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今日からお互いの呼び名が
「御波」から「萌志」、
「鳥羽」から「暁」になった。
萌志が俺をどんどん変えていってしまう。
去年の俺が今の俺を見るとどう思うんだろう。
びっくりするだろうな。
自分から声を出したいなんて言うようになって、
触れて触られるようになって、
下の名前で呼び合える相手ができて。
もっと驚くのは、萌志に抱きしめられた日からフラッシュバックの回数が減ったことだ。
減った、というだけでなくなったわけじゃない。
夜、目を瞑ればじわじわと這い上がってくる手の感覚が体を襲うけど
怖くて眠ることを躊躇してしまうそんな日は、萌志の体温を思い出す。
ぎゅってしてくれたあの雨の日をゆっくりと思い出す。
そうすれば、体を這っていた黒い手は大きくて暖かい萌志の手に変わり、気持ち悪い喘ぎ声は優しい問いかけに変わる。
大丈夫。萌志がいる。
そう言い聞かせてそっと目を閉じ、幸せだったあの時間に沈む。
過去の自分に言ってあげたい。
あっという間に暗い世界の淵から暖かい日向に引っ張り出してくれる人が現れるって。
その人が大事で仕方なくなるって。
錆びついた心の歯車がある日突然動き出す、そんな日が訪れるからもうちょっと頑張れ。
そう声をかけてあげたい。
大事な萌志。
彼がずっと俺といてくれる、そんな夢物語が訪れる日は来ない。
でも彼が俺に幸せを教えてくれたから、俺は彼の幸せを願わずにはいられない。
ほら。
去年の俺には絶対ない思考だ。
他人の幸せを心から願うなんてな。
一方で、声は相変わらず出ない。
リハビリのおかげで、萌志に触れるようになった。
……でも萌志に触れるようになっただけで他には触れてない。
今、俺がいる公園の出口に目を向ける。
鞄を持って帰路を急ぐ中年男性。
もしあの人がハンカチを落としたとして、それを拾ってから呼び止めるために腕をつかめるのか?
想像してみた。
彼の上着のポケットからハンカチが落ちる。
それをを拾って追いかけて、そして腕を——
「……っ」
ザワザワっと駆け上るように鳥肌が立った。
え。無理だ。
触れるのは萌志だけでそのほかは想像しただけでこの有様。
これじゃ、トラウマ克服できないんじゃ…
でもあんまり触りたくない。
足にまとわりついて鳴く、茶色いトラ猫を抱き上げる。
両手に柔らかなぬくもりを感じて次第に鳥肌は収まってきた。
茶色いあったかいふわふわ。
萌志みたいだ。
まだ少し幼いその猫を腕に抱え、ベンチに深く座りなおす。
陽も傾いて辺りはオレンジ色に染まってきている。
萌志に公園で待つようにあの後言われたけど。
話し合いが長引いているんだろうか。
萌志とお化け屋敷。
全然似合わない。
あいつがお化け役やるなら何をするのか。
あのふわふわ顔で頭から血を流していてもいまいち迫力がない。
……あ、でも追いかけられたときは割と怖かったな。
あれは怖いわ。
足は速いし背は高いしいつもはニコニコしているくせに真顔だし。
背が高い分、1歩もデカいんだろうな。
階段を駆け上がってくる萌志には本気でビビった。
まぁ今となってはただの笑い話だけど。
みゃう、と小さく鳴いた猫の喉をなでる。
人懐こい。ますます萌志っぽい。
思わず目線の高さに抱き上げて、「にゃー」という風に口を開ける。
「はいはーいおまたせ~何してんの、暁。」
びくっとして猫から手を放した。
しなやかに地面に着地した猫は草陰に飛び込んでしまう。
「ありゃりゃ、逃げられちゃった。」
そういいながら俺の横に腰を下ろす萌志。
(い、いつから見て…っ)
口をパクパクさせて狼狽える俺を見て、萌志は「にゃー」と言って笑った。
いたずらっ子みたいな顔もかわいいな。
いや、そうじゃなくて。
恥ずかしくて萌志から目をそらす。
それを見てまた笑った萌志だけど、おもむろにカバンからプリントを取り出した。
「文化祭当日さ。回る約束したでしょ?んで俺が絶対行きたいやつあるんだけど。」
ワタヌキとカラスマって知ってる?と問われたけど当然知らない。
どうやら萌志の友達のようだ。
渡貫というやつは、背が萌志くらいでバスケ部の次期部長候補。
そんでもって、烏丸はいつも黒マスクをしているバンドマン。
その2人が部活の出し物をするからそれに行きたいらしい。
「渡貫は体育館でフリースロー大会やるんだって。バスケ部員と1対1で5回投げて入った数を競うんだ。で、負けたら“参りました”って頭下げなきゃいけねーの。」
わくわくした様子で話す。
萌志、楽しそう。萌志がやったらギャラリーも増えるんだろうな。
俺も見たい…とか思ってみたり。
「烏丸はステージでライブすんだ。あいつギター担当なんだけどめっちゃうまいの!いっつもボケっとしてるくせにな。文化祭あとは女子のファンが増えるって言ってた。」
萌志の周りの奴はみんなキラキラしてんだな。
と、スマホに打ち込んで見せる。
すると、だろ!とうれしそうに笑う。
プリントにはその2人の出し物の名前が書かれていた。
『参りました。』と『揺れて転がる祭り』
何だこりゃ。『参りました。』はとにかく軽音部どうした。
聞けば、Rock(揺れる) and Roll(転がる) Festival(祭り)らしい。
なるほど、くだらん。
「ウケるだろ!」とまた萌志が楽しそうに笑うから俺もうなずく。
萌志は何かするのかと聞いてみた。
でもどうやら、当日はお化け屋敷の指揮を午前中やるだけで午後からはフリーらしい。
弓道部の出し物は文化祭には無いとも言った。
文化祭には、ということは体育祭では何かやるんだろうか。
そう思うとちょっとだけ体育祭に参加したくなった。
夕星祭。
名前の通り、開校当初の文化祭は夕星(金星)が見える時間帯までやっていたからそういう名前がついたらしい。
今は後夜祭もあるから、もうちょっと長いけど。
後夜祭。
キャンプファイヤーとフォークダンス。
そんなものが催しとしてプログラムに組まれているんだが、萌志は大変だろうな。
女子はもう自らペア申請すんじゃねーのか。
でも萌志は優しいから、いろんな子と踊ってやるんだと思う。
隣の萌志に聞こえないくらい小さく溜息をついた。
見上げれば、西の空に夕星が煌めいていた。
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