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52 鳳蝶ーあげはちょうー
自分がどうやって帰ってきたのか覚えていない。
電気もつけずにベッドに倒れこむ。
胸が痛い。
内側から圧迫されて、張り裂けそう。
「もうやめてしまいたい」
萌志から零れた言葉が俺の涙になって頬を濡らした。
慌てて拭うけど止まらない。
だっせぇな。
泣くな、俺。
大丈夫。
覚悟していたことだ。
萌志が離れていっても、強くあろうって。
強引に拭ったせいで目元が痛い。
顔をうずめた布団が徐々に暖かく濡れていく。
このままじゃだめだと。
萌志に頼りっきりじゃだめだと。
そう思って、深山に触れてみた。
深山なら大丈夫そうだと感じたからだ。
呼び止めるのを装って腕を掴んだ。
それなりに勇気を出したんだ。
結果としては触れた。
俺にしては大きな進歩だった。
でも。
萌志に初めて触れたときみたいな、感動とかそういうのはなくて。
掴んだ深山の腕をすぐ離してしまった。
廊下の窓から中庭に見えた萌志。
陰ったその表情に胸騒ぎがした。
そして聞こえたあの言葉。
俺のせいで疲れさせてしまっていたんだ。
やめたいと、思わせてしまうぐらい甘えていた。
恥ずかしかった。
それからはもう無我夢中で。
突き放される前に逃げた。
だって、仕方ないじゃないか。
萌志に面と向かって「もう疲れた」「リハビリやめよう」なんて言われたら。
嗚咽が喉から漏れる。
汚い空気音。
声が欲しいって思った。
萌志に聞いてほしいことがいっぱいあった。
なのにどうして。
なんで逃げたんだろう。
もうあの笑顔が見れない。
笑い声を聞けない。
夕星祭は?
一緒に回ろうって言ったあの約束はもう無効か?
リハビリでつながっていた関係は終わってしまった。
萌志と俺の関係なんてその程度だったのか。
友だちだって思ってくれてるみたいだけど、俺は別の目で見てる。
これから話せたとしても何を話すんだ?
今まで相当無理させてたんだろうか。
散々迷惑をかけてしまったから。
でも俺、まだ恋を失いたくない。
好きでいたい。
まだ萌志が好きでいたい。
鬱陶しがられていたとしても、想うだけなら許してもらえるだろうか。
萌志のことだ。
あんな形で言葉を聞かれたから、罪悪感を少なからず感じてるんじゃないのか。
もう十分、助けてもらった。
でもありがとうっていえてない。
この言葉だけは、直接言いたい。
リハビリはもう自分一人でやろう。
声が出せるようになったら、ありがとうだけ聞いてもらおう。
2人でやっていたことが1人に変わっただけだ。
萌志が会う前の俺とは違う。
ちゃんと変われる。
いつまでも萌志が一緒にいてくれるなんて思ってなかっただろ。
頑張れ、俺。
今まで逃げていた分、頑張ろう。
そうすればいつかあの優しい笑顔に応えられる日が……。
閉じた目から1滴の涙が落ちる。
明日も学校。
同じクラスの萌志。
何もない放課後。
対照的な文化祭の空気。
錆びついていた歯車が再び動き始めるには、きっともう古くなりすぎていたんだと思う。
でもセンチメンタルになんのはこれで最後。
震える吐息をつく。
生まれ変わる。
蛹が蝶に。
(怖くない。)
萌志の笑顔の記憶がいつだって勇気をくれる。
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