41 / 138
41 早鐘ーはやがねー
屋上の入り口前。
荷物置き場になりつつあるそこに雑に置かれた体操マットの上であぐらをかく。
萌志を待っている。
ただそれだけなのに、ちょっと浮かれている自分。
リハビリはしなくていいって言ったのに来てくれる。
優しい。嬉しい。
ぱたぱたという足音に少し身構えるけど、ひょっこり階段の陰から覗いたその顔にホッとした。
「おまたせしました~。何気遠いよな、教室から。」
そう言って萌志は俺の目の前にある収納ケースに腰かける。
おまえが腰かけてそれは壊れないんだろうかと心配になるが、まあいいか。
少し息が切れている。
急いできてくれたんだろうか。
俺がちらっと見上げると、「ん?」と首を傾げられたから目をそらした。
(今日はさらにくせ毛がはねてて、かわいい……)
そんなことを考えて萌志を盗み見ようとそっと視線を上げるとパッチリ目が合う。
「あ、見てるのバレた。」
そういってへらりと笑う萌志にいちいちキュンとしてしまう己の心臓が憎らしい。
っていうか見られていたのか。
なんで?
もしかしてチャックが開いてたとか……いや違った。
あ、というかリハビリしねーと。
そう思ってスマホを取り出すと萌志が口を開く。
「ね、今日は暁から抱きしめてよ。」
ほうほう。今日のリハビリは俺から抱きしめる……。
ん?
(え。)
固まる俺にニコッと笑いかけ、腕を広げる萌志。
いやいやいや、そんなことされても無理。
お前は大丈夫でも俺は無理。
ふるふると首を動かす。
それでも広げた腕を下ろしてくれない。
こいつ前から思ってたけど結構ぐいぐい来るな…。
マットの上に立ち上がるけどそこから動けない。
「暁、おいで。」
もおおおおおおおおやめろおおおおおおおおおおお!!!!
おいでって言うな!!!!!
その声で言うな!!!!
恥も何もかも捨てて飛び込みたくなるだろうが!!!!
って何考えてんだ俺。落ち着け。
『わかったから、腕下ろしてじっとしてろ。』
そうメッセージを送ると、「ちぇっ」と呟いて萌志は腕を下ろす。
それを確認して一歩踏み出す。
近づいてくる俺をにこにこ待ってる萌志が大きい犬みたいでちょっとかわいい。
萌志の前で立ち止まる。
でもそこからが本番なわけで。
どうしても動けない。
萌志は垂れがちなその目をぱちぱちさせて待っている。
見すぎだ。
躊躇の時間が長いほどやり辛くなってきた。
今日絶対やらなきゃダメなのか。
そう聞こうとポケットに手を伸ばすと
「今更やめるとかなしだからね、暁くん。」
にっこりしたままそう言われて肩を落とす。
だって、俺にはハードルが高すぎる。
そもそもゲイじゃないし、というか今まで誰かを好きになったこともなかった。
そんな俺が初めて好きになった相手に自ら抱き着くとか。
ましてや相手は俺の気持ちを知らないし、伝えるつもりもない。
いやいや、無理だろ。
心臓が口から飛び出して、そのまま階段を落ちて一階まで行っちまうわ。
そんな冗談はさておき。
この状況どうしたものか。
やっぱり抱き着かないとダメか?
でもこの機会を逃したら、もう萌志を抱きしめられる日は来ないかもしれない。
それはやだな…。
勝手に想像して悲しくなってきた。
そう思うと少しだけ、やってみようかなという気持ちが湧いてくる。
俺が意を決したように深呼吸すると、萌志がぱっと顔を綻ばせて居住まいを正す。
ぱたぱたと動く尻尾と耳が見える…。
うっ、かわいい…。
手を伸ばしかけるけど、やっぱり…と手が止まってしまう俺は小心者。
そんな俺を見て萌志はため息をついた。
「……うん、やめとこーか。」
え。
突然の萌志の言葉にすぅ、と腹の底が冷えた感覚がした。
呆れられた。俺がぐずぐずしているから。
何で早くやらなかったんだろ、と落ち込みかけていると
「なんてね。」
くんっと腕を引っ張られてつんのめる。
慌てて壁に手をついた。
「おぉ~壁ドンじゃん。やりよるな、お主。」
こいつ…!
ジワリと頬に熱が集まる。
にやにや笑いながら俺を見上げる萌志をジト目で睨む。
しかも、
「ほれ、早く。」
俺の胸元に顔をうずめてきた。
一気に心拍数が上がる。
それに気づいた萌志が「おもしれ~」と笑う。
この野郎。
でも助かった。
きっと俺が緊張してるから、茶化してそれを解そうとしてくれたんだろう。
いつもは高いところで揺れているふわふわのくせ毛が俺の目の前にある。
それが愛しく思えて仕方がない。
そう思うと勝手に手が髪を撫でていた。
梳くように指を差し入れる。
小指が萌志の耳に触れた。
「んっ…」
くすぐったそうな掠れた呻き声に我に返って手を放す。
なんだ今のなんだ今の!
萌志が「あ。」って顔をした。
それから離れかけた俺の手をやんわり掴む。
「ちょっとくすぐったかっただけだから。」
萌志は耳が弱いのか。
何となくじっと耳を見つめる。
普段は髪の毛に少し隠れてしまってる耳。
なるほど。
「抱きしめること忘れてるでしょ。」
そういった萌志はそのまま俺の腰に手をまわして引き寄せた。
ぎゅっと胸に顔を押し付けられる。
収納ケースにつま先が当たってバランスを崩した俺はその上に片膝だけ乗り上げる形になってしまう。
何となく恥ずかしい体勢に反射的にのけ反った。
俺の反応に萌志はのどを震わせている。
その振動が直に伝わってますます恥ずかしくなる。
「ほら、頑張って。」
促すようにぐりぐりと頭を擦り付けてくる。
やっぱり大きい犬だ。
仕方ない。
嫌なわけじゃない。むしろ触れたい。
許されるならずっと。
ただじっと見つめられて恥ずかしかったんだ。
萌志の頭にゆっくり腕をまわしてそっと胸に抱きこんだ。
萌志が嬉しそうに笑う。
揺れたくせ毛の毛先が鎖骨をくすぐった。
「あー……やっば。」
そう言いながら萌志は俺の腰に回した手を少しだけ強める。
俺もやばい。ていうか俺の方がやばい。
制服の上着、着ておけばよかった。
マットの上に放ってしまったことを後悔する。
だって…萌志の顔が俺のカッターシャツに直接触れてる。
皮膚の間には薄い布2枚しかないのに。
そう考えると心臓は一向に静まる気配を見せない。
「あはは。顔、赤すぎ笑」
顎をつけたまま、下から見上げてくる萌志。
見るな。頼むから見ないでくれ。
指摘されたことでますます頬は熱を帯びる。
「てか、暁のまつげ長いな~。測ったことある?」
あるわけねーだろ。
ってかそんなに凝視しないでほしい。
こんな至近距離で片想いの相手に見つめられるほど恥ずかしいことってない。
耐えかねた俺は思わず萌志の耳を掴む。
「いててて!なんで?!」
ふん。ざまーみろ。
俺ばっかりがこんな思いすんのは癪だからな。
それはそうと、いつまでこの体勢なんだろうか。
正直固いスーツケースに乗り上げた足の脛が痛い。
身を捩って体勢を整えようとする。
が、萌志は腰に回した腕を緩めない。
しかも、あろうことか
「暁、めっちゃいーにおい…。」
俺の反撃も虚しく、胸元の匂いを嗅ぎ始めた。
ゾクゾクと悪寒じゃない何かが背骨を駆け上がる。
何だこれ。
「?暁??」
ゆるんだタイミングを見計らって腕から抜け出す。
熱い顔を拭いながら勢いよく後ずさりした。
でも俺の後ろにはさっきまで座っていた体操マットがあって、それに足を取られた俺はそのまま尻もちをついてしまった。
地味にいてえ。
それを見た萌志が笑う。
もとはといえばお前のせいなのに。
「そんな慌てなくても、いい匂いだったよ!」
そういうことじゃねえ。
くさいか心配とかしてねーし。
お前はほんとに犬か!
無駄にいい笑顔で言い切る萌志に間が抜けてくる。
尻もちをついてる俺に萌志が手を差し伸べる。
「今日のはノーカンね。暁から抱きしめてないから。」
ニコニコ笑顔でさらっと言いのけるこいつ。
絶句。
この天使の面した悪魔め。
出された手を握って立ち上がる。
でも、また萌志を抱きしめられる機会ができたってことで結果としては良かったのかもしれない。
書籍の購入
ともだちにシェアしよう!