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俺はぼんやりとした頭で目の前の家を見上げている。 視線を移動させれば、『御波』と書かれた表札。 頭が追い付いてない。 まず萌志の自転車の後ろに乗せられたところから追いついてない。 きっと保健室に思考回路を忘れてきたんだと思う。 学校から自転車で15分。 俺の暮らしてる寮とは反対方向。 途中から萌志の背中に顔をうずめていたから具体的にどこにあるのかは知らないんだけど。 (なんで俺は……ここに?あ、夢か?) 門の前でぽかんと突っ立ている俺に萌志が玄関から声をかける。 「もー!熱あんだから早く来いって!」 そう。 俺はどうやら熱があるらしい。 頭がぼやぼやすんのも体がやたら熱いのも全部熱のせいらしい。 萌志に触れられたからなのもあると思う。 というかそっちであってほしい。 いや、絶対そう。うん。 そんなわけで寮生なうえ親しいのは萌志だけな俺はこいつの家に連れてこられてしまった。 申し訳ないような、嬉しいような。 「ただいまー」と言いながら靴を脱ぐ萌志に続く。 うわーやばい。 萌志の匂いしかしないやばい。 ほんとやばい。(熱で思考が溶けてる。) ぼやっとして立っていると萌志が呆れたように笑いながら俺の手を取る。 「親は遅いから。妹に連絡入れといたけどまだ帰ってきてないな。弟も。」 なるほど。2人きり。 いや別にだからってなにもないんだけど。 明日から週末で休みなのにいいのか。俺ここにいても。 新しく張りなおした冷えピタももうぬるくなって。 正直外してしまいたい。 でも我慢して、萌志に引っ張られるがまま足を進める。 2階に上がって、1番奥の部屋に入った。 「ここ、俺の部屋ね。今からコンビニ行って暁が食べれそうなものとかパンツとか買ってきてやるから風呂入ってシャワー浴びな。」 頷きながら部屋を見渡す。 整頓されたきれいな部屋。 男子高校生にしては落ち着いたインテリア。 本棚には弓道の本とか漫画とか教材がぴっしり並べられていて、割と几帳面な性格なんだと改めて思う。 俺がまじまじと部屋を観察するから萌志は恥ずかしそうに風呂場に俺を連れて行った。 「すぐ帰ってくるから。熱あるから湯舟には入るなよ。帰ってきたらまた倒れてましたなんてだめだからね!」 そう何度も念を押してきたから面白い。 お母さんかよ。 分かってるって。俺もそんなに元気ないし。 出ていく前にTシャツと短パンを渡される。 絶対デカい。 そう思ったけどおとなしく受け取っておいた。 確かに体中が汗でべたべたして気持ち悪い。 早くシャワーを浴びたい。 玄関が閉まる音を聞いて、体操服を脱ぐ。 (……最悪。) 鏡に映った自分の体を見てまた熱が上がる。 息をすれば、皮膚の下で上下する肋骨がうっすら透けて。 これを触られてしまった。 手の感触を思い出しかけて頭を振る。 かろうじて腹が若干割れているだけで頼りない貧相な体型。 うわ。もうちょっと飯食って動こ。 ため息をついてベルトのバックルに手をかけた。 「ねえ!暁、欲しいもの聞いてな、か……った…あ、ごめん。」 ……おい。なんでいる。 萌志が財布片手に脱衣所に入ってきやがった。 大方もう俺が風呂に入っていると思って勢いよく開けたんだろう。 面食らってるけどその表情をしていいのは俺だけだ。 じわじわ這い上がってくる恥ずかしさに体が固くなる。 出ていけ、今すぐ。 「あ―――……ラッキースケベ?」 小首をかしげて萌志が言う。 はぁ?ラッキースケベ?? んなわけあるか! 誰もラッキーな状況じゃねぇだろ。 ちょっと考えて出たセリフがそれかよ! 俺は持っていた体操服を萌志に投げつけた。 あ、汗臭いのに顔面に当ててしまった。 まぁいい。今更だ。 なんでもいいから早く行ってくれ。 * 「プリン、ミカンゼリー、コーヒーゼリー、バニラアイス、あとはいろいろ水分買っといた。」 そう言いながらちっちゃいテーブルに戦利品を1つ1つ並べていく萌志。 いつかの屋上を思い出す。 昼はパックジュースしか飲まない俺に萌志が購買でいろいろ買ってきてくれた。 結局半分お金を返したんだっけ。 俺がずるずる這いつくばって自分のカバンから財布を出すと、 「もー!お金とかいいの!黙って食べろよ!」 いや、しゃべれんから黙ってる以外ないけど。 まあいい。熱が下がったら返そう。 頼り切ってるわけにもいかなしな。 肩からずれ落ちそうになる萌志のTシャツをたくし上げる。 もとからデカいくせにオーバーサイズ。 そんでもって俺が痩せてるのもある。 短パンもデカくて、腰ひもをしっかり結ばないと腰パンどころかずれ落ちてしまう。 何となく男のプライド的なもので萌志の体格の良さに嫉妬する。 (何もかも負けてる感……。) 「食わねーの?」と首をかしげる萌志をジト目で睨む。 憎たらしい…首かしげんの癖なんかな……計算されてない感じがかわい… いやいやかわいいとか思ってねーし。 かわいくねーし。身長180超えた奴の小首傾げるとこなんか。 ちらりと見上げるとにっこり微笑み返された。 はいかわいい。 もういい。熱で頭がおかしいってことにしよう。 俺がコーヒーゼリーを指さすと萌志がスプーンを差し出す。 ってこれ。幼稚園児が使うやつじゃねーか。 持ち手の戦隊モノのプリントが薄れていた。 裏を見てみればひらがなで「みなみ きざし」と書かれている。 母親の字だろうか。 それもだいぶ消えてきている。 俺も持ってたな、こういうの。今も家にあるんだろうか。 子供のスプーンは使いやすいから持ってきてくれたのだろう。 しょうがない。ありがたく使おう。 黙々とコーヒーゼリーを口に運ぶ俺の後ろで萌志がベッドを整え始める。 何故かシーツも新しいのに取り換えてるし。 「暁、俺のベッド使いな。」 その一言に咽そうになって慌ててゼリーを飲み込む。 (はあ?!) どこで寝かせられるのかなとは思っていたけど、こいつの布団とは。 ふるふると首を動かす俺を萌志が呆れたように見つめる。 「病人を床で寝かせられないだろ。」 俺は全然気にしないのに。 じゃあお前は? どこで寝るんだよ! 俺の心情を察してか、萌志は扉の前に置いていたもう一つの布団を運んでくる。 「俺が床で寝るの!いい?文句なんか聞かないからな。」 断固拒否といった感じで、ぼふっと布団を床に下ろす萌志。 スプーンを握りしめたまんま萌志を見つめる。 俺を見た萌志が不満げな顔をする。 「何?ちゃんとシーツも枕も変えたから臭くないよ!」 そんなことは微塵も気にしてねぇ。 何も言い返せず、ちんたらゼリーを口に運ぶ。 丁度いい量だったからあっという間に食べてしまった。 もっと食えよ、とアイスを目の前に置かれるがいらないと首を振った。 するとそのまま開けて萌志が食い始める。 いや、お前が食べるんかい。 ちょっと溶けて口の端についたアイスを萌志が指で拭って舐める。 気恥ずかしくなって目を逸らした。 頭が重い。 ひんやりしたテーブルに頬をつける。 火照った顔が冷やされて気持ちいい。 「はいはい。暁ちゃん、おねむでちゅね。ほら、ベッドいこ。」 萌志が俺の肩をポンポンたたく。 暁ちゃんいうな…。 つーか赤ちゃん言葉めっちゃ腹立つ……。 反撃に出たい。 でも一回うつぶせてしまったら起き上がるのが億劫になってしまった。 なのだが。 「暁ちゃんって言いにくいな……。」 あ、嫌な予感。 「……あ!略したら赤ちゃんになるな!へい、ベイビー!!」 (……むかつく!) 起き上がって近くにあったクッションを投げつける。 でも軽々とかわされてしまった。 クッソ。 でも、少しだけよそよそしさが消えた。 楽しそうに笑う萌志にホッとする。 どこか寂しそうだったり、また怒らせたり……。 それが俺のせいでなっていると思うと辛い。 久しぶりのこの感じ。 この安心感が続けばいいのに。 そう思った時点で俺の心は不安でいっぱいなんだろう。 俺の何かが萌志に無理をさせている。 でも言い出すのが怖い。 そう思うとただ胸が痛かった。

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