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track.5
「自由 、すぐにここのサロン行って来て。コレ地図とスタイリストさんの名前ね」
自由は男性マネージャーに紙を渡され反射的に受け取る。
「サ、サロン……? 何しに……」
「もう向こうには伝えてあるから。矢嶋 さんだよ。間違えないでね。戻ったら宣材撮るからね」
自由がした質問などマネージャーにはどうでも良かったようで話は一方的に終わった。
サロンに着くと早速矢嶋さんが迎えてくれた。笑顔が印象的な男性だった。
丁寧に髪にハサミを入れながら場を和ませるように色々と、周りのスタッフも巻き込みつつ世間話をしてくれるが、今の自由の頭には何も情報として入って来なかった。
訳もわからず誰かが決めた髪型に自分は変えられていく――。鏡にはその姿がずっと映し出され続けた。
自由はそれをボンヤリと、他人の姿でも見るかのように傍観した――。
まるで――
自分なんかどこにもいないみたいに感じた――――。
事務所のスタジオに戻るとすぐ、撮影は始まった。
ボサボサに伸びていた自由の髪はアシンメトリーに前髪を重めに残し、後ろは首筋が丸見えになる程スッキリと切られ、三回されたブリーチのせいでまだ地肌はチリチリと痛んだ。
日本人には不自然な程の金髪にされ、生まれて初めてカラーコンタクトを入れられた。
他のメンバー3人も今までした事も無いような髪型とやたら丁寧に切られた眉毛がまるで別人のようで、お互いに滑稽を通り過ぎて笑いのひとつも出なかった。
スタイリストから渡された衣装は、いつも着ているそれぞれが買い揃えた安い古着からは一気に懸け離れたカジュアルスーツ調のきちんとした衣装で、黒を基調とした全員がほぼ同じデザインの、襟の形やコサージュ、ストールなど少しずつポイント違いに作られたものだった。
撮影中はカメラマンの指示で何度かアイドルのようなポーズもした。不慣れな4人は操り人形のようにカクカクと言われた通りに形を変え、硬い表情を何度もマネージャーに注意されながら作った笑顔とは裏腹に心の中は延々と微かに残った自我が慌てふためいては混乱していた。
撮影終了の合図とともに4人の身体に一気に疲労が現れた。ボーカルとして単独撮影も多くした自由は軽く目眩すら覚えていた。
パソコンの画面には見た事も無い自分たちの写真が延々と並んでいて、マネージャーとカメラマンが話し合いながら選別しているが、自分たちはどれがどう良いのか全くわからずにただ隣で黙り立ち尽くすしか出来なかった。
自由は漠然と思った――。
ここにはもういないのだと――。
好きな歌を好きなだけ、小さな箱の中で汗まみれで歌っていたあの時の自分たちは――
もうとっくに過去の生き物なんだと――
普段は高くて買いもしない、入りもしないコーヒーカフェに行き、やたらとカタカナの長い名前の、甘ったるい飲み物を頼んで口を付けた。
「……これ一杯の金で牛丼一つ買える――」
自分は何をやっているんだろうかとカウンターに座りひとり呆れた。
それでも普段の日常から懸け離れたことをしていないと、普段の自分に戻ってしまうと、全てが耐えきれなくなりそうで、必死に自由は慣れない自分に没頭した。
自由は葉山に自分から会いたいと連絡した。
――誰でも良い。バンドに――事務所に関係ない人間とだけ今はいたい気分だった――。
夕方のカフェは帰りの会社員たちで賑わい出した。続々と入ってくる客の中にスーツ姿の葉山を見つけた。
背が高いのもあってスーツ姿の葉山は妙に迫力があった。グレーのヘリンボーン柄のテーラードジャケットにノーネクタイ、明るいパステルイエローのニットをインナーに着ていて、明らかに一般会社員ではなさそうな出で立ちだった。
こちらに気付いたらしく葉山の顔が少し綻び、何故か少しだけ自由はドキリとした。
「ははっ、一瞬誰だかわかんなかったよ。化けたな。アイドルにでも転身したか?」
それまで無表情だった自由は葉山の顔をジッと見つめ、そしてふっと諦めるように微笑んだ。自分の嫌味をおかしな笑顔で返す自由に葉山は明らかに違和感を覚えすぐに真顔になった。
自由は黙ったままで何も話さない葉山に手首を掴まれ、早々に店の外に連れ出された。
悠々と長い脚で前を歩く男との歩幅の違いに自由は妙な早歩きになる。後ろから何度も呼び掛ける自由を無視して葉山はタクシーを停めた。
「恵比寿まで」と運転手に短く告げ葉山は奥に自由を押し込んだ。
「ちょ、なんだよ。俺まだ飲みかけ……っ」
「シートベルト!」
葉山に強く告げられ大人しくシートベルトを着けた。葉山はそれを最後に一言も話す事なく窓の外をずっと睨むように眺めていた。
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