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イヤホンのコードが揺れる。 教室までの廊下がひどく長く感じる。 朝イチに登校する習慣を変えるつもりはないけど、気がかりがある。 萌志が朝練で早く来ている可能性がある。 昇降口、廊下、教室。 あらゆるところで鉢合わせる可能性があるということ。 きっと嫌な態度をとってしまう。 常に警戒して、万が一の状況になってもナチュラルに対処しよう。 目線は下に。 目が合ってしまえば、どうすればいいか分からなくなる。 イヤホンは常に装備。 聞こえません見えません。 そうそう。 最初から堂々となんてできないからな。 こそこそ縮こまるつもりはないけど、正直まだ自信なんてものは欠片もない。 教室についた。 扉についてる小窓からそっと中を覗く。 ぎくりと体が固まった。 視線を走らせたその先。 教室真ん中の席……いる。 しかも座ってる。 脱力したように椅子にもたれかかって、外を眺めてる萌志。 (嘘だろ。) 何でいるんだよ。 おいおい朝練は? どうしよう、屋上に逃げる?体育館裏は? 背中が汗ばむ。 ……いや、逃げないって決めただろ。 早速、逃げ腰になる自分を諫める。 萌志にビビッてどうすんだよ。 このまま距離を離していって 取り返しがつかないくらい遠くなるのは望んでいない。 ぐっと拳を握る。 深呼吸。 大丈夫。 カバンを置いたらさっさと出ればいい。 自然を装って。 いける。 いけ。 緊張で嫌な汗が手に滲む。 躊躇しそうになる気持ちを腹に力を入れて抑える。 取っ手がヒヤリと指先に触れた。 落ち着け俺。 あそこには誰も座っていない。 空っぽの教室。 そう言い聞かせて一思いに扉を開ける。 ガラッ 開けた瞬間、驚くほど冷静になれた。 萌志が振り返る気配を感じる。 でも俺はそっちを見ない。 ただ自分の席に足を進めた。 よしよし、いい調子。 このまま流れるように教室を出られれば任務完了。 カバンを机に置いて息を吐く。 なるべく視線は下気味に。 でも不自然にならないように。 萌志を視界に入れないように。 扉に向かおうと振り返る。 それでもイレギュラーは起こる。 「…暁。」 呼び止められた。 どこか震えているように聞こえたその声。 影がかかる。 見えていた扉が萌志によって遮られた。 ここで避けて扉に向かうのは正解か? でも俺の足は止まってしまった。 いまさらなかったことにできない。 あぁ、やっぱり教室に入るのやめておけば…。 舌打ちを飲み込んで、何でもない風を装ってイヤホンを外す。 無理やり視線を萌志の顔に向ける。 たぶんその視線が緊張で尖っていたんだ。 萌志の双眸が動揺で揺れる。 薄く開いた口が小さく動く。 「……ごめん、昨日。でもあれはそんな意味じゃなくて。」 どうせ伝わらないのに、いろんな疑問が浮かび上がっては消えた。 なら、なんでそんなに罪悪感いっぱいの顔をする? そんな意味じゃないならどういう意味なんだ? 言葉を濁すのはどうして? あの言葉の後ろにあった真意は? 萌志は口を開きかけて、また噤む。 ……何を躊躇してる? 萌志の思考を読み取ろうとその揺れる瞳を見つめる。 すると萌志は 「……っ」 逸らした。 すぅと背筋が冷える。 目を、逸らした。 頭が揺れている錯覚を起こす。 靄がかかったみたいにショックが体を包み込む。 その時、 「あれ、萌志。お前朝練は―――……っと、お邪魔?」 開いた扉の前に現れた。 マスクをした生徒。 背中にはギターケース。 (烏丸、だ。) 萌志がそのまま振り返る。 完全に顔が見えなくなった。 ……このままここにいられない。 萌志の横をすり抜ける。 「あ……暁、」 引き留めようとする萌志の声が聞こえる。 耳を塞ぐようにイヤホンを突っ込んだ。 烏丸が俺を通すように扉の前から退く。 決めた覚悟が本人を目の前にするとこんなに簡単に揺らぐ。 そのまま振り返ることなく、足早に教室から去った。

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