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寮にそのまま帰るのも、何となく気が進まなくて。 いつも猫と戯れている公園に足を運んだ。 ぼんやりとブランコに腰かけて、日の落ちかけた空を見つめる。 うっすら浮かび上がる月と一番星。 瞬きしたら消えていそうなくらい儚い輝きをただ眺める。 今日はいつもの猫がいなくて、一人だ。 足元に擦り寄る暖かい体温が恋しい。 もう夜が近いから、遊んでいる子供もいない。 軽く地面を蹴って、ブランコを揺らしてみる。 金属のこすれる音が耳障りだった。 1人で公園にいるのは嫌だ。 猫がいたら癒されようと思ったんだけど。 出入り口に向かおうと立ち上がると、 「おーい、鳥羽くーん!」 ぶんぶんとこちらに手を振っている女が目に映る。 見慣れた制服。 手に持ったコンビニの袋らしきものが乾いた音を立てている。 その無邪気な笑顔に鳥肌がたった。 (日下部愛生……。) 呑気な表情を浮かべ、馴れ馴れしく俺に手を振る彼女に少しずついら立ちが募る。 あの日の俺の反応を見て、なんとも思わなかったのか? 普通なら話しかけないんじゃないのか? 教室ではなるべく避けてたから会話せずに済んでいたのに。 そもそも、こいつが来なかったら萌志を遠ざけなくて済んだんじゃないか? あんなふうに萌志に嘘つく必要はなかったんじゃないのか? 全部全部。 こいつのせいで……。 無意識に握りしめた拳にハッとする。 ………違う。 結局、こういう状況にいつかはなっていたんだ。 そのいつかがちょっと早くなっただけ。 とにかくこいつが変に口を滑らせたりしなければいい。 止まりかけた足を無理やり動かして、外へ向かう。 日下部には目もくれず、そのまま出ようとした。 でも、俺の邪険な態度に気づかないようで当たり前のようについてくる。 「あれから全然話せなかったから、会えてうれしいな~!」 「……。」 「っていうかピアス凄いね!いつ開けたの?中学?高校?」 「……。」 「ね、何で何もしゃべらないの?」 彼女は俺の進行方向を塞ぐように回り込んできた。 俺を上目遣いで覗き込んでくる。 大きな瞳が、見透かそうとする視線が居心地悪い。 避けるように横を通り過ぎようとすると、 「……………あーやっぱり。 まだしゃべれないんだー。」 背中に投げかけられた言葉に思わず立ち止まる。 パッと振り返ると、にっこり微笑みかけられる。 くそ。 無視してそのまま、立ち去ればよかった。 じわじわと後悔が沸き上がるけどもう遅い。 「みんな、あたしに聞いてくるんだー。 いつからあんな感じなのか~とか、小学生の時はしゃべっていたのか~とか。 変に憶測で話されるくらいならさっさと事実言っちゃえばいいのに。」 俺の強張った表情に彼女は噴き出す。 ぱたぱたと手を振って 「大丈夫だよ!まだ何も言ってないから!」 まだ? まだってなんだよ。 いつかは言うのか? ぐるぐると頭が麻痺していく。 冷汗が背中を伝う。 そんな俺をよそに腕時計を確認した彼女は、 「さて、帰ろっかな~!じゃね、鳥羽くん!」 綺麗に弧を描いた口元。 細められた瞳。 翻した制服のスカート。 一瞬見えた素肌に浮く痣。 揺れる黒髪。 鼻孔をついた甘ったるい匂い。 すべてに酔って、座り込みそうになる。 鼻歌すら聞こえてきそうなほどの軽い足取りで、彼女は去っていった。

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