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文化祭の準備で浮足立った空気がいろんな教室から漏れている。 そんな教室の前を足早に通り過ぎた。 俺は逃げている。 自分の気持ちから。 想ってくれているあの子から。 心配している友達から。 暁には逃げることを許さなかったくせに。 怖いんだ。 『好き』と共に己の無力さを自覚した。 いつも通りでいようと思ってもこうやって逃げている。 顔を合わせたら切なくて胸が苦しくなるくせに、暁に会いたくなる。 暁が好き。 それと同時に狡猾な自分が嫌い。 暁が俺を頼ってくれるから、それに甘えて一緒にいようとしてる。 狡い。 傷つきたくないくせに。 人は平気で傷つけて。 暁を探しながら校舎を歩いていたけど、その歩みはどんどん遅くなって、中庭で止まった。 ベンチに体を投げ出すように腰を下ろす。 まだ昼間の熱を孕んだ風が髪を揺らす。 夜に包まれかけている校舎は薄紫。 植えられた木は切り絵みたいに黒く浮かび上がっている。 それを何となく眺めて、ため息をつく。 (なんだか、疲れたな…) もう自分を好きって言ってくれる女の子と付き合ったほうがいいのかな。 始めは違ってもだんだんその子が好きになる恋をしたほうがいいのかな。 今まで俺のことを好きって言ってくれた子はこんな気持ちだったのかな。 幸せな空想をして、そうじゃない現実に打ちひしがれる。 暁に気持ちが通じて、嬉しくて 今までの比じゃないくらい、強く強く抱きしめて。 ありがとうって言って。 多幸感で死にそうになる。 そんな絵空事。 でも。 空想ぐらい許されるだろうなんて。 すればするほど切ないくせに。 「馬鹿だなぁ……。」 暁に気持ちを伝えてしまったらどうなるんだろう。 気持ち悪いと突っぱねられるんだろうか。 俺にそんな気持ちを抱いていたくせに体に触れてきていたのか、と。 信じていたのに嘘つき、と。 何にも言い返せない。 ちゃんと純粋な気持ちで彼の声が出せるようになることを願いたいのに。 最初に彼の声を聴くのが自分であってほしいなんて、浅ましい望みが心を巡回する。 『逃げよう』 そう言って、誰かここから出して。 この苦しい檻から俺を出して。 もう手に持った器の中身は溢れようとしている。 救われない『好き』に溺れて死んでしまう。 LINeを開く。 暁と連絡を取ろうとしたけど、手が動かない。 「もうやめてしまいたいな……。」 ただそう呟いただけだった。 一瞬何もかも投げ出したくなっただけだった。 それだけだったのに。 『何を?』 ピロンという通知音と共にそんなメッセージが画面に出る。 突然のことに目を瞬く。 (え……?) ぱっと顔を上げれば、目の前に暁が立っていた。 続いてメッセージが届く。 『何をやめたいの。』 不毛な恋を。 報われない苦しい恋を。 でもそんなの本人相手に言えるわけがない。 うまく言い訳ができたらよかったのに。 「いや、えっと……。」 誤魔化そうと目を泳がせて言葉を濁す。 これがいけなかったんだ。 文化祭準備が疲れたとか、そんな適当な理由をでっちあげればよかったんだ。   『リハビリ、もうやめるか。』 思考が止まる。 え。リハビリをやめる? いやだ。 顔を上げて暁を見る。 逆光でうまく表情が見えない。 通知音に慌ててまた視線を画面に落とす。 『さっき俺、深山に触れたんだ。』 スマホを握る手から力が抜ける。 冷たい機械音が耳に届く。 ピロン 『もう、触る練習は必要ないな。』 俺、今どんな顔してる? やったじゃんって。 克服に一歩近づけたじゃんって。 喜ぶところなんじゃないの? なんで。なんで何も言えない。 『じゃ、帰るわ。』 踵を返す、暁を呆然と見つめる。 追いかけないと。 待ってって。 ……何で? 追いかけてなんて言う? 触りたいなんて言えないじゃん。 まだこの関係を続けたいなんて言えないじゃん。 後悔してももう遅い。 根が生えたみたいに俺はそこから動けなかった。

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