰りなさい、のキスをいつでも必ずしてくれる。そして。 「お前が、甘い物が好きだと思ったから」  これだ。必ず、週に一回は何か贈り物をしてくれるのだ。  初めは花のブローチだった。可愛過ぎず、美麗で綺麗な出来のブローチは、リマーユ好みの作りで、嬉しくて、思わずキスを仕掛けてしまうくらいだった。その場で、足腰が立たなくなる程、激しいお返しを貰ってしまったのだが。  次は、宝石の付いた魔法時計だった。魔法時計は、魔力を持っている人間にしか扱えない特殊な魔道具だ。リマーユも貴族だから、当然、魔力は持っている。ジュリアードのようには、上手くは扱えないが。魔法時計は、とても貴重だ。普通のネジ巻き式の時計より価値が高い。時間が正確に出せるからだ。しかも、付いていた宝石が、煙水晶で、中々の大きさだったものだから、受け取るのを躊躇ってしまった。そうしていたら、 「次は、お前の気に入るものを手に入れる」  と言われてしまった。慌てて、気に入った。大事に使わせてもらう、と追い縋ったものだ。  その次が、非常に困る贈り物だった。服だったのだ。確かに、流行の最先端のデザイナーの物で、街では人気があると言われている物だったのだが、リマーユは、そのデザイナーの服を着た事もなければ、気に掛けた事も無かったのだ。リマーユがいつも注文する店は、決まっていた。質素であまり派手じゃない服を作る事に掛けては右に出る者の居ないオーベールと言う老紳士の作る服を、好んで来ていた。そんな事だから、着れない、と返したら、一瞬眉をひそめたジュリアードは、次の瞬間、リマーユをその場でひん剥き、服を着せてみせたのだ。余りの荒業に、流石のリマーユも腹を立て、三日程口を利かなかったら、すまなかった、と謝られたので許して、取り合えず、服はタンスの肥やしになる事になった。  そして、今日がこれだ。甘味、とは、とても高い物である。砂糖自体が、貴重品なのだ。魔法や錬金術で精製する事は出来るが、その技術は秘匿されている。その為、砂糖の単価が上がる事になっているのだ。それをふんだんに使った甘味は、本当に、高いのだろう。働いた事の無いリマーユには、想像もつかない事だったが。  リマーユは一度も働いた事が無かった。来年、魔法農学の分野で研究員の臨時募集が出るから、それを受けてみてはどうか、と言われていたのだが、この結婚のせいで流れてしまっていた。  魔法農学は、その名の通り、魔法を農業に応用する分野の学問だ。地味だが、上手く成果を出せれば、農民に取って非常に役に立つ学問だった。リマーユは、学生時代、この学問に魅せられて、随分勉強した物だった。中でもサツマイモの研究にはのめり込んだ。ブノワレヴィ家の一画に畑を作らせてもらうぐらいには。そう言えば、あの畑は、どうなっているのだろう。  そこまで考えた所で、ジュリアードが眉間に皺を寄せているのに気付いた。 「甘い物は、好きじゃなかったか?」  問われて、慌てて袋を奪うように受け取る。甘味は、大好きだ。目が無い。余り食べられないけれど、ブノワレヴィ家で甘味が出た時は、それは大事に食べた物だった。 「ありがとう。大好きだよ。嬉しい」  振り仰いで言うと、ジュリアードは目元を優しく緩めた。それだけで、途端に、柔らかい雰囲気になる。どきり、とリマーユの胸は高鳴った。普段のジュリアードは。酷く近寄り難い雰囲気を醸し出している。眉間に皺が寄っている訳でも口元を引き締めて居る訳でも無いのだが、元が恐ろしいぐらい整った容姿をしているから、表情が無いと、どうにも機嫌が窺い知れないのだ。それが、ほんの少し緩むだけで、こんなにも、印象が変わるのだから、すごい。 同時に、この表情を見る度に、リマーユは、姉ミシェーリを思い出す。ジュリアードとミシェーリが上手く行っている、と周囲に思わせるのには、理由があった。ミシェーリは魔法技術院に入り浸っていたが、月に数度は貴族の女子らしく茶会を開いていた。だが、その招待客は、たった一人、ジュリアードだけだった。前代未聞の茶会である。普通は親しくしている女子を招く物なのだが……ミシェーリらしいと言えばミシェーリらしい茶会だったので、誰も何も言わなかったが。その茶会で、ジュリアードは、この柔らかな表情をしばしばミシェーリに向かってしていたのだ。リマーユは、それを見る度に、辛くて、畑に逃げ込んでいた。  ジュリアードは、恐らく、ミシェーリを愛していたのだろう、と思う。今の今まで、一言も、ミシェーリの非難をしない事も、その思いに拍車を掛けていた。  つきん、と胸が痛む。  自分は、ただの身代わりでしか無い。もし、ミシェーリが見つかって、帰って来たら、自分は簡単に捨てられてしまうのだろう。だって、ジュリアードは、リマーユを愛して結婚した訳じゃ無いのだから。夜は、あんなに激しく求めてくれるけれど、それだって、リマーユが都合が良いからだ。妊娠をしないし、多少乱暴に扱っても女性のように、怒ったりはしない。いや、乱暴に扱われる事は無かったが。 「お礼を、くれないのか?」  ジュリアードが剣を置きながら尋ねて来る。リマーユは、少し迷いながら、ジュリアードの広い胸にその身を預けた。 「なるほど」  短く言うと、ジュリアードはぎゅ、とリマーユを抱き締めた。感謝の気持ちは伝わったらしい。しばらくジュリアードの逞しい腕の感覚を味わっていたリマーユは、いけない、と思って、顔を上げた。そしてジュリアードから離れるとキャビネットに近付いた。中から小さなショットグラスを取り出す。 「今日の食前酒はシェリー酒にしようかと思って。良いかな?」 魔道具で冷やされているシェリー酒の入った瓶を指差すと、鷹揚にジュリアードは頷いた。 「ああ。貰おう」 「えっと……」 「この夜に、乾杯」 「うん、この夜に、乾杯」  グラスを上げて同じ言葉を繰り返す。この夜に乾杯、の意味はジュリアードには無いのだろう。リマーユには、深い深い意味があったが。今日も、この夜を許してくれて、ありがとう、と言う意味が。

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