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106 春眠ーしゅんみんー
そう言って立ち上がって、萌志は自分の荷物を手に取る。
逃げるのか。
俺の返事も聞かないで。
勝手に決めつけんなよ。
腰が抜けかけた身体を無理やり動かして、萌志の服の端を掴む。
「っ、待てよ。
言い逃げかよ…ふざけんな…!」
「…暁。」
「聞けよ。
俺が怖いのは、萌志じゃない。
怖いのは、そういう…のをすることで、萌志のことじゃない。
今は怖くても、そういうのは萌志としたい。
萌志じゃないとやだ。
対等でいたいのにお前に我慢させて自分ばっかり優先しろって言うのかよ。
そんなの、そんなの本当に付き合ってるって言えんの?」
「………。」
捲し立てるように訴えて、むせて咳き込む。
俯いた顔から悔し涙が落ちた。
強引に拭おうとするとその手を取られて、代わりに萌志が涙を掬った。
その手つきが優しい。
「…俺を犯したあいつなんかと、大事なお前を一緒だなんて思うわけ無いだろ…!
やめろよ、そういうの…っ
お、れが!何も言ってないのに、勝手に自分で決めつけんなよ!」
「うん……ごめんね…。」
「ゆ、許さねぇ…。」
「ごめんね、暁。
俺、どうしたらいい?どうしたら許してくれる?」
手に持っていた荷物を再び床に置いて、萌志は嗚咽を漏らす俺を覗き込んでくる。
まだ俺の悔し涙は止まらなくて、眉間にしわが寄る。
そんな風に勝手に決めつけた萌志に腹が立つし、そう思わせた自分にも腹が立つ。
萌志のことになるとぐずぐずになってしまう。
「さっきの言葉、訂正しろ…。」
「うん……。
同じ、じゃないよ。
ごめんね。」
「俺の大事な萌志を、お前自身が否定しないでくれ…
そんなことも考えずに萌志と付き合ったんじゃない。
全部ひっくるめて、横に行きたいって思ったのに…っ。」
「うん。ありがとう。
ごめん、ごめんね暁。
もう泣かないで。」
俺をベッドの縁に座らせて、萌志は床に片膝をつく。
今まで喋れなかった分、一度ぶちまけてしまえば堰を切ったように言葉が溢れる。
涙交じりの声が、ぽつりぽつりと手に落ちて。
零れないように握りしめた。
「萌志。」
「何?」
「ぎゅってしてほしい。」
自分から、言ったことなんかなかったけど。
するりと自然に言葉が出る。
俺が言わないと。
今の俺の反応が怖いなら。
怖がっていたのは俺だけじゃない。
1歩近づくことは俺にだってできる。
萌志の返事を聞く前に、俺も床に腰を下ろす。
萌志の顔を正面から見つめた。
涙で霞んだ視界は、その顔をぼやけさせてしまって拭おうと目元に手を伸ばす。
でもそれはやんわりと大きな手に掴まれて、引き寄せられる。
萌志の温もりを感じられる期待に心臓が震える。
吐息を感じられるくらいに体の距離が近づいて、ゆっくりと大きな手が背中に回された。
温かくて優しい。
一番落ち着ける場所。
深く息を吐いて、萌志の肩口に顔を埋める。
するとあやすように優しく背中を撫でられた。
萌志の腕の中にすっぽり収まってしまう俺の体。
泣いてばっかりだ。
萌志に恋をしてからずっと。
もう目が腫れぼったくて痛い。
自分の胸元に、萌志の拍動を感じて自然と力が緩んでいく。
寝不足だったのに、思いが通じた嬉しさと両親と会う緊張で眠気なんか感じなくなっていた。
でも暫くすると、安心したせいかじわじわと睡魔が侵食してくる。
萌志はずっと口を閉ざしたまま俺の体を抱きしめてくれている。
その温もりに完全にリラックスしてしまって、緊張の糸が切れたんだろう。
いつの間にか目を閉じて、優しい熱と温かい香りに包まれて微睡んでしまう。
子供みたいだと自分でも思う。
いや、みたいじゃなくて実際そうかも。
苛ついて、泣いて、疲れて寝る。
うん、子供だな。
瞬きを繰り返して、なんとか起きておこうとする。
でももう起き上がる力が体に入らなくて、完全に萌志に委ねてしまっていた。
「暁……?」
「ん…?」
「眠たいの?」
「ん……。」
程よい低音が鼓膜を揺らして、俺を眠りに誘う。
さらりと頭を撫でた手に無意識に頬を擦り寄せて、溜息をつく。
気持ちいい。
眠りたい。
このまま、萌志に抱きしめられたまま。
2人きりの空間で。
ゆっくりと頭を撫でられて、次第に意識が薄れていく。
もっと喋りたい。
会話はもうできるんだから、今までの分、たくさん話そう。
萌志。
何とかつないでいた意識は、俺を撫でる手に解かれて、消えていった。
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