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track.2

「はい、シュピーレンムジークです。はい、お世話になっております…………」  特に決まった仕事もない自由(みゆ)の日常は、事務所の電話番と所属するアーティスト達に来た手紙やらなんやらを仕分ける仕事だ。  電話の相手が自分の所属するバンドの名前を指名することは未だ一度もなかった。    メジャーデビューしてから出したシングルは半年前のたった一枚だけ。  事務所の期待に反してなのか、想定内なのか、それは全くに売れず、チャートは圏外。地方のCDストアやショッピングモールを回るも世間の反応は薄かった――。  梱包した段ボールに宅配便の荷札を貼り付けながら自由は昨夜起きた恐怖の大失態を思い出していた。  怪しい目で笑うあの男――。  どこでどう会ったのか、全く思い出せない――。  一緒に呑んでいたのはどうしてなのか、それだじゃなく―― 「……男に……ホモに……掘られるなんてぇ……」  頭を抱えて自由は小さく呻く。 《売れない奴は――――退場だよ――――》  あの言葉がピアノ線のような強さで自由の首に巻きついて、自由の呼吸を邪魔しては苦しめた――。  その日の午後、バンドメンバー四人全員で社長室に呼び出され、マネージャーからそれぞれに楽譜と歌詞の書かれた紙を渡される。  全員が各々にそれを眺め、それが何なのか理解できずに互いの顔を見合った。 「これ、仮歌ね。次、これで行くから」  マネージャーは業務的にそう口にし、ボーカルである自由に仮歌の入ったCDを渡す。 「え……あの……。俺らの、書いた曲は……?」 「とにかく、決定したから」  強くそう言い渡され、自由はすっかりと言葉を失い、渡されたCDの入ったケースを指先が白くなるほど強く握った。  これはチャンスを与えられたんだ――。  そう前向きに思わなければダメだと、若者たちが行き交う夜の公園のベンチにひとり座り、自由は自分にそう言い聞かせた。  これでもし、売れたら――その次に繋がる。  その“次”を作るためにもこの程度の我慢くらいはしなきゃダメなんだ、当然なんだと自由は唇を噛み締めた。 「――そんな顔して、自殺でもすんのか?」  突然正面から声を掛けられ、無意識に地面に下がっていた視線を起こすと今朝別れたばかりのあの嫌味な蛇男が立っていた――。 「アンタ――ッ!」  そう口にして立ち上がった途端、ものすごい大きさで自由の腹の虫が鳴り響いた。カッと一気に自由の顔は赤くなる。 「大変だな、貧乏は」と、意地悪く男は嘲笑した。 「違う! これは……っ」  そんな反論するだけ無駄だと、腹の虫はもう一度大きく鳴いてみせた。 「に、肉〜〜!!!」  大きな白い皿に乗せられた霜降り肉が、まるで赤い宝石のように自由には眩しく光って見えた。。  ちゃんとした日本産の分厚い肉を、さらに食べ放題ではない焼肉で食べたのは何年ぶりだろうか。  自由の口元はそれはもうだらしなく緩み、幸せそうにトングを握り締め、肉を網の上で大事に育てていた。 「――太れよ、5キロ」  男はニヤリといやらしい顔で笑い、ビールを呷る。 「アッ、アホかっ! あれは事故だっ! 二度目はねぇからな!」  トングの先を男に向けて自由は必死な形相で言い放つ。 「そうかー? かわいかったぞ? 素質あるって」 「そんな素質はいらん!」  自由は焼き上がった肉をそそくさと自分の取り皿に投げ込みさっさと口に運ぶ。申し訳ない程度に男の の皿にも一枚だけ肉をやる。  余程腹が減っていたのだろう、自由は育ち盛りの少年のような見事な食いっぷりで、痩せ細った身体には似つかわず、頼んだご飯は大盛りだ。 「んぐっ、アンタ、名前は?」 「あれぇ? 気になる? 惚れた?」 「惚れるかバカッ!」  自由の口から勢い良く米粒が飛んで、勿体無いと慌てて自ら拾い集めていた。 「――誠一郎(せいいちろう)だよ」 「……いや名前って――、まぁいいや……」 「君は篠崎自由(しのざきみゆ)くんでしょ?」 「ふへっ?!」  自由の齧った肉が口から危うく落ちそうになる。 「昨日名乗ってたよ、名前の通りに行かないってね」  自由は自分の名前を名乗る時、皮肉めいてそう話すことがあった。それは自分が弱っている証拠だ。 「…………新曲決まった……」と告げる自由はお世辞にも明るい声ではなかった。男は先程から自由が何を話そうとも表情を変えることなく、ずっと口の端を上げ、薄く笑ったままだ。 「……へえ、そう。売れると良いね」 「嫌味!!」 「いやいや、本心だって。この世は売れたモン勝ちだよ」  飄々とした笑みのまま男は自由の皿に焼けた肉を入れてやる。どことなく腑に落ちない顔のまま自由は肉を口に運ぶ。  変なヤツ――。自由は改めて男を眺めた。  常に飄々としていて、余裕で、嫌味っぽくて、何者かも全く謎で――。  男は素人目に見ても明らかに高そうな腕時計を着けていた。きっと身につけている物全てが自分とは全くの桁違いなんだろうと男を纏う空気で感じ取る。  更に自由が一番腹が立つことがあり、それは男が普通にイケメンという事実だ――。  いや、これは雰囲気イケメンってやつだ。顔は普通、きっと普通――と自由は無駄に心の中で抗った。     「もういいの?」  考え事にすっかり箸が止まっていた自由に男は顔を覗き込む。  何かの起動スイッチを押されたかのように自由はハッと現実に戻り目を見開いて男に強く告げた。 「特選カルビと和牛特上タン塩追加で!」 「はあ〜〜っ、食った食ったぁ〜〜、幸せ〜〜!」  自由は絵に描いたようにぽこりと出た胃を満足そうに撫でていた。 「本当によく食べてたねぇ……。あ、端数は持つよ、一人一万円ね」 「へっ…………」 「奢るなんて一言も言ってないよ? 俺」  自由は身体を岩のように硬直させ、さっきまでピンク色に逆上せていた頰からは一気に血の気が引いて真っ白になっていた。

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