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穏やかな寝息を立てる暁を、ベッドに横たえる。 涙の線がまだ頬に残っていて、それを見て暁の言葉を思い起こす。 俺は暁を大事にしたくて、怖い思いなんてさせたくなくて。 でもどうしても抱いてしまう欲求は、暁を傷つけたものと同じで。 所詮、同じなのだと思ってしまっていた。 犯人が暁にした行為は、俺がしたいのと同じだ。 汚いと思われてしまう。 それが怖くて、それが原因で嫌われたくなくて。 せっかく想いが通じたのに、それが原因で再び傷が開くなんてことも可能性としてはあるわけで。 簡単に大丈夫と言ってほしくなかった。 でも暁のそれにはちゃんと理由があった。 顔にかかる黒髪を眺めながら、そっと手を握る。 俺を好きになってくれたのは、その気持ちが、相手が『男』であるという枠を超えていたからで。 行為が怖いだけで、男である俺を怖がっているわけじゃないと。 大変な思いをしたのは暁なのに。 いろんな覚悟を決めて、俺に気持ちを伝えてくれたことを考えていなかった。 泣きながら訴える彼に、申し訳ないやら愛しいやらで胸がいっぱいになる。 『俺の大事な萌志を、お前自身が否定しないでくれ』 そういった暁は酷く綺麗で。 零れる涙一つ一つが宝物のようで。 華奢な身体は、抱きしめると消えてしまいそうなくらい儚いのに。 その言葉は、俺の心に強く根付いた。 ごめんね、暁。 俺の気持ち、わかってないなんて言ってしまった。 俺が俺を否定することを暁は嫌がってくれたんだね。 「ありがと。」 ゆっくり俺たちのペースで進めばいい。 ゴールなんか勝手に決めないで、ちゃんと一つ一つレールを敷けばいい。 あどけない寝顔に手を滑らせて、親指の腹で頬を撫でる。 子供みたいな可愛い顔。 少しだけ笑って、立ち上がる。 荷物はそのまま。 部屋の扉を、そっと開けて、リビングに降りた。 * リビングにつながる扉を開いて中を覗けば、ソファでテレビを見ていた暁のお母さんと目が合う。 「あら、御波くん!どうしたの? 暁は?」 「部屋で寝てます。」 穏やかに笑う彼女の顔は暁によく似ている。 暁は母親似なんだろう。 睫毛が長いところとか、しゅっとした目元とか。 玄関にあった写真たての中の彼女は、表情豊かな暁って感じで。 ちっちゃい暁可愛かったな…。 あとでじっくり見させてもらお。 彼女は俺のために温かい紅茶を入れたマグカップを用意してくれる。 正面の席に座るように促され、ぎこちなく腰を下ろす。 「あの子、頑固で短気でしょ?」 「え、いや~」 口籠る俺に笑って彼女は、テレビの電源を落とした。 「暁が家を出たとき、あぁこの子はもうこの家に帰ってこないかもしれないって思っていたから…。 今日は本当にありがとう。 すごくすごく嬉しい。」 「いえ、俺は何にも…。 家に帰りたいって言い始めたのは暁ですし……。」 マグカップを両手で包み込んで、その透き通った赤茶色に目を落とす。 オレンジの光を反射しながら、薄っすら自分の顔が映る。 「深山先生から聞いていたから、はしゃいじゃってごめんなさいね。」 そう言って恥ずかしそうにフフッと笑って時計を見上げた。 つられて時計を見る。 時刻は五時半。 暁の父親が帰ってくるまで、あと一時間くらい。 正直気乗りはしていない。 でも暁がいてほしいって言ってくれたから。

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