75 / 138

75 燦々ーさんさんー

萌志を傷つけた。 無我夢中で振り払った手が彼の顔を打つ。 我に返った時には、その口元には血が滲んでいた。 汚すだけに限らず、傷つけた。 傷つけたんだ。 地面が揺れた気がした。 気持ちが悪い。 こみ上げる吐き気に口元を覆ってふらつく。 萌志は指先についた血を見つめて固まっていた。 徐々に痣が滲み出る口元を見つめる。 ごめん。 ごめん、萌志。 口を開こうとしても、喉から出るのは震えた空気だけで。 力の抜けた足元から崩れるように座り込む。 ぽた…と頬に熱いものが落ちる。 突然溢れだした涙。 今の俺に泣く資格なんかない。 そう分かっているのに、拭う力もなくただ頬にそれを伝わせる。 滲む視界の中、萌志が俺を見下ろした。 白いアスファルトに小さい染みができていく。 俺の視線に合わせるように萌志がしゃがむ。 「……ごめんね、暁。」 ぽつりと落ちたその言葉に、一層胸が痛む。 喉の奥が痛くて、嗚咽が漏れる。 なんで。 お前が謝るんだ。 俺が悪いのに。 汚いのに。 狡猾で浅ましい。 唇をかみしめて首を振る。 違う。違うのに。 伝わらない。 悔しい。 悲しい。 情けない。 握りしめた冷たい手に涙が落ちていく。 「泣かないで。ごめん、ごめんね暁。」 お前は悪くない。 お前が怖くて泣いてるんじゃない。 ごしごしと目元を擦って萌志を見上げる。 いつもみたいに笑って俺を見る萌志。 「大丈夫、痛くないよ。俺が悪かったね、ごめんね。」 緩く弧を描いた口元。 でも、その表情は苦しそうに歪んでいた。 しゃくりで息が詰まる。 思わずその痛々しい口元に手を伸ばしかけて、慌てて手を引っ込める。 俺はもう萌志に触れる資格なんてない。 汚いから。 傷つけたから。 絶望感に死にたくなる。 「暁、俺の目を見て。」 その声色はどこまでも優しくて、導かれるようにもう一度視線を合わせる。 にっこり笑った萌志。 ホクロが見えた。 そんなに優しくしないでくれ。 どこまでも甘えてしまった。 その優しさに付け込んで、傍にいていいもんだと勘違いしていた。 自信がつくまでとかそんなの俺が決めていい期限じゃない。 今、この瞬間から俺は一人で立たないと。 「……ね、俺のこと、嫌いになった……?」 どこか緊張を含んだその言葉が萌志の口から紡がれる。 そんなわけない。 好きだ。 誰よりも。 お前の声が好きだ。 日向みたいな温かいその笑顔が好きだ。 そのたれ目がちな目も。 少し掠れた甘い声も。 優しく触れる掌も。 指先から髪の毛まで。 好きだ、萌志。 どんな言葉でも言い表せないぐらい好きなんだ。 (好きだよ。) 友だちとしてじゃない。 触れたい、ずっと一緒にいたい。 そういう好きなんだ。 好きで好きで、涙腺がばかみたいに緩んでしまう。 でも、これは持っちゃいけない感情。 ほかの女に嫉妬する資格すらない。 想っちゃいけない。 そう言い聞かせて、深く息を吐く。 瞑った目から一滴の涙が頬を伝う。 震える手でスマホを取り出した。 好きだ。 萌志。 これからもずっとだ。 一緒にいたかった。 もうこれが萌志につく最後の嘘でありますように。 『大嫌いだ』

書籍の購入

ともだちにシェアしよう!