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43 虚無ーきょむー

ここ数週間の萌志はどこか変だ。 どこが、と聞かれると、どこか、としか答えられない。 ただどこかが変なのだ。 いつもみたいに笑うし、たまに冗談を言って俺を茶化す。 委員の仕事も普通にやってるし。 リハビリだってやっている。 俺の勘違いか?と思うけど、やっぱりどこか変なのだ。 LINeで『どうかしたのか』と聞いたけど『え、何が?』と来たから、何でもないとしか言えなかった。 何かがおかしい。 目の前に座る萌志を見つめる。 梅雨に入って弓道部の活動は滞り気味らしい。 屋上は雨で使えないから、扉の前の荷物置き場で最近はリハビリをしている。 というか、萌志に触るのを躊躇するのはトラウマどうこうじゃなくて単なる照れだと思う。 思うというか、そうだ。 萌志が笑うと、俺も嬉しい。 手を伸ばされたら、握りたくなる。 触れたらその指先から幸せな気分が全身を駆ける。 ただ好きなんだ。 伝えれなくても、 勝手に想うぐらい許されるだろ。 「さっきから見つめてどうしたの。」 文化祭の書類をまとめていた萌志が顔を上げる。 気づかれていたのか。 下を向いていたから大丈夫かと思ったのに。 首を振って、視線を外した。 わかった。 前より強引じゃなくなったんだ。 以前は集合したら 「はい今日は手をつなごう」だの 「ハイタッチしてみよう」だの すぐさまリハビリを始めていたのに。 でもここ最近は何かしら作業をしている。 文化祭が近いから? でも近いって言ってもまだ夏休みもはさむのに。 委員長ってそんなに大変なのか。 作業をしているから『リハビリはしないのか』なんて送れないし。 だからじっと萌志が言い出すのを待つんだ。 息をついて萌志が書類を傍らに置き、俺を見る。 「今日はどーしよっか。」 どーしよっか、か。 やっぱり今日も自分から提案してこない。 俺が何でもいいって言ったら考えてくれるんだけど、最近はこんな調子。 毎回俺に聞いてくる。 今まで萌志に考えさせてたから、嫌気がさしたのかも。 そういえば、まだ俺から抱きしめてない。 抱きしめたいって言ったら、驚くんだろうか。 『俺から抱きしめる』 俺からのメッセを見た萌志の動きが止まる。 でも、それは一瞬で 「……うん、いいよ。そーしよっか。」 何だ今の間。 提案をミスったのだろうか。 でもいいよって言ったし。 心がモヤっとした。 萌志は前みたいにおいでって腕を広げることはなく、ただ柔らかな笑みを浮かべて俺を待っている。 いや、別においでって言ってほしかったわけじゃねーけど。 マットから立ち上がって萌志に近づく。 相変わらず収納ケースの上から動かない萌志。 前は見えた、犬っぽい仕草もない。 俺を見ているだけ。 なんだろう。 この違和感。 寂しい。 (ねぇ萌志、俺なんかした?) そう心で問うてもこいつは答えてくれない。 萌志の手を取る。 立ってもらおうと腕を引っ張った。 察してくれた萌志はゆっくり立ち上がる。 見上げる形になるけど別にいい。 じっと目を見る。 何?って細められる。 優しい目元だけどなんか嫌だ。 本当に俺を見てる? その目にちゃんと俺は映ってる? 縋るように腕をつかんで瞳を覗き込む。 茶色い瞳に映りこんでいる俺はおびえた顔をしていた。 「……そんなに近づくと、ちゅーしちゃうよ。」 萌志がボソッとつぶやいた言葉に動きを止める。 萌志が「しまった。」と口元を抑えた。 本人も思わず言ってしまったという感じらしい。 背伸びをしていたことに気づいた俺は俯いて元に戻る。 ちゅー、ってキスのことだよな。 あのまま俺が覗き込んでたらしてたのかな。 そんなわけねーよな。 「冗談だって。そんな顔しないで。」 見上げれば「ね?」と苦笑された。 遠い。 そう思った。 初めて手を握ったときのほうがもっと近かった。 ぽすんと萌志の胸元に額をつける。 トクトクと規則正しい萌志の音。 あったかくていい匂いがする。 なのに気持ちは落ち着かない。 重たい腕を持ち上げて萌志の腰に腕をまわした。 ぎゅっと力を籠める。 いつもみたいに笑えよ。よくできましたって褒めろよ。 俺自分から抱きしめてるのに。 何で何も言わねーの。 そんな顔しないでってお前が言うな。 その日、萌志が抱きしめ返してくれることはなかった。

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